『この命を、抱きしめて』医療的ケア児サポート(徳島)

医学の進歩によって失われる命も減る中で、医療的ケア児の数は増えています。今回は、日赤の福祉事業28施設(児童・老人・障害者福祉)の中から、医療、リハビリ、通所療育、ショートステイなど、多方面から医療的ケアを必要とする人々のサポートを行う徳島赤十字ひのみね医療療育センター(以下、ひのみね)の活動と、ひのみねを利用する家族の思いにフォーカスを当てます。

【左】中塚里美さんと真大くん、施設内のお楽しみイベントの際に。「真大と笑って生きたい」が里美さんの一番の願いだった
【右】幼い頃の真大くんをおぶって世話した看護師の小川純子さん(左)。真大くんは小川さんが大好きだった。二人には、血のつながりを超える心の結びつきがあった

「息子は世界一幸せな脳性まひ児だった」 そう胸を張って言えるのは、ひのみねのおかげ

インタビュー
利用者
中塚里美さん

医療型障害児入所(入院)施設の利用者
中塚真大(まお)くん(享年26歳)の母

中塚 里美
(なかつか さとみ)さん

「ひのみねは、息子にとって最も安心できる“家”でした」と里美さん

息子・真大は、26週、わずか886gで出生し、脳性まひと慢性呼吸器不全のハンデを背負っていました。出産直後に車椅子で面会に行くと、保育器の中でタオルに埋もれて見えないほどの小ささ。看護師さんが真大の手を私の指に乗せてくれましたが…手のひら全体が私の人差し指の先端にちょこんと。あまりにも小さくてはかなすぎる姿に、この子に申し訳ないと感情があふれ、泣き崩れました。

それからは、息子を生かしておくことに必死。「この子は私が守る!」という強い使命感で自宅療養を選択しましたが、何度も容態が悪化し、病院への救急搬送を繰り返す日々。病院の担当医や保健師さんから強く施設入所を勧められ、3歳の誕生日を機に、ひのみねにお世話になりました。

ひのみねでの生活も、最初は「なんで私からこの子を奪うの?」と周りが全て敵に見えていました。でも面会に行くたびに、息子の表情がどんどん明るくなり、笑顔も増えて、「ここに預けてよかった」と思えるように。筋肉の緊張が強い真大のために、担当看護師さんが仕事中もずっとおんぶして安心させてくれたり、「この子はおまるでトイレができるはず」と、根気よくトイレトレーニングをしてくれたり…。小・中・高と、ひのみね支援学校の修学旅行に参加させてもらえたことも、大切な思い出です。実は出生時に「3歳は越えられないかも。そこを越えても小学校入学の夢は見ないように」と医師から告げられました。そんな宣告を覆す、想像もできなかった素晴らしい経験を、たくさんさせてもらいました。

今年の2月、真大が26歳で旅立ったときのことを思い出すと、悲しみだけではなく感謝の気持ちで心が満たされます。あの日の朝、突然危篤状態になり、ひのみねから電話がかかってきました。車に飛び乗り、慌てて駆けつけると、そこには見たこともない光景が。ちょうど夜勤・日勤交替時の一番職員が多い時間帯で、真大の病室の前には看護師や職員が何十人と詰めかけ、人々が取り囲むベッドの上で、医師が心臓マッサージを繰り返していました。
そこから夫が到着するまで心臓マッサージを続け、最後に、私に真大を抱かせてくれました。真大は少しの刺激で体が硬直するので、こんなふうに重みを感じながらしっかりと抱きしめられたのは赤ん坊のとき以来。そのときの真大の穏やかな顔といったら。真大は大好きなひのみねで、お世話になった方々に見守られるタイミングを選んで、そして私がこれから悔いなく生きられるように、私の腕の中で最期を迎えてくれた…。ひのみねに息子を委ねる選択は、間違っていませんでした。

ここは真大のことを一番に考えてくれる“家”だから、私も安心して彼の弟2人の子育てをしながら家事も仕事もでき、面会では真大との時間を思う存分楽しむ、そんな日々を送らせてもらえました。真大は、短い生涯でしたが、最後まで精一杯生き、最高の環境で生活ができて、世界一幸せな脳性まひ児だったと思います。

【左上】真大くんの生前の写真と、亡くなった後に施設スタッフから寄せられたメッセージ
【左下】中塚さんには真大くんが施設で過ごした思い出の写真を集めたアルバムも贈られた
【右】真大くんは大好きな看護師、小川さんの日勤・夜勤に合わせて睡眠時間を変える特技があった

ひのみねでのリハビリは、息子に新しい世界を広げてくれます

インタビュー
利用者
小坂田美香さん

児童発達支援ほっぷ、
リハビリテーションの利用者
小坂田莞爾(かんじ)くん(3歳)の母

小坂田 美香
(おさかだ みか)さん

莞爾くんが生まれるまで助産師として忙しく働いていた美香さん

ひのみねにてリハビリを続ける小坂田莞爾くん

息子のかんかん(莞爾くんの愛称)は、先天性心疾患の影響で鼻の気道が狭く、風邪による少しの鼻詰まりでも呼吸困難になります。姉・兄から風邪をうつされるだけで、呼吸器をつけなくてはならないほどの危機的状況に陥ってしまうのです。ひのみねとの出会いは、息子がまだ1歳に満たない頃。私がコロナに罹患したことがきっかけでした。「とにかく、この子にはうつしてはいけない」と、掛かりつけの病院に相談し、預かってもらったのが最初です。

自宅は遠いのですが、ひのみねが気に入り、1歳になったのを機に、リハビリで通うようになり、その後、施設内の「児童発達支援ほっぷ」も利用するようになりました。伝い歩きや、歩行器を使って自分で移動する訓練、歯磨きの練習などを繰り返すことで、どんどんできることが増えていっています。一時は気管切開をして経管栄養で食事をとっていたため、口からものを食べることを嫌がるようになっていたのですが、先日、兄弟がおやつを食べているのを真似てペロッとお菓子を口にして…、夫と共に拍手して喜びました。

ひのみねのおかげで災害への備えも具体的に考えるようになりました。今は経腸栄養剤や粉ミルク、酸素ボンベなど、最低限のものを備えて、次は電源確保のための蓄電器を準備しているところです。医療的ケア児のための防災を学べるデイキャンプも、家族にとってありがたいイベントです。

こういった施設は、ケアを必要とする子どもたちだけでなく、その家族にとっても世界を広げてくれる場。似た境遇のファミリーとの交流も心の支えになります。もっと重症度が高くて発作もある子だと福祉施設が受け入れを断ったり、地域によって医療的ケアの通所事業所が少なかったりするので、本当に支援が必要な重症な方たちにこそ、孤立しないように、ひのみねのようなサポートが届くといいなと思います。

ひのみねの災害デイキャンプに参加した莞爾くんとお父さ
【左】自宅出産で、お姉ちゃんとお兄ちゃんとの初対面。しかしこの後、大学病院へ入院し、人工呼吸管理で治療開始することに
【右】歩行器を使って自分の力で歩く訓練。伝い歩きで、自力で歩行する練習も行っている。ボールを扱ったり、折り紙を折ったりという動作もこなせるように

医療的ケア児とその家族への、地域の包容力を高める

インタビュー
園長
加藤真介先生

徳島赤十字 ひのみね医療療育センター 
園長

加藤 真介
(かとう しんすけ)先生

【左】災害デイキャンプで避難訓練する参加者
【右】今年5月に行われた災害デイキャンプの様子。いざというときの医療機器の電源確保法や蓄電器とのつなぎ方も学べる

私の父も、ひのみねの園長を務めました。家での父は、医師として障害者医療の話題ばかりでしたし、家が近所なので私も日常的に施設で遊んだり、洋裁が得意な母の元に手足に障害のある入所者が教わりに来たり、障害のある方々は本当に身近な存在でした。後に私は整形外科医として大学病院に勤務しましたが、幼少期からの思いは変わらず、身体障害者も周りがサポートをしながら共に暮らして行くのが当たり前と思っていました。

ひのみねには、医療的ケア児とご家族が生きやすくなるようにサポートをする役割があります。ご家族は、家庭で多くの苦労を重ねられていますが、中には「この子をちゃんと守れるのは私だけ」といったかたくなな信念で施設に頼ることに抵抗感を持つ方も。しかし、家族だけでケアするのはいろんな意味で限界がある。障害のあるご本人とご家族が共に安心して、生きやすくなれるように、私たちの力だけではなく、地域を巻き込んで社会の包容力を高めていきたいと考えています。

近年、私たちが注力しているのは医療的ケア児の災害対策。南海トラフの被害想定では、徳島県の人口の約半数が避難所生活を余儀なくされるとのこと。その備えとして、行政に働きかけ、医療的ケア児のための「災害時対応ガイドブック」を作成して県内に配布し、災害時の自助共助につなげるためのデイキャンプを開催しています。住民や民生委員の方々、消防団などにも広く周知を図り、地域全体で助け合っていくきっかけ作りの一環です。また、それぞれの状況に応じた個別避難計画の作成の後押しをしています。この先も、医療的ケア児とその家族が地域の中で安心して生活できるように働きかけていきます。

「児童発達支援ほっぷ」の様子。重症心身障害のある児童を対象に、日常生活動作の獲得や運動機能の維持・向上などを目的として通所療育を行う
「ほっぷ」では、音楽に合わせて歌ったり体を動かしたりする楽しい時間も
個別の避難計画には、安否確認の連絡方法から人工呼吸器の使い方、常備薬のリストとその飲み方まで細かく書かれている