40数年の時を経て、生まれた場所へ、家族とともに ベトナム難民を支えた「赤十字希望の家」

「赤十字希望の家」の跡地を訪れたダイさん一家と、当時同施設で勤務していた鈴木光広さん(左)

2026年7月、ノルウェーで暮らすトラン・カク・ダイさんが、妻と2人の子どもとともに日赤愛知県支部を訪れました。目的は、自身のルーツをたどること。ダイさんのご両親は1980年代初頭にベトナム難民として来日後、愛知県瀬戸市にあった「赤十字希望の家」で生活。ダイさんはその滞在中に日本で生まれ、1歳頃まで日本で過ごしました。

赤ちゃんの頃のダイさん
「赤十字希望の家」滞在中に日本で生まれた、赤ちゃんの頃のダイさん(女性は、当時通訳を担当した修道院のシスター)

1975年のベトナム戦争終結後、多くの人々が国外へ脱出し、小型船で海を渡った人々は「ボートピープル」と呼ばれました。日赤は、こうしたベトナム難民を一時的に保護し、生活を支援。「赤十字希望の家」もその施設の一つとして1980年に開設されました。希望の家では342人のベトナム難民を受け入れ、施設滞在中には12人の子どもが誕生しました。

今回、愛知県支部では当時の写真や資料、映像を用意し、希望の家で勤務していた元職員の鈴木光広さんとの交流も実現。アルバムには、生まれたばかりのダイさんや家族、親戚の姿も。「ご両親のことも、ダイさんが生まれたときのことも、よく覚えてますよ」そう語る鈴木さんの言葉に感激しながら、ダイさんは息子さんとともに、一枚一枚の写真に見入っていました。

自身のルーツをたどるダイさんと息子さん
当時の写真アルバムを見ながら、自身のルーツをたどるダイさんと息子さん

その後、ダイさんが誕生した産院の跡地や、「赤十字希望の家」の跡地である現在の愛知県赤十字血液センター周辺にも足を運びました。「幼い頃に日本を離れたため、その頃の記憶はほとんどありません。それでも自分のルーツの場所を実際に見ることができて本当に良かったです」とダイさん。困難な時期に家族を支えた日赤をはじめ、多くの人々や団体への感謝も語りました。

40数年の時を経て、生まれた場所へ。「希望の家」は役割を終えましたが、この日本で、ベトナム難民の命と「生きていく力」を支えた人道の精神は、形を変えながら、地域や国内外で苦しむ人々を支える赤十字の活動に受け継がれています。

「希望の家」の外観
「希望の家」の外観。施設がその役割を終え閉鎖が決まったとき、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)からは日赤への深い謝意と共に「難民を助けるという事は(中略)人間が作り出した残酷さと暴力の犠牲者を助けようとする真摯な人々の一人一人の人間的な厳粛さ」から自然と生まれる行いであると、赤十字の理念に通じるメッセージが寄せられた