発災時、すぐにチームを派遣! 日赤救護班とは? 【赤十字は、動いてる!SAVE365】今回は「救護班」をPICK UP!

熊本地震発生後、被災地に結集し医療救護活動の連絡調整を行う日赤救護班。中央に田口茂正医師

医療施設運営や血液事業など、日本赤十字社が行うさまざまな事業の中でも、中核を担うのが「国内災害救護」。今回は、日常の備えから災害発生時の活動まで、実際に現場で働く医師・看護師の話や、活動実績を基にご紹介します。

いつ起こるかわからない災害に備えて「救護班」を常備

日赤初の災害救護「磐梯山噴火」(1888年)

 日赤の災害救護活動の歴史は、1888(明治21)年に起きた福島県磐梯山噴火災害にまで遡ります。それまでは戦時救護の対応のみでしたが、噴火の一報を受け、急きょ災害時の救護員派遣を検討。当時の皇后陛下(昭憲皇太后)からの後押しもあり、医師の派遣を決定しました。これが、日赤として最初の災害救護活動です。赤十字病院が誕生したのも、実は救護員養成のため。1901(明治34)年には「天災救護規則」が定められ、災害時には救護班が派遣されるようになりました。なお現在は、全国485班(約5千人/2022年4月1日現在)の救護班が、病院での業務を行いながら、研修や訓練を通じて、災害救護に必要な知識や技術を身に付け、発災時にいち早く駆け付けて救護活動ができるように体制を整えています。

突発的な災害に対応するための指揮系統の確立

常総大雨災害(2015年、関東・東北豪雨災害)における日赤救護班

 日赤では、47都道府県全てに支部を有します。その支部をエリアごとに6つのブロックに分け、各ブロックに代表支部(宮城・東京・愛知・大阪・広島・福岡)を設置。代表支部は、ブロック内の調整役として、有事において、本社や他ブロックからの支援要請などの指揮官としての役割を担います。

 しかし、災害時に救護業務を主体となって行うのは、被災した地域の支部。本社でも、ブロック代表支部でもなく、被災したその地域の支部が、救護体制の指揮命令を担うこととなります。自支部で対応が困難なときは、同一ブロックの代表支部への支援要請、さらには、本社への支援要請と、災害の規模に応じて支援の輪を広げていきます。各支部には、救護に必要な各種車両や無線、テントや照明機器などの物的リソースの他、救護班をはじめ、こころのケア要員や原子力災害医療アドバイザーなど、多彩な人的リソースも有し、災害に備えています。

救護班メンバーは、普段は病院スタッフとして活動しています!

【左】園田 祐子看護師。大学病院勤務を経て、1996年から東京・広尾にある日本赤十字社医療センターに勤務/【右】田口 茂正医師。2006年からさいたま赤十字病院に勤務。2015年関東・東北豪雨災害や2016年熊本地震など災害時に全国で活動

「3.11で「こころのケア」の大切さを再認識」

日本赤十字社医療センター看護部 看護師長
園田 祐子さん

 救護班として最初の派遣は2011年の東日本大震災。発災後2時間未満で都内から出動。救護班研修で先輩たちの体験談から学んだ赤十字らしい活動を自分ができるか不安でした。ある避難所を訪れたとき、私たちが赤十字であることを知った被災者から「こころのケアをお願いします」と。そこは住民の半数近くが津波で亡くなられた地域。生き残った方たちも大切な人を亡くした方ばかりでした。このとき、こころのケアの重要性を痛感しただけでなく、日赤がこころのケアを行うと認知されていることや、赤十字マークを付けた救護班には壁を作らずに声をかけてくださる、という事実に驚きました。地域ごとで日頃から日赤が積み重ねてきた活動の成果だと思っています。なお、救護班は被災地に入った職員だけで活動しているわけではありません。その職員が抜けた病院の業務をみんなでカバーするなど、病院全体で救護活動を行っています。

「SOSを敏感にキャッチする地域密着の活動を」

さいたま赤十字病院 高度救命救急センター長
兼 救急部門第一救急部長
田口 茂正医師

 実は元々DMATとしても活動していますが、日赤救護班として誇りを持つようになったのは東日本大震災から。発災当日にDMATとして仙台に入ったものの救命救急のニーズが少なくて待機。すると日赤の救護班に声がかかり、避難所に向かうことになりました。そこで状況は一変。避難所には医師を必要とする方であふれていたのです。それから半年後、研修で日赤救護活動の全貌を知りました。22万人の命を預かった石巻赤十字病院の奮闘。どの団体よりも早く・長く続けた地道な支援活動。命と健康を守るべき対象はがれきの下にいるとは限らない…。以来、大きな災害が起きるたび、時に悔しい思いもしつつ日赤救護班としても活動しています。私たちの強みを挙げるならば、日赤支部は47都道府県にあり、地域赤十字奉仕団や市町村とのつながりによって被災者のSOSが届きやすく、どこよりも早く動き出す救護団体、ということです。

その時、日赤はどう動く!?

救護班のメンバー構成とは?

 日赤の災害救護業務は大きく5つ、①医療救護、②救援物資の備蓄と配分、③災害時の血液製剤の供給、④義援金の受付と配分、⑤その他災害に必要な業務(防災ボランティアによる活動や外国人の安否調査)が挙げられます。①の医療救護を行う上で、重要な役割を担うのが、「救護班」。その基本編成は、医師1人、看護師長1人、看護師2人、主事(管理要員)2人の計6人。それに加え、必要に応じて薬剤師や助産師、こころのケア要員の帯同が可能とされています。普段は、「救護班」は全国に91ある日赤の病院と各都道府県支部に常時設置され、有事に備えます。その役割は、1人でも多くの人命を救助することに加えて、被災地の医療機関の機能が回復するまでの空白を埋めること。“被災地に一番長く寄り添う”ことを指針として、2011年の東日本大震災では、約6カ月間、現地で救護・支援活動を実施しました。

kyuugo01_RCN995.jpg医師1人・看護師長1人・看護師2人・主事2人

救護班の主な活動は?

 救護班の主な活動は、「応急医療」「助産」「巡回診療」などがあります。被災地に出動すると、災害対策本部などと連携・調整し、けがをした人の治療の他、避難所を中心とした被災者の巡回診療、現地の病院業務の支援などを行います。近年では、被災した方たちへのこころのケアも重要な活動であり、専門医師だけでなく、看護師やボランティアもその役割を担います。積極的に被災者の話に耳を傾け、必要なケアを通じて、自分の力で立ち上がるための手助けを行っています。
 救護班による救護活動の他、救援物資(毛布、安眠セット、緊急セットなど)の配布や緊急仮設診療所となるdERU(domestic Emergency Response Unit / 国内緊急型対応ユニット)の設置なども、救護活動の一環として日赤が担っています。

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2016年 熊本地震のときはどんな活動をした?

日赤は全国に485班の救護班を準備しており、2016年に起きた熊本地震の際には207の救護班を派遣し、巡回診療やdERU(仮設診療所)などで、医療支援や救護活動に当たりました。

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