2011年3月11日、14:46。
青木利昭さん(現・東北ブロック血液センター 事業部長)は、献血会場となっていた総合病院で献血の受け付け業務を行っていました。その病院は多賀城市内にあり、海まではおよそ1キロ。そのときのことを、青木さんは振り返ります。
「突然、立っていられないほどの大きな揺れが。まず頭に浮かんだのは、献血に協力してくださっている方々を守らなければ、と」
右に左によろめきながら、激しく揺れているバスになんとか辿り着くと、車内は上下に跳ねている状態。看護師や医師が献血者に覆いかぶさるようにして、必死に献血者の体を押さえていました。
やがて揺れは収まりましたが、当然、献血は中止。青木さんは、献血バスの職員たちを撤収させ、自分は地震によって大混乱が起きている病院に残ることにしました。このときとっさに「山のルートで帰ってください」という指示が青木さんの口を衝いて出ました。
「妙な胸騒ぎがしたんです。献血バスで血液センターへ戻るルートは、通常なら海沿いの道を利用します。山側から戻ると、かなり時間がかかる。でも直感で、海はダメだ、と感じたのです」
もしも、献血バスが普段どおり海沿いの道を戻っていたら——その道は確実に津波に飲み込まれてしまうルートでした。

病院に残った青木さんを待ち受けていたのは、想像以上の混乱でした。スプリンクラーは誤作動、床には物品が散乱。そこへ地域の避難者が次々と駆け込んできます。そして、大津波警報発令。青木さんは病院職員と一緒に、1階にあったカルテや薬剤を2階へ。
目まぐるしく対応に追われる中、ふと外を見ると、何台もの車が、病院前の道を海方向へと進んでいます。青木さんは病院を飛び出し、車の前に立ちふさがり、「この先には行かないで!」と大声を張り上げました。運よく、青木さんが着ていたのは、赤十字のジャンパー。左胸に赤十字マーク、背中には大きく赤十字のロゴ。その姿のおかげか、車は方向を変えてくれました。
「救護に来たと思われたみたいで、『赤十字さん、ずいぶん来るの早いね』と複数の方に声をかけられました」
そこへ、近くの自衛隊駐屯地のスピーカーから「津波が来るぞ!」という声が…。
まさにその音声が聞こえた瞬間、青木さんは、どうしても海方向に進もうとする女性を説得していました。
「心配なのはわかる!大切な人は無事だと信じて、今はあなたの命を守って!」
強引に車から降ろして腕を引き、半ば引きずるようにして病院へ。そうする間にも川から氾濫した水がひたひたと足元に迫り、水の中を必死に歩きました。
間もなく病院の1階は水没。病院のエントランスのガラス扉をバリーン!と音を立てて突き破り、津波が流れ込みます。大きなコンテナまで、病院の目の前まで流されてきました。
病院には700人以上が避難。重油混じりの水で濡れた方も多く、服を脱がせ、毛布やシーツ、タオルで体を包みました。暖房はなく、物資も十分ではありません。


「毛布が足りない。食料もない…助けを待つのではなく、自分たちから動こう」
翌日の午後、水位が胸の高さまで下がったところで、青木さんは救助を要請する役に志願しました。周囲の人に協力してもらいながら病院にあった大きなビニール袋を何枚も重ねた中に体を入れ、水の中を歩いて、水が引いた高台へ。さらにそこから、4キロ程先にある多賀城市役所の災害対策本部へ向かいました。
途中、派出所を発見。中にいた警察官に赤十字の職員であることを伝えて災害電話を借り、血液センターにも連絡。派出所を出て市役所に着くと、担当者に必要なことを伝えて病院に引き返します。病院に戻ると、今度はストレッチャーで水の上を歩く通路を作り、避難者を一人ずつ誘導しました。
「ここにいる人を全員、無事に送り出したい」、そう願い、病院職員と一緒になって被災者のサポートをしているところに、知らせを受けて飛んできた血液センターの同僚が到着。お互いに感極まり、思わずハグをして、それぞれの無事を喜びました。
青木さんは同僚の車で血液センターに帰る間、ずっと「怒られるよなぁ」と落ち込んでいました。自分と一緒に病院に残した器材運搬車を、大事な機材もろとも水没させてしまったからです。
ところが、血液センターに帰った青木さんを待ち受けていたのは「青木、よくやった!」。
仲間の命を守り、病院に残って多くの人を支えたことを、上司も同僚も称えてくれました。
震災によって、宮城県内の献血業務は全面停止しましたが、全国の血液センター職員が宮城へ派遣され、現地職員と協力して血液供給を継続しました。
道路に不慣れな他県職員には地元職員が同行し、供給ルートを再構築。さらに、山形センターの機器を借りて宮城の献血データ処理を代行するなど、血液事業が全国一丸となり、宮城の血液医療を支えました。
4月中旬、検査や製剤業務が再開。5月1日には移動採血も再開し、献血ルームには、多くの献血協力者が押し寄せたそうです。
震災から15年が経った今、当時のことをあまり覚えていない世代の職員も入社するようになりました。
「どうしても目の前の業務に追われてしまうが、震災の話もちゃんと伝えていかねば」
3年前から、青木さんはチームを組んで東北六県を巡り、災害対応強化のために各地の献血現場を訪ねているそうです。それぞれの業務の流れを見ながら、有事の際にどう動くか、何が課題になるのかを、その現場の職員と話し合っています。
「私もあと1年ほどで定年です。赤十字の中にいる間は、赤十字に震災の経験の継承をし、定年退職後は、一般の方に伝えていくのをライフワークにしたいと考えています」
青木さんは穏やかにそう語りました。

