全国赤十字大会 名誉総裁 皇后陛下ご臨席

5月13日、「令和7年全国赤十字大会」が、明治神宮会館(東京都渋谷区)にて開催。赤十字活動に功績のあった個人や法人に対し、名誉総裁である皇后陛下から、有功章が授与されました。

日本赤十字社名誉総裁の皇后陛下、名誉副総裁である秋篠宮皇嗣妃殿下、常陸宮妃華子殿下、寬仁親王妃信子殿下、高円宮妃久子殿下のご臨席を仰ぎ、全国赤十字大会が開催されました。
会場には、全国の会員やボランティアの代表約1400人が集結。今大会の有功章受章者(全国で個人合計92人、法人・団体合計27社)の中から代表して、皇后陛下から、個人10人、法人3社が有功章を授与され、日赤の清家篤社長から個人1人、法人1社が社長表彰を受けました。

式典冒頭では、清家社長が挨拶に立ち、日頃の全国からの支援と赤十字ボランティアの協力に感謝を伝えるとともに、2年後の150周年に向けた決意を語りました


実践活動報告では、福井県立大野高等学校JRC部の印牧弥音さんが、東ティモールとパキスタンの人々を支援する国際理解・親善活動や、地元の伝統食材を使ったスイーツ開発など地域社会に貢献する取り組みについて、また、日赤名古屋第二病院の稲田眞治医師は、令和6年能登半島地震、および能登半島水害における日赤災害医療コーディネートの業務について、それぞれ報告しました。
2人の発表に、皇后陛下ならびに各妃殿下も熱心に耳を傾けておられました。閉会後のお見送りの際には、皇后陛下から印牧さんへ、「スイーツ開発で苦労した点はありましたか?」と問いかけをされたり、稲田医師へは「被災地では、生活環境も含めて支援者側も大変だったのではないですか?」と労いの言葉をかけられるお姿がありました。


また、式典終了後の特別プログラムには、幕末から明治時代にかけて、肥前藩(佐賀藩)で活躍した「佐賀の八賢人」をモチーフにした役者ユニット「幕末・維新 佐賀の八賢人おもてなし隊」が登場。
赤十字創始者である佐野常民と副島種臣、江藤新平の3氏に扮し、寸劇を披露しました。劇中では、1867年のパリ万博から帰った佐野が、副島に赤十字の活動を知った衝撃を語るシーンが描かれ、時代を超えて、現在の大阪・関西万博の国際赤十字・赤新月運動館へとつながる演出が。会場に集まった会員と赤十字ボランティアも真剣に見入っていました。

実践活動の報告

水、繊維、里芋…故郷の宝(めぐみ)で世界貢献 青少年赤十字(JRC)の挑戦

印牧 弥音さん

福井県立大野高校JRC
「結(ゆい)」

印牧 弥音(かねまき みお)さん

印牧さんは、豊かな水に恵まれ、繊維産業と里芋の栽培が盛んな大野市ならではの3つの社会貢献活動を報告しました。
活動の1つ、里芋の茎を酢漬けにした伝統食「すこ」を英国風スイーツ「スコーン」にアレンジした「すこスコーン」開発では、「(すこは)食べる機会がぐっと減り、継承の危機にあります。
私たちは、すこを未来へつなぎ、ふるさとを元気にしたい。若者や観光客にも食べてほしい」という思いと、試行錯誤を重ねた開発エピソードを披露。スコーンをチャリティー販売し、収益を東ティモールの水支援と能登半島への義援金に充てたことも報告しました。

能登半島地震・能登半島水害における日赤災害医療コーディネートの活動

稲田 眞治さん

日本赤十字社
愛知医療センター
名古屋第二病院 
救命救急センター長

稲田 眞治(いなだ しんじ)さん

令和6年1月の能登半島地震では発災直後から被災地に入り、日赤災害医療コーディネートチームとして活動した稲田医師。ふだんは救急医ですが、珠洲市における救護班のためのテント設営や臨時救護所の開設に奔走。
その2カ月後には、活動の場は輪島市へ。診療を再開していた診療所の医師と共に巡回診療を行い、行政との話し合いを経て、日赤救護班の支援は、「こころのケア」へと移行しました。「市内の診療所の先生方より、『巡回診療を行いたい』との申し出があったときは、自らも被災しながらも、被災者へ寄せる熱い思いを感じました」と振り返ります。

その後、復興に向けて前に進もうとしていた9月には、被災地を豪雨が襲い、河川氾濫・土砂災害が発生。再び被災地に支援に赴き、「こころのケア」を中心に約3カ月活動を行いました。
地震、水害と続いた支援活動を振り返り、稲田医師は、「豪雨被害で市役所が泥だらけになっている状況を見たときは、被災地の疲弊・落胆はいかばかりかと、心が痛みました。厳しい状況にありながらも、全ての支援者が、被災地の命と健康、尊厳を守り抜こうと必死に活動しています。
これからも、継続して被災地を支えていきます」と述べました。