顧みられない難民~私が出会ったパレスチナ難民~

世界で登録されている難民の5人に1人はパレスチナ難民と言われています 。パレスチナ難民はヨルダン川西岸・ガザ地区といったパレスチナ自治区、ヨルダン、シリア、レバノン等、それぞれの地域でそれぞれの困難を抱えて暮らしています。日本赤十字社(以下、日赤)は2018年から本格的にパレスチナ赤新月社(以下、パ赤)と医療支援事業を開始しており、レバノン国内のパレスチナ難民キャンプにある5つの病院を対象に活動しています。今号では2022年12月から現地に半年間派遣された広島赤十字・原爆病院の日隈看護師に活動を振り返りインタビューを行いましたのでご紹介いたします。

画像 支援先病院での活動中の一コマ。日隈看護師は左端。

パレスチナ難民が抱える制限とは?

―まず、ご自身がレバノンのパレスチナ難民キャンプで行った活動について教えてください―
レバノンにあるパレスチナ難民キャンプ内にある病院で、医療の質向上を目的とした事業に12月から半年間派遣されました。ちょうど、支援先サファド病院における支援期間の折り返し時期でありました。

―パレスチナ問題について、どのようなことを学びましたか?―
恥ずかしながら、私もこうして直接支援に関わるまで、ぼんやりとしか分かっていませんでした。レバノンに住むパレスチナ人はレバノン国籍が与えられず、生まれた時から差別と区別の中で生きている現実について、イメージできていませんでした。しかし、この事業での活動を通じて、彼らの困難さや、やり場のない想いを受け止めつつ、日本人がパレスチナ難民の事を忘れていないと伝えたいという想いも強くなりました。

―何か印象に残っているエピソードがあればお聞かせください―
ある日、ある医師の方に「子供や高齢者、女性などの虐待事案があった場合にどうしているのか」という質問を投げかけたところ、彼女は悲しい目で「7年前に、疑わしい事例があった。ここではサポートが難しい場合もある。ただ状態によってはレバノンの病院に搬送する事はできる。ただし、いくら私達が虐待が疑わしいと考えても、私達パレスチナ人医師は裁判で証言する事が認められていないから、その被害者を守る事ができない。」と静かに語って下さいました。私は、どこか相談窓口を紹介したり、そうした人たちを守るためのシステムや施設、またその解決手順があるのかを聞いたつもりでしたが、サポートがないが故に、自分達(家族内)で解決するしかない、という話でした。医師として、彼らを守りたいという気持ちは痛い程伝わって来ましたが、やるせなさと無力感も感じました。

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また、彼らは就学や就職においても制限があります。パレスチナの若い人達が大学に進学するには、極々わずかな枠しか与えられていないといいます。良い成績をとっても「パレスチナ人だから」という理由で海外の大学への奨学金に応募できなかったり、就職活動の際に「国籍があること」と明記してある場合は応募すらできないそうです。
物価があまり日本と変わらないにも関わらず、医師の給料は日本の1/10以下と低く、レバノン国内の経済危機の影響もあり、多くの人が2つ、3つと仕事を掛け持ちしているともお聞きしました。彼らは生まれも育ちもレバノンで、レバノンに対する愛着を持っていますが「パレスチナ難民だから」という理由で日常的に制限されていると感じています。
レバノンとパレスチナの間には複雑な歴史があるのも事実ですが、人々が苦しむ姿を目の当たりにすると、動揺してしまいます。

[写真:“ミスターフ”アラビア語で「鍵」を意味します。パレスチナ人の中には 何十年も前に終われた故郷の家の鍵を今も大事に持っている人もいます。鍵は彼らの故郷への強い思いであり、わずかな希望のシンボルでもあります。]

日赤の支援がもたらすものとは

―最後に、日赤の支援がもたらすものについて聞かせてくださいー

レバノンのパレスチナ難民キャンプ内にあるサファド病院は国連機関であるUNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)の財政支援で無償もしくは安価で医療を提供しています。しかし、そこで働く医師や看護師達は制限された生活を余儀なくされ、キャンプの外へ新しい知識や技術を学びに行くことも難しい状況です。一方で、彼らが守っている患者さんやコミュニティの方々は、サファド病院を頼りにしていますので、日赤は現地に赴き、彼らと一緒に働きながら知識や技術の向上をサポートしているのです。例えば、現地の医師と共にレントゲンの見方や超音波での診断技術について助言したり、現地看護師と一緒に術後の患者さんの観察を行いながら、記録の取り方や異常の早期発見、対処ができるよう見守り、声掛けを行っていきます。また、3月にはキャンプ内のコミュニティの方々の協力を得ながら、災害発生時の病院の対応についての実践演習も行いました。現場に入らなければ分からない困難さを共に考える中で、彼らの向上心を満たし、少しずつでも前進できるという希望への一助になればという思いです。

画像 多数傷病者受け入れ訓練の様子

パレスチナ難民は各地に散らばり生活をしていますが、時が立ち、なかなか顧みられない難民だといえます。だからこそ、日赤はパレスチナ赤新月社と共に、パレスチナ難民の支援を継続していきます。同パレスチナ難民の支援事業は中東人道危機救援金や海外たすけあいに支えられています。

中東人道危機救援金

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