【追悼企画】こうして青年は「人道の巨人」となった 名誉社長 近衞忠煇(このえ ただてる)氏の軌跡

日赤名誉社長・近衞忠煇氏が、2026年5月23日に逝去されました。今号では、半世紀以上にわたり、国内外の赤十字活動に身を捧げた故人の歩みを偲び、深く追悼の意を表します。
国内外の貢献をくわしくご紹介。
「中立」を胸に身を賭した人助けの道
災害や紛争の現場を歩き続け、半世紀で訪れた国の数は114カ国。やがて「人道の巨人」と称された近衞氏も、青年期からそこに至るまでの歩みは決して容易なものではありませんでした。
学生時代、国際的な活躍を夢見て渡った英国で待っていたのは、バナナ1本がご馳走になるほどの極貧生活。帰国後に日赤に入社したものの、現場での叩き上げの時代には幾度となく壁にぶつかりました。国際赤十字に出向した際には、あらゆる宗教、政治の壁を乗り越えて人を救うため、正義の有無や批判を捨てた中立の精神=「赤十字の沈黙」を貫く覚悟も鍛えられました。
また、日赤の事業で、日本兵として戦った台湾の方に補償する業務では、救うべき人を救う道を模索する中で「人道の空白地帯を作らない」というモットーが生まれ、生涯その理念を守り続けました。2009年にはアジア人初の国際赤十字・赤新月社連盟の会長に就任。国内外の被災地に自ら足を運び、紛争などの困難に直面する各国首脳らとの交渉を積極的に重ねるなど、人道の精神を具現化するために心血を注ぎ、2期8年間を務めあげました。
それらの活動が世界中の赤十字関係者から高く支持され、2022年、国際赤十字・赤新月社運動が2年に1度個人に授与する最高位「アンリー・デュナン記章」を受章。最期まで「人道第一主義」を貫き、赤十字人として人生の幕を閉じました。

近衞忠煇氏の軌跡
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誕生
1939年5月8日
世界赤十字・赤新月デー
(赤十字の創始者アンリー・デュナンの誕生日)旧華族の次男として
鎌倉時代から続く名門武家で、肥後熊本藩主を務めた旧華族の細川家に生まれ、後に母方の祖父・近衞文麿(元首相)の養子となる。実兄は元首相・細川護熙氏。
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1964年

日本赤十字社に入社
英国留学中(1963年)、ジュネーブで赤十字創設100周年の記念パレードに日本代表の一人として参加。帰国後、国際的な社会貢献を志し、日赤へ入社。
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1968年〜
救急車を届け、ネパールの人々から歓待される近衞氏(当時28歳)
ネパールで救急車寄贈、よど号ハイジャック対応、ビアフラ紛争難民支援
ネパールでは寄付救急車を自ら運転し1138kmの悪路を走破。「よど号ハイジャック事件」では北朝鮮の赤十字社と連絡調整担当に(1970年)。ビアフラ(ナイジェリア)紛争支援中の赤十字からフランス人医師が離脱して政府を批判、「国境なき医師団」を立ち上げたことを受け、近衞氏は「赤十字の沈黙」への覚悟を強める(1971年)。
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1983年
「NHK海外たすけあい」キャンペーンスタート
若手時代にアジア各地を見た経験から、寄付が集まりにくいアジア・アフリカ地域を支援するため、近衞氏の主導でNHKと協働してキャンペーンを実施。現在も続く慣例事業となる。
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1987年〜
日本政府が行う台湾人日本兵への補償事業を日赤が委任され、台湾側との交渉担当になる
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1991年

雲仙・普賢岳の被災現場へ
日赤副社長に就任した直後の6月、長崎の雲仙・普賢岳で大火砕流が発生し、多数の死傷者が発生。被害状況を把握し指揮をとるため現地に入る。
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1995年

阪神・淡路大震災の救護所にて
発生2日後に神戸へ。被災した日赤支部の混乱を目の当たりにし、本社から総務局長を呼び寄せ体制作りに奔走。被災地訪問を希望し来日された英王室ダイアナ妃に、被災地の厳しい状況を自ら伝え、訪問を延期していただいたエピソードも。
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2005年

日本赤十字社社長に就任、スマトラ沖地震津波被災地を視察
4月に日赤の社長に就任(〜2019年)。インドネシアを訪問し、死者・行方不明者22万人以上、数百万人が家を失った「スマトラ沖地震・津波」(発生2004年12月)の被災地を回る。
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2009年

国際赤十字・赤新月社連盟(IFRC)会長に就任
「Spirit of Togetherness(連帯の精神)」をスローガンに掲げて会長選に出馬。有効票177票のうち、107票を獲得して、アジア人初のIFRC会長に就任する。以降、世界各地を訪問し、各国政府や国連機関に働きかける「人道外交」を行い、現地赤十字社が抱える諸問題に向き合う。
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2011年

東日本大震災の被災状況をIFRC会長として世界へ発信
地震発生からおよそ45分後には災害対策本部を立ち上げ、医療救護班を続々と被災各地に派遣。被災地の現状を世界に向けていち早く発信し、人脈を生かして海外赤十字社との調整に尽力。各国赤十字社から1000億円を超える救援金が寄せられるに至った。
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2013年

IFRC会長に再選 戦下のシリアを訪問
内戦が続き、赤新月社ボランティア・職員ら48人が犠牲になったシリアを激励のために訪問。砲弾の音が鳴り響き、近くで爆発も起きる中、「人道のために殉職するなら本望」と周囲に語る。
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2015年

国際赤十字のトップ二人が広島で献花
戦後70年の節目に、ICRC総裁ペーター・マウラー氏が来日、IFRC会長の近衞氏と共に、平和記念公園で慰霊碑に献花を行う。
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2016年

©Ichigo Sugawara
熊本地震発生。支援・救護を指揮
東日本大震災の教訓から、「日赤災害医療コーディネートチーム」を新たに編成し、迅速で効率的な医療救護活動の実施に貢献。一方で、被災者にも寄り添い、避難所では、損壊した熊本城を「私の実家の屋根も落ちてしまった」と話し、被災した方々を和ませた。(※実家の細川家は熊本城の城主)
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2017年

IFRC会長を退任
任期最後の連盟総会では、各加盟社や世界中のボランティアに向けて、英語、仏語、スペイン語、アラビア語の4カ国語で謝意を伝えスピーチを締めくくる。参加者が総立ちになり、拍手が鳴り止まなかった。

IFRC会長退任と宿願だった「ボランティア憲章」採択
70歳で会長に就任してから任期8年間で移動した距離は地球36周分の約147万3009km。「赤十字を支えるのはボランティアである」との強い信念から、会長退任の総会でボランティアの責務と権利の指針を示した「ボランティア憲章」を採択させ、ボランティアたちから喝采が起きた。
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2022年

アンリー・デュナン記章を受章
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2026年5月23日
近衞氏の訃報を受け、黙祷を捧げるIFRC本部(ジュネーブ)
逝去(享年87歳)
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