あの日の救護を、未来の予防へ ~赤十字が核兵器のない世界を訴え続ける理由~
核兵器の使用リスクが現実の課題であり続ける昨今、被ばくの記憶をどう受け継ぎ、次の行動につなげるのかが問われています。
広島と長崎の被ばくの経験から81年目の8月を迎えるにあたり、この記事では、広島と長崎における赤十字の経験を出発点として、赤十字が核兵器の禁止と廃絶を訴え続けてきた理由を紹介します。
災害や紛争が起きたとき、苦しむ人びとのもとへ駆けつけ、いのちと健康、尊厳を守る。それが赤十字の役割です。それでは、なぜ赤十字が核兵器の廃絶を訴えるのでしょうか?
その答えは、1945年の広島と長崎にあります。当時、広島の赤十字病院は壊滅的な被害を受け、職員や看護学生も被ばくしました。それでも、残された医師や看護師、看護学生らは、自らも傷を抱えながら、次々と運び込まれる被ばく者の救護にあたりました。長崎でも、日本赤十字社(以下、「日赤」)の救護班が被ばく地に入り、限られた医薬品と人員で治療を続けました。
しかし、被害は爆発の瞬間だけで終わらず、放射線による病気や身体的・精神的な苦痛は、その後も長く続きました。いま現在も日赤の病院では、放射線に起因する病気に苦しむ被ばく者への医療が行われています。

原爆投下直後、広島赤十字病院での被ばく者救護
こうした経験から、赤十字は一つの現実に向き合ってきました。核兵器が使用されれば、その被害はあまりにも大きく、十分な救護を行うことはできないこと。だからこそ、使用された後に対応するのではなく、その使用自体を防がなければならないこと…。

広島・長崎の赤十字病院では今も被ばく者への医療が続いている(写真:日赤長崎原爆病院)
「使用禁止」から「実験禁止」へ:受け継がれてきた核兵器廃絶の願いは終戦直後から
戦後間もなく、国際赤十字・赤新月運動(以下、「国際赤十字」)は、核兵器を戦争で使用することについて議論を始めていました。
その中で日赤は、核実験もまた、市民のいのちや健康、暮らしを脅かすとして、1954年、国際赤十字に対して実験の禁止を提案しました。
その後、採択された決議では核兵器の使用禁止とともに、核実験による危険や損害から人びとを守る措置を講じるよう各国に要請。1963年には、当時の日赤社長である島津忠承がジュネーブで開催された国際会議で、原爆投下から年月が経っても被ばく者の死と苦しみが続いていることを訴え、核実験の禁止を求める決議が採択されました。

島津社長自身の執筆による回顧録(1965(昭和40)年)では、戦時中の捕虜支援、戦後の組織再建、在留日本人の引き揚げ、核実験禁止決議の提案など、激動の日赤生活35年が記録されています。
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被ばく国の経験を日本国内だけにとどめることなく、人類共通の人道問題として世界へ伝える。日赤のその後の歩みにつながる姿勢が、この時期に形づくられました。
「誰も救いきれない」という現実を世界へ
核兵器をめぐる赤十字の取り組みは2011年にもみられました。
世界各国の赤十字社、赤新月社、国際赤十字・赤新月社連盟(IFRC)、赤十字国際委員会(ICRC)が一堂に会する代表者会議で、核兵器の禁止と廃絶を求める決議が採択されました。日赤も共同提案社の一員となり、当時、日赤社長とIFRC会長を務めていた近衞忠煇も、国際的な合意形成を後押ししました。
決議が示した考え方は以下のとおりです。
- 核兵器が使用されれば、計り知れない苦痛が生じる
- その被害に十分に対応できる人道支援能力は存在しない
- 国際人道法の基本原則に従った核兵器の使用は想定し難い
- したがって、再び使用されないようにし、禁止・廃絶しなければならない
つまり、この決議は「どの国が核兵器を持つべきか」という国家間の議論ではなく、核兵器が使用されたとき、人間に何が起きるのか、そしてその人びとを本当に救えるのかという視点から、核兵器の存在そのものを問い直したのです。
条約の誕生を、現実の廃絶につなげる
こうした人道的観点からの議論の後押しもあり、2017年、国連で核兵器禁止条約が採択されました。核兵器の開発や保有、使用およびその威嚇などを包括的に禁じるこの条約は、核兵器廃絶に向けた大きな一歩です。条例の前文には、国際赤十字が果たしてきた役割も明記されています。
しかし、条約があるだけで核兵器がなくなるわけではありません。
条約を現実の廃絶につなげるためには、社会と各国政府に行動を促し続ける必要があります。日赤とICRCは、2023年のG7広島サミットの前と、戦後80年となる2025年に、核兵器の使用を防ぎ、禁止と廃絶に向けて各国が行動するよう呼びかけました。

2024年メキシコ政府の主催で行われた核兵器禁止条約締約国会議で赤十字を代表してスピーチする日赤職員
核兵器の被害を知る赤十字のトップが繰り返し声を上げることは、国際社会の関心をつなぎとめ、予防への行動を促すための重要な試みです。
こうした訴えの根底にあるのは、被ばく直後の救護と、長年にわたる被ばく者医療の経験です。核兵器廃絶は、遠い理念ではなく、被害を知る日赤にとって、組織として受け継いできた切実な課題なのです。
残された「言葉」から、対話を始める
では、日赤が受け継いできた「被害を知る経験」とは何でしょうか?
核兵器の問題の原点には、被ばくした人びとと、命を救おうとした医師、看護師、救護員らの経験があります。冊子『Dialogue on Nuclear Weapons――赤十字に残る、核兵器と向き合った者の「言葉」』では、広島と長崎で救護に携わった人びとや、被ばく者と向き合い続けた医師らの言葉を紹介しています。
そこにあるのは、条約や制度だけでは語れない、被害の現実と救護の記録です。

残された言葉に耳を傾け、何を受け継ぎ、次へ伝えるのかを考えること。赤十字の核兵器廃絶への訴えは、そこから始まっています。ぜひ、この冊子をご一読ください。