令和8年熊本地震 日赤救護班の活動を振り返る -発災直後から復旧・復興まで、被災者に寄り添い続けて-

日本赤十字社(以下、日赤)は、令和8年熊本地震の発災直後から2か月あまりにわたり、全国の支部や医療施設などの力を結集し、医療救護や救援物資の配布、避難所の環境改善、こころのケアなど、さまざまな活動を展開してきました。
その中でも、被災された方々に最も近い場所で活動し、刻々と変化する現場の課題やニーズを把握しながら支援に携わったのが、「救護班」です。令和8年9月末までに、全国の赤十字病院や施設などから、のべ188班もの救護班が被災地に派遣されました。
今回は、発災直後の緊急対応から長期化する避難生活の支援まで、救護班が果たしてきた役割を振り返ります。

■発災後、すぐに現場に駆けつけるため「救護班」を常備

日赤の災害救護活動の歴史は、1888(明治21)年の福島県磐梯山噴火災害にまで遡り、全国に90ある赤十字病院が設立された当初の目的も、いざという時に活動する救護員を養成することでした。現在は、全国486班 (6,283人/令和8年3月31日現在)の救護班が、通常の病院業務に従事しながら、研修や訓練を通じて災害救護に必要な知識や技術を身に付け、発災時には迅速に被災地へ赴き、救護活動を行うための体制を整えています。
救護班の基本編成は、医師1人、看護師長1人、看護師2人、管理・調整要員2人の計6人で、必要に応じて薬剤師や助産師などが加わります。
今回の地震では、発災翌日に福岡県(2班)、佐賀県、長崎県の赤十字病院の救護班計4班が活動を開始しました。その後も、各救護班が4~5日ごとに交代しながら活動を継続し、被災地への支援を途切れることなく続けました。

■発災直後の急性期:まずは被災地のニーズ把握から

福岡赤十字病院の井上医師は、発災翌日の7月29日早朝に福岡県を出発し、初動対応に当たる救護班の班長として、特に被害の大きかった八代市内に向かいました。活動初日は、被災地の病院に入院していた患者を他の医療機関に搬送する支援に従事しました。そして、2日目以降は各避難所や社会福祉施設に連絡を取りながら、傷病者の有無や避難者数を確認し、必要な支援の内容や状況を把握するための調査を実施しました。


井上医師は当時を振り返ります。「避難所に外傷や打撲などのけがをされた方がいれば、救護班が診療しましたが、今回の地震では医療機能を維持している病院も多く、切迫した医療ニーズは少なかったように感じました。その一方で、日赤の救護班には医療サービスの提供だけでなく、例えば避難所の生活環境に関する課題を把握し、災害対策本部に伝える役割が求められていました。発災後の被災地では、水の確保、衛生的なトイレの整備、睡眠環境の改善、特に高齢者のためのベッドの設置が重要でした。行政機関などが全力を尽くしていてもなお、必要なものが必要なタイミングで届かず、被災された方々が困難な状況に置かれていることを実感しました。人としての尊厳を保ちながら生活できる環境を一日でも早く整えたいという思いで活動していました。被災された方々と直接向き合う救護班だからこそ、何に困り、何を必要としているのかを被災者の目線で考えることを大切にしていました。」

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派遣前ブリーフィングに臨む井上医師(福岡赤十字病院)

地元の熊本赤十字病院に所属する田中看護師長は、毎日3か所ほどの避難所を回り、初めて救護班の一員として避難所の状況確認やニーズの把握を行いました。その中で、規模の大きな避難所と市街地から離れた小規模な避難所では、届く物資や生活環境に差があることや、長引く避難生活によるストレスから避難所内で混乱やトラブルが生じている状況を目の当たりにしました。こうした状況を把握し、救護活動などを総括する災害医療コーディネーターと共有して、被災された方のニーズに応じた支援につなげることが重要だったと話します。

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被災された方の体調を確認しながらお話を伺う田中看護師長(熊本赤十字病院)

「避難所には年齢や性別、生活パターンの異なる多くの方が共に生活しており、必要とされる支援もさまざまです。被災された方々のお話を丁寧に伺い、たとえ自分たちですぐに解決できないことであっても、必要な支援につなげられるよう情報を共有することが救護班の大切な役割だったと感じています。」

■長引く避難生活:少しでも心身の負担を減らすために

今回の災害では、発災直後から医療ニーズは比較的限定的でした。一方で、猛暑の中で長引く避難生活は、被災された方々の心身に大きな負担をもたらしていました。そのため日赤の救護班は、「被災者ファーストで、できることは何でもやる」という姿勢で活動を継続しました。

救護班第3班として活動した、福岡赤十字病院の隈看護師長は、睡眠環境の改善に向けて、要望を聞き取りながら安眠セットを配布し、段ボールベッドの設置に取り組みました。段ボールベッドの導入時には、避難されている方々や避難所管理者に丁寧に説明し、理解を得ながら設置を進めるなど、信頼関係の構築を大切にしたといいます。


「血圧測定をしていると、その時間を利用して被災された方が胸の内を話してくださることも多くありました。“安心できる救護活動” を積み重ねることで、その方が本当に必要としている支援が見えてきます。日頃の看護で培ったやコミュニケーションのスキルを、救護活動の中で生かすことができたと感じています。

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傾聴を心がけながら支援ニーズの把握にあたる隈看護師長(福岡赤十字病院)

熊本赤十字病院の救護班第5班として活動した早野医師も、断水が続く中で避難所の衛生環境の改善や段ボールベッドの設置などに携わりました。また、他の支援団体とも積極的に連携し情報収集を行い、課題解決につなげる役割を担いました。
「避難所には救援物資が届いていても、生活環境の面で改善が必要な課題が残されていることが少なくありませんでした。災害対策本部からのミッションを遂行しながら、現場で新たな課題やニーズを把握し、本部へ共有して改善につなげていく。その地道な積み重ねこそが、最も重要な活動だったと思います。また、避難所の中にはすでにコミュニティが形成されていたため、外部からの支援者として前面に出すぎるのではなく、現場のペースや関係性を尊重しながらサポートすることを心掛けました。」

■これからも、復旧・復興を目指してつながる日赤の支援

国・県や被災地の自治体、さまざまな支援団体のそれぞれが強みを活かして活動する中で、日赤の強みは、全国の支部や赤十字病院のネットワークを基盤に、発災直後から、復旧・復興に向けての歩みを始めた現在にいたるまで、被災された方々に寄り添い続けられることにあります。また、医療ニーズへの対応だけでなく、被災された方々の声に耳を傾け、その時々に必要な支援へとつなげられることも大きな特徴です。

通常の診療を続けながら、この2か月間にわたって継続的に救護班を派遣してきた熊本赤十字病院の早野医師と田中看護師長は次のように語ります。

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他の支援者とも情報共有をする早野医師(写真中央)(熊本赤十字病院)

「地元である熊本県内で発生した災害だからこそ、できる限りのことを自分たちの手で行いたいという思いが活動の原動力となりました。また、日頃からの訓練や研修、物資の準備、チーム編成などの備えがあったからこそ、迅速な対応ができたと感じています。日赤内部の連携はもちろん、他団体との協働にも大きな支えを感じました。ライフラインの復旧などにより自宅に戻る方や仮設住宅へ移る方が増える一方で、拠点化が進む避難所に残り、不安や孤立を感じる方もいると思います。そうした方々にも寄り添いながら、こころのケアを含めた長期的な支援を続けていきたいと思います。」

発災から3か月近くが経過し、被災された方々を取り巻く状況も少しずつ変化しています。救護班の派遣は9月末をもって終了しましたが、日赤による支援が終わるわけではありません。今後は熊本県支部と熊本赤十字病院を中心に、被災された方々の暮らしに寄り添いながら、地域に根差した中長期的な支援を継続してまいります。