平時からの備えが命を守る―バングラデシュで見つめた医療の現実と赤十字の役割

 2017年8月、ミャンマー西部のラカイン州で起きた武力衝突をきっかけに、多くの人びとが暴力行為を逃れるために隣国バングラデシュへと避難しました。日本赤十字社は、この人道危機に対し、発生当初からバングラデシュ赤新月社と連携して支援を続けてきました(バングラデシュ南部避難民支援についてはこちらをご覧ください)。
 自然災害が多く人道ニーズの高い同国では、ミャンマーからの避難民に対する支援以外にも、国際赤十字・赤新月社連盟(以下、IFRC)が長年にわたりバングラデシュ赤新月社と協力し、人道支援活動を展開してきました。現在は、首都ダッカを拠点とするIFRCバングラデシュ国事務所を通じて、国内各地での支援活動を支えています。
 日本赤十字社は、こうした取り組みを推進するため、2025年4月から1年間、熊本赤十字病院の日隈妙子看護師をIFRC保健要員として派遣しました。今回は、日隈看護師からの報告をお届けします。

■医療体制の課題に向き合う

 バングラデシュでは、医療人材の不足、医療機器や資源の制約、救急医療体制の未整備など、医療提供体制に多くの課題を抱えています。こうした状況で災害や感染症が発生すると、医療機関への負担はさらに大きくなります。そのため、迅速かつ適切な医療対応の強化が求められます。
 IFRCバングラデシュ国事務所は、バングラデシュ赤新月社と連携し、医療サービスの質の向上および医療体制の強化に向けた支援を行っています。これまで、医療施設の評価、医療提供体制の改善に向けた技術的支援、救急医療や医療資機材の調達管理に関する研修支援、関係機関との調整などを通じて、医療体制の強化に取り組んできました。
 また現在、バングラデシュ国内でははしかが流行しており、政府機関と連携しながら感染症対策や医療体制の強化に向けた支援を継続しています。こうした取り組みは、感染症対応が落ち着いた後の医療機関や地域の対応能力の向上にもつながります。

20260518-95ddb9fcb7c1bd033a7ba2efd62039430c0507aa.jpg訓練を受けたバングラデシュ赤新月社のボランティアや医療スタッフによるはしかの予防接種©IFRC

■地震対応から改めて見えた、平時の備えの大切さ

 私の派遣期間中には、マグニチュード5.55.7の地震も発生しました。日本では震度3程度と感じられる揺れでしたが、現地では多くの人びとがパニックに陥り、10人の死者、600人以上の負傷者が報告されました。老朽化した建物の一部は倒壊の危険にさらされたため、人びとは不安の中で屋外に避難しました。
 このとき、バングラデシュ赤新月社のボランティアが迅速に現場へ駆けつけ、救助活動や住民への声かけ、被災者への毛布の配付などの支援を行いました。混乱の中で被災者に寄り添い続けるその姿は、地域社会にとって大きな支えとなりました。
 この経験は、救急医療体制やインフラのぜい弱さ、人口密度の高さ、そして自然災害が発生しやすい地理的条件など、バングラデシュが抱える課題を改めて浮き彫りにしました。同時に、平時からの備えや医療体制の強化、地域社会の対応能力の向上がいかに重要であるかを強く考えさせる出来事でもありました。

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バングラデシュ赤新月社のボランティアは地震発生後すぐに被災地に出動し、住民への声かけや負傷者の病院搬送にあたった©BDRCS

■医療を取り巻く構造的課題と赤十字の役割

 今回のバングラデシュ派遣は、医療へのアクセスや提供される医療の質の格差といった、医療を取り巻く構造的な難しさを目の当たりにする日々でもありました。
 バングラデシュには政府が運営する公的病院が各県に存在しますが、日本のような救急医療システムは十分に整備されていません。また、救急車に対する理解や教育の機会も十分とは言えず、サイレンを鳴らしていても渋滞の中をスムーズに通過できるとは限りません。このため、多くの場合、家族が患者を直接病院へ連れて行くという対応が取られています。
 公的病院では無料で医療を受けることができますが、慢性的な病床不足や医療従事者の不足により、病院は常に患者であふれ、廊下や床で点滴を受ける光景も見られます。また、医療設備や機器の整備も十分とは言えず、追加の検査や治療が必要な場合には最新の機器を備えている民間の病院に行くしかないため、経済状況によって受けられる医療に差が生じてしまう現実があります。一方で、富裕層の間では外国に治療を受けに行く「医療ツーリズム」も浸透しており、医療をめぐる二極化が進んでいるのを肌で感じました。
 こうした中で改めて考えさせられたのが、SDGs(持続可能な開発目標)に掲げられている「ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(UHC)」です。UHCが目指している「すべての人が、適切な健康増進、予防、治療、機能回復に関するサービスを、支払い可能な費用で受けられる状態」があってこそ、自由診療や医療ツーリズムを含む医療の自由な選択肢が成り立つのではないか。そのように考えさせられる場面に何度も遭遇しました。

 

 こうした中で、IFRCは公平性と透明性を重視した調達の仕組みを通じた、医療体制の改善も支援しています。
 公的病院の改善のためのアセスメントで病院を訪問した際、医療機器を購入してほしいと要望がありました。改善できる点は他にもある中で、医療機器の調達が優先事項として挙げられた背景には、公的病院が医療機器を調達する際、公正な価格での調達が難しくなることがあるという現実がありました。
 IFRCでは、入札や書類審査による業者選定、アフターケアを含めた一定の要件を満たす資機材の選定など、公正な価格で調達を行うためのルールが定められています。IFRCによる調達が病院から信頼されていることを実感すると同時に、世界中にこうした現実がある中で、私たちはどのように人びとの命を支えていけるのだろうか、と深く考えさせられました。

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IFRCが調達した医療機器が適切に機能しているかを確認するため、医療施設を訪問して職員に状況を聞く日隈看護師©JRCS

 こうした課題に向き合いながら、人びとの命と健康を守るための取り組みは続いています。「命はお金では買えないもの」「誰もが誰かの大切な人である」ということは普遍的事実です。そのことを忘れずに、全ての人びとが経済状況に関わらず必要な医療サービスを受けられる環境を目指し、私たちは医療を支える仕組みづくりに向き合い続ける必要があります。
 社会的に弱い立場に置かれた人びとが安心して暮らせる社会を実現するためには、今後も継続した支援と国際的な協力が不可欠です。皆さまからのご支援が、地域の命を守る力となっています。今後とも赤十字へのご支援をよろしくお願いいたします。

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