石巻(宮城県):10代で被災した語り部たちのストーリー②
リポート②阿部さんの被災体験
宮城県石巻市で震災を経験した阿部さん。震災当時、高校1年生で、地震が起きたときは実家で80歳の祖母と2人。津波の警報が出ても裏山へ避難せず、その結果、家ごと津波に流され、9日後に救出。“奇跡の救出”と報じられましたが「自分が判断を誤ったせいで、迷惑をかけてしまった…」と後悔を残した阿部さん。語り部として、命を守る行動の大切さを伝えます。
語り部 : 阿部 任 (あべ じん) さん
宮城県在住
「2011年3月11日。おばあちゃんと2人で家にいるときに、あの地震が発生しました。
家が崩れるのではないかと思うほどの激しい揺れで、『これが必ず来ると言われていた宮城県沖地震か!本当に来た!』と驚いていました。
揺れが収まった時、家は壊れておらず、近所の人たちもみな無事で、『大きい地震だったね』と笑い合う余裕がありました。
そこへ、ラジオや町内放送から津波警報が鳴り響きます。
おばあちゃんが言うには、60年前のチリ大地震の時も津波が来たが、近隣が少し水に浸かった程度で大丈夫だった、と。
僕はその言葉を信じました。
それに、正直な気持ちとして――80歳のおばあちゃんを連れて山の階段を登って避難するのは、少し面倒くさいな、と思ってしまったんです。
『2階にいれば大丈夫だろう』。そう決めて、近所のおばちゃんに僕たちは逃げないと伝え、おばちゃんも『片付けたらお茶しようね』と。
津波が来るまで50分ありました。特に何もせず、津波のことも気にしていませんでした。しかし、1階に降りたとき、やけに部屋が暗いな・・・と、リビングの窓を見たら。
水族館の水槽をイメージしてください。
真っ黒な水が、腰より高い位置まで窓の外を覆っていたんです。部屋が暗かったのは、黒い水のせいでした。
次の瞬間、窓が割れました。僕は叫びながら2階に駆け上がりましたが、ガラスの割れる音、木がバキバキと砕ける音がして、あっという間に2階まで黒い水が押し寄せてきました。
僕の家は2階に台所がありました。僕は流し台の上に飛び乗り、振り返ると、おばあちゃんがテーブルの下で津波に飲まれる寸前。

『おばあちゃん、死んでしまう』と、体が動かず呆然と見ていることしかできませんでした。
しかし、おばあちゃんは自力でテーブルの上に這い上がり、息も絶え絶えに『戦争の時よりマシだ』と言いました。
家は津波に流され、窓やドアの外を瓦礫が覆い、僕たちは瓦礫の山の中に閉じ込められました。
雪が降るほど寒い夜を、濡れたまま、ガタガタ震えながら過ごして、助けを待ちました。
そこから9日間。奇跡的に冷蔵庫が扉を上にして倒れていて、中に残っていたヨーグルトとビスケット2、3枚を1日分にして生き延びました。
僕の足はエコノミークラス症候群でむくみ、凍傷で紫色に。後に医師から『あと1日遅かったら足はなかった』と言われました。
9日目、余震で壁の一部が崩れて、屋根の穴からようやく外に出ることができました。
そこで初めて、被害の全容を知ったのです。僕の家と海の間には、およそ4000人以上が生活する家々が並んでいたはずなのに、跡形もなくなっている。見えるはずのない水平線が、きれいに見える。友達が何十人も住んでいたはずの町が、全部なくなっていました。

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かつて僕が通っていた門脇小学校では、繰り返し避難訓練が行われていました。
3.11の津波の時も、訓練通りに避難した子どもたちはほぼ全員助かり、それを見た地域の大人たちも避難して命を救われていました。
でも高校1年生の僕は、“避難する”という判断ができなかった。
中学、高校と進むにつれて、訓練の機会はどんどん減っていき、そういう意識が薄くなっていました。
今でも、後悔と罪悪感で苦しく思うことがあります。
僕たちが残るというのを聞き、『うちも残るよ』と言って残った近所の人たちの中に、亡くなった方が数人いるのです。お茶の約束をしたおばちゃんも、その一人です。
自分が避難するという行動で、命を守れたかもしれなかった。その後悔が、今こうして、皆さんに“ダメな事例”として、当時の経験を話すことにつながっています。
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訓練は、続けなければ、備えの意識も消えていきます。
これから進学・就職して、生活の場が変わり、防災を考える機会は減っていくかもしれません。だからこそ、自分で考えて、備えてほしい。
これは僕ができなかったことですので、お願いするのも心苦しいのですが、学校だけではなく、自宅にいる時、自分で判断しなきゃいけないときはどうするか、地域の人たちと一緒に助かるにはどうしたらいいか、自主的に考える時間を取ってほしいと思うのです。
そして、門脇小学校の生徒たちのように周りのお手本になって率先して避難できるような、災害に備えて地域の防災リーダーになれるような、そのような存在に皆さんがなってくれることを、心から願っています」
(※2026年1月22日の阿部さんの「語り部LIVE」講話を短く編集しました)
宮城県 仙台育英学園高等学校 生徒の声
●2年生 中村 凱(なかむら がい)さん
「慢心の危険性、避難訓練を実践することの大切さを学ぶことが出来ました。また、阿部さんが当時の行動によっては自身と祖母が危険な目に遭わず、周りの人の命を助けることが出来たかもしれないと後悔していると話されるのを聞いて、自分も後悔する前に、備蓄品の準備、避難経路の確認、自宅での避難訓練の実施をして、いざというときに迅速に適切な判断をとれるようにしたいと思いました。また、今回学んだことや自分自身の覚えている限りの震災の記憶を後世に伝える必要性を改めて実感し、次は自分が語り部になるという意識で語り継いでいこうという意識を持つことが出来ました」
●2年生 工藤 千愛(くどう ちな)
「私も石巻市に住んでいて、当時の記憶はなくても周りの大人から当時の状況を聞くことはありました。ですが実際に被害にあわれた方からお話を伺うのは初めてだったので、とても興味深かったです。石巻市内にあっても、私の家は大きな被害に遭うことはなかったので、これからも大丈夫だろうと考えていましたが、その考えが地域の方の命も危険にさらす可能性があるとのこと。もし災害が起こってしまったら、被害の大きさを自分で測るのではなく、訓練通りに行動することが大切だと感じました。誤った判断で後悔することがないようにしたいと思います」
●1年生 木村 光汰(きむら こうた)さん
「今まで何度も津波の映像は見てきましたが、あらためて映像を見て、津波が高い場所にまで届き、車や電柱だけでなく、家をまるごと流していたことに、とても衝撃を受けました。さらに、宮城で大地震が起きることが以前から予想されていたことも知り、現在言われている南海トラフ地震も同じだ、と気付きました。これまで南海トラフ地震が起きることをリアルに想像したことがなかったけれど、急に現実味を帯びた気がします」