【WORLD NEWS】アフガニスタン5カ年事業 忘れないで、2290万人のSOS

国外に避難している「難民」700万人以上。生活に困窮し国内で人道支援を必要とする人は約2290万人。ウクライナやガザのニュースに隠れ、絶え間なく続く複合的な人道危機に苦しむアフガニスタン。日赤は、2020年7月から国際赤十字・赤新月社連盟(IFRC)と共に、アフガニスタン赤新月社(以下、アフガニスタン赤)の活動を支援する5カ年事業を実施してきました。今回はその活動報告をお届けします。

アフガニスタンってどんなところ?

イランやパキスタンなど6カ国に囲まれた、アジア大陸のほぼ中央部に位置する。20以上の民族が共存する多民族国家ゆえの複雑な歴史や宗教的背景を抱える。1970年代から続く紛争により2021年時点で約260万人が国外避難していたが、その後の政変と自然災害の影響で国内外の難民数は倍増した。

気象災害の影響を受ける地域の防災・減災、そして生計支援

2021年のタリバン政権復帰後に起きた国際的な経済制裁、2022年・2023年に大地震、2024年には洪水が発生し、難民・避難民数が1000万人を超えたアフガニスタン。
2025年には近隣国が難民の強制帰還を始めてさらなる混乱が。それに加えて、同国の人道危機を深刻なものにしているのが、近年の気候変動です。国民の7割が農業と畜産で生計を立てる中、極度の干ばつと繰り返される洪水により、住居や生活インフラも含めて著しいダメージを受けています。

日赤の5カ年事業では、とくにこの気象災害の影響を受けやすいサマンガン州とヘラート州の2州を対象とし、地域における災害対応計画の策定をはじめとする「防災・減災活動」と、収入を得る手段の強化によって気候変動に負けない力をつける「生計支援活動」の2つを軸に実施され、そこに暮らす人々のレジリエンス(立ち上がる力)向上を目指しました。
この生計支援の成果が、家族だけでなく地域の資産にもなる、干ばつに強い樹木20万本の植樹達成と、その水源のための太陽光発電ポンプ設置です

5年前は荒地だった土地も植樹支援によって、緑豊かに。生計を助ける果樹も育った

防災・減災啓発の成果 大地震で自主防災組織が活躍

「防災・減災活動」においては、1000世帯を対象に、突然起こる災害に備える正しい知識を普及。また、早期警報システムの活用と、実情に合わせた安全計画の策定、防災訓練の実施、防災資機材の整備、自主防災組織の育成など、コミュニティー全体での防災対策が進められました。
なお、地域の学校や自主防災組織で住民を集めて行う防災研修は合計80回にも及び、アフガニスタン赤とボランティア、地域住民との連携も強化されました。

そんな中、2023年にはヘラート州においてマグニチュード6.3の地震が発生。45万1570人が被災し、約1500人が犠牲となり、家屋の倒壊など、大きな被害をもたらしました。
このとき、各地からの救援チームと共に人命救助を行ったのが、ヘラート州の自主防災組織。発災直後から被害状況調査やけが人への応急手当にあたり、被災者に余震に備えた避難を促すなど、自らも被災しながら、救護活動に奔走する彼らの姿は、5カ年事業の成果の1つと言えます。

農業を奪われた男性や経済的自立が困難な女性に向けた生計支援

この事業によって約4600世帯(3万3600人)が直接援助を受け、約1万6000世帯(11万2000人)が間接的な支援を受けました。本事業の「生計支援活動」においては、農業・畜産以外の市場ニーズを調査し、職業訓練や事業開始用資金の提供を通じて、男性の生計の多様化を支援。
また、同国では女性の社会的な権利が制限され経済的自立が難しいため、女性に対する現金支援に加えて、ニーズに合わせた小規模事業開始のための支援行いました。

サマンガン州のモハマド・ジャンさんは、自給自足で農業をしながら6人の子どもを育てていましたが、災害によって仕事を奪われ、収入減と債務で生活が悪化していました。携帯電話修理のスキルがありながらも、資金不足のためその技術を生かすことができずにいましたが、今回の支援事業によって工具と材料を提供され、小さな携帯電話修理店を開業しました。
「生活費を賄うだけの収入を得ることができ、息子たちを学校に戻すこともできました。私にとってそれが何にも代え難い幸せです」と彼は語ります。

「今では毎日2~4台の携帯電話を修理しています」と誇らしげに語るモハマド・ジャンさん(写真右)

同じく、サマンガン州に暮らすアデラさんは、日雇い労働に頼る夫の収入は不安定で、6人の子どもを抱えた生活は経済的に苦しい状況でした。自身は縫製の技術を持っていながらも、自ら事業を立ち上げる余裕はありませんでしたが、支援事業の対象者に選ばれ、縫製機材の提供を受けたことで、ビジネスを立ち上げることができました。

「ミシンを手に入れたとき、ようやく希望の光が見えました。今は村の人々の服を縫い、自分で収入を得ています」(アデラさん)

アデラさんは毎日1着から数着のドレスを縫い、収入は家族の生活費になっている(写真左)

この他、養蜂や電気工、自動車整備士など、アフガニスタン赤と日赤による収入創出プログラムの支援により、生計を立て直した家庭がいくつもあります。

1つの区切りを迎えた5カ年事業ですが、今年9月からは、第二期の5カ年事業を予定しています。日赤は「アフガニスタンを忘れない」を合言葉に、さらなるレジリエンス強化に向けて、今後も支援を続けていきます。