決して忘れない。二度と繰り返さない ~核兵器禁止条約第3回締約国会議に参加して~
国際赤十字・赤新月運動(以下、「国際赤十字」)は、第二次世界大戦中に原子爆弾が投下されて以来、核兵器の非人道性を世の中に訴え続けてきました。核兵器禁止条約(以下、「TPNW」)の前文ではそれまでの核兵器廃絶をめぐる赤十字の貢献が確認されており、赤十字は締約国会議等へのオブザーバー参加が認められています。
2025年3月3日~7日にかけて、米国・ニューヨークの国連本部にてTPNW第3回締約国会議が開催され、日本赤十字社(以下、「日赤」)からも2名の職員が国際赤十字・赤新月連盟(以下、「連盟」)の一員として参加しました。今回は、同会議に参加した日赤広島県支部の菅原職員からのリポートをお届けします。
忘れてはいけない被ばく者の声
「金比羅山(長崎市のほぼ中心に位置する山)の方におぉきな雲(きのこ雲)が見えてねぇ、おかしかねぇと思ったとよ。そしたら夕方にはトラック、リヤカーに皮膚が焼けただれた人、けがした人がいっぱい乗せられて…みんな長崎から諫早に運ばれてきたと。」
これは幼少期から私を孫のようにかわいがり育ててくれた方から何度も何度も聞いた、忘れてはいけない1945年8月9日当時の話の一部です。私は戦争被ばく地長崎で育ち、現在は広島で暮らしていますが、昨今、核兵器の問題は複雑化していると感じます。このような中、この問題の歴史的背景、国際政治、安全保障、人道的影響などに関心をもった私は、被ばく国である日本の国民のひとりとして国際社会における自らの役割の強化のため、国際的な組織である赤十字として何をすべきで何ができるのかを考える機会としたく、今回TPNW締約国会議へ参加しました。

心から大切に育ててくれた人と幼少期の私 ©JRCS
TPNW本会議の様子
会議期間中は、日本の広島や長崎の被ばく者や、キリバスのクリスマス島、カザフスタン・セミパラチンスクでの核実験の被害者の証言を通じて、核兵器の恐ろしさやその人道的影響を改めて実感しました。また、会議では、核実験などによる被害者を支援し、壊れた環境を回復させるための資金としての、国際信託基金の検討状況が報告されました。このように世界では核兵器による被害や苦しみを受ける人びとを支援する動きがみられる中、NATO加盟国のオブザーバー参加が今回ゼロとなったことなどから、核兵器に対する問題の難しさも肌で感じました。
最終日には、核兵器の廃絶が「世界の安全保障と人類の生存にとって必須である」とする政治宣言が採択され、各国代表が賛同の拍手を送り会議は幕を閉じました。会議には、高校生や大学生を含む幅広い世代の若者が参加しており、その多くが議場での発言や、作業文書の提出、他国の学生との交流など自らが目指す世界に向けて積極的に活動をしている姿が印象的でした。この場は、単なる条約の議論にとどまらず、国や世代を超えて核兵器のない世界を目指す多様な人びとを結びつける場となっており、核兵器使用のリスクが高まる国際情勢の中だからこそ、この条約を推進し、「核兵器のない世界」の実現を目指す人びとの熱意を感じることができました。
私たちが望む未来に向けて私たちにできることとは?

声明文を読み上げる菅原職員(右)
高まる核兵器の危機に立ち向かうという揺るぎない決意のもと核兵器の問題と真摯に向き合う中で、私たちにできること、取り組むべきことはなんでしょうか。会議3日目には議長国であるカザフスタン赤新月社と国際赤十字を代表し声明文を読み上げました。声明では、当時の広島の状況や、国際赤十字全体として核兵器のない未来の実現に向けて引き続き尽力する姿勢を締約国等に伝えることができました。
核兵器のない未来を実現するためには、国際的な協力に加え、この問題について関心を持ち続けることが大切だと感じます。私たちは、人道的な立場から核兵器の廃絶を訴え続けるとともに、学びの場の提供や理解促進のための取り組みを通じて、多くの人が核兵器の問題について学び、対話し、未来をともに創っていく機会を広げていきます。核兵器の脅威が増す中で、私たちにできることは何か。それを問い続け、行動に移していくことこそが、次世代への責任であり、平和への確かな一歩であると信じています。
本会議に集った赤十字関係者との集合写真
忘れてはいけない過去がある中、残念ながら今もなお、紛争や核兵器の脅威は減ることなく、世界は多くの悲しい現実に直面しています。私たちが当たり前のように享受している日常や安全は、決して当たり前のものではなく、多くの犠牲や努力の上に成り立っていることを忘れてはなりません。だからこそ、感謝の気持ちを持ちながら日々を大切に生きるとともに、あの日、あの時に起きた事実をしっかりと胸に刻み、 核兵器は二度と使われてはならないことを次世代へと伝えていきます。