【赤十字運動月間】 想いの力を、救う力に。 未知のウイルスに挑んだ、赤十字人たち

2020年初頭、横浜港に停泊していた大型クルーズ船で発生した新型コロナウイルスの集団感染。未知の感染症として社会に恐怖と分断が広まっていた「あのとき」、赤十字の医療救護班が船内で隔離された乗客・乗員のケアと診療にあたっていました。
あれから6年、当時は報道されなかった、知られざる「赤十字の救護活動」をリポートします。
日赤救護班の船内活動
閉ざされた船内で見えないウイルスと闘った救護活動

日本赤十字社医療センター
国際医療救援部
苫米地 則子 (とまべち のりこ)
調整監
「横浜港に停泊している大型クルーズ船に救護班の統括調整員として入ってくれないか」。日赤本社からその打診があったのは、病院での日勤中でした。私は日赤医療センターの看護師長ですが、赤十字の国際救援の経験が買われ、指名を受けました。
その打診後すぐに、感染症科の医師に呼ばれ、感染管理室でPPE*(個人用防護具)の着脱練習。海外でさまざまな現場を経験してきましたが、ここまで厳重な感染予防の準備は初めてでした。そのまま帰宅する間もなく横浜港へ。人種のるつぼとも言える船内での活動にプレッシャーは感じなかったものの、感染ルートも治療法も明らかになっていない未知のウイルスに対しての不安を抱えたまま、現場に入りました。
日赤救護班の主な役割は、船内の診療所「メディカルセンター(以下、MC)」における乗客・乗員の健康管理と、MCに常駐していた医療スタッフの支援。日赤はMC内での対応、DMATは船内全体での乗客の対応、と役割が分かれていました。私は朝夕の2回、統括調整員としてDMAT、自衛隊などの救援部隊が集まって行われるミーティングに参加し、日赤救護班側の業務調整・管理を行いました。
シフトを組んで24時間体制で対応にあたる中でも広がり続ける感染。特に船の乗員たちは、4人相部屋でトイレも共有していたので、1人感染すれば蔓延も時間の問題です。そこで、乗客が下船して空いた客室を清掃し、濃厚接触者のクルーを清潔な部屋に移動させることに。清掃専門業者の指導のもと、救援部隊総出での清掃作業は、大変な大仕事でした。消毒液で左→右へ拭いたら逆拭き禁止、など細部まで神経を使います。
14日間の検疫期間を経て、乗客・乗員に陰性(=帰宅許可)or陽性(=病院や隔離施設へ)を伝え回る役目も担いましたが、バッドニュースを伝えた際のさまざまな反応も忘れることはできません。落胆する人、大慌てで家族に連絡する人…。検査の結果によっては乗客の家族が引き離される状況も起こり、その説明や「こころのケア」にも苦心しました。大型クルーズ船での活動は、間違いなく日赤の救護活動のノウハウと総力が生かされた事例だったと思います。
*医療や介護現場において、感染源や危険から身を守るための装備(手袋、マスク、ガウン、ゴーグルなど)の総称
自分自身の不安と恐怖を抑えて患者に寄り添った船内診療

福島赤十字病院
國分 花子 (こくぶん はなこ)
看護師長
航行中から乗客の診療を担っていた船内MCスタッフは、私たち日赤救護班の支援が入るまで不眠不休で疲れきっていました。彼らを休ませるため、私たちは夜間の診療や調剤を担当。当初は熱や咳症状のない方を診る前提でしたが、船内で感染が広がるにつれ、陽性の可能性もある方への対応も行うことに。自分も感染するかもしれないという不安もある中、船内に閉じ込められて不安といら立ちを募らせている皆さんの言葉に耳を傾けることに徹しました。

クルーズ船で救護活動をした日赤の病院・職員数
①救護班の派遣(赤線)
厚生労働省からの依頼に基づき船内に救護班などを派遣
派遣期間:令和2年2月10日(月)〜令和2年2月26日(水)まで
派遣医療施設
14施設
派遣要員数
67人
②日本DMATとしての派遣(青線)
厚生労働省DMAT事務局からの依頼に基づき、日赤からDMAT隊員(医師、看護師、業務調整員)を派遣
派遣期間:令和2年2月6日(木)〜令和2年3月1日(日)まで
派遣医療施設
14施設
派遣要員数
67人
DMATとは
地震や事故などの大規模災害時、急性期(おおむね48時間以内)に現場に駆けつけ、救急・災害医療を行う専門的な研修を受けた医療チーム。2020年の大型クルーズ船での経験を含む新型コロナウイルス対応を経て、DMATは感染症危機においても医療支援を担うことが明確化された。
DMATとしての船内活動
3.11の経験が後押しした出動 船内では、赤十字の強みを実感

日本赤十字社
医療事業推進本部
渡部 洋一 (わたなべ よういち)
本部長
私は当時、福島赤十字病院で院長を務めていました。国は船内の医療活動をDMATと日赤に依頼しましたが、応じた医療機関はごくわずか。しかし、福島県を通じて当院にDMATとしての出動の打診があった時、私は迷わず決断しました。その背景には、東日本大震災での経験があります。原発事故に見舞われた福島県は、救護班の確保が極めて困難でした。福島県への組織的な救護班派遣体制が確立されなかったため、福島県支部が全国の支部に救護班の派遣を依頼しても円滑な派遣は実現しませんでした。
しかし、たまたま福島県庁を訪れた他県の日赤救護班が、避難区域から逃れてきた被災者の受け入れを手伝ってくれたのです。その際、ある班員が「原発事故でも助け合うのが赤十字です」と言ってくれた言葉に、胸が熱くなりました。その経験が、「今後、困難な災害が起こったら自分たちが行く」という使命感に変わりました。大型クルーズ船は被災地で、乗客は被災者と捉え、1人でも多くの命を救うために、被災者である乗客・乗員の救援に全力を尽くそうと私たちは決意しました。
覚悟を決めて乗り込んだ船内。しかし、狭い閉鎖空間である船の中は、汚染区域と清潔区域を分けることが難しく、隊員の感染を危惧せずにはいられませんでした。私たちは重症患者の医療機関への搬送や、軽症陽性者の速やかな下船対応を担い、咳こむ乗客に付き添って客室から遠い出口まで誘導することも。何日も病室に隔離されている乗客たちからは、「いつ外へ出られるのか」「自宅近くの病院へ行きたい」といった切実な訴えもあり、説明と説得には心を砕きました。このような状況の中で私に力をくれたのは、同じ使命感で活動できる赤十字の仲間の存在です。初対面でも、赤十字マークを付けていれば即座に協力し合える。その結束が、船内でも大きな力を発揮していたと感じます。



船内でのロジスティクス
恐怖の対象だった「あの中」で、支援できた喜び

日赤福島県支部 事業推進課
久保 芳宏 (くぼ よしひろ)
課長
私は船内で医師・看護師らが診療に集中できるよう、飛び交う情報の整理と記録、関係者への共有・伝達などを行いました。多いときは1日99人の陽性が判明し、陽性者を船から病院に搬送しなければなりませんでしたが、国籍(言語)、船に残る家族、容体(長距離搬送に耐えられるか)など、それぞれの事情もあり、船内の医療対策本部は対応に追われました。そんな中、船内の感染対応の状況が誤った形で伝えられ、メディアによる報道の過熱も相まって、広く拡散される事態に。それによって交替で来る予定だった医療チームが次々とキャンセルとなり、過酷な環境で苦悩しながらも最善を尽くしていた船内の医療従事者たちに追い打ちをかけました。
今振り返ると、あの新型コロナの危機の中で、大型クルーズ船の活動に参加できてよかった、と心から思います。原発事故の影響で、県外から救護班の派遣が途絶えるという経験をした“福島”の私たちが、「助けに行く側」としてクルーズ船に乗り込んだ。そのことで、なにか報われた気持ちになるのです。