今年3月、日赤本社(東京都港区)で講演会が開催されました。テーマは「若手職員につなぐ ~当時の思いを未来へ~」。
現在の日赤職員は、その6割が東日本大震災後の入社です。震災を経験していない世代に、当時の経験を伝えるため、この講演会が企画されました。
登壇するのは、救護活動の最前線にいた職員たちです。
医師の植田信策さんは、震災当時、石巻赤十字病院の呼吸器外科副部長。まさに手術室でメスを持つところで大地震が発生し、救護体制へと突入しました。石巻赤十字病院は、いつかくる津波災害に備えて震災の5年前に内陸に移転、免震構造含め、設備の備えは万全でした。その結果、唯一稼働する総合病院として石巻医療圏の砦となりました。病院には患者の3日分の食糧が備蓄されていましたが、職員の分がなく、医療従事者たちは空腹に耐えながら活動。
また、病院に残った職員の中にも、家族が犠牲になった者が多数いました。避難生活が長引く中、病院に運ばれる患者の傾向に疑問を抱いた植田さんは、避難所を調査して回ります。そこで、ある問題に気づいたと語ります。「32カ所の避難所を調べ、エコノミークラス症候群(血栓)が見つかった確率が100人中2.8人。そこで段ボールベッドを導入したところ、さまざまな症状が改善しました。国にも働きかけ、今のガイドラインにつながっています」。

続いて登壇した福島県支部の久保芳宏さんは、同支部の災害対策本部で調整役を務めていました。当時の日赤救護班は放射能汚染下での活動方針を定めておらず、原発事故によって、県外から福島に派遣された救護班が一時撤退せざるを得ない状況となったことを振り返ります。「避難者からは、置いて逃げるのかと非難され、その罪悪感で救護班は非常につらい思いをしました。残った福島県支部職員だけでできる限りの活動をしましたが、ある福祉施設から高齢者を避難させる際、バスの運転手さんに『同じ福島県民を、なんとか助けてあげてください』と言われたことが忘れられません」
講演を聞いた若手職員の一人は、「(災害対応に臨む際には)自分にできることを迅速にやっていこう、という決意が持てました」と、感想を述べました。
震災発生から15年。最前線での記憶は、熱い思いと共に次世代へと受け継がれています。

