献血なるほどヒストリー vol.1 「血液銀行」 献血の歴史やトリビアが満載!献血にまつわるさまざまなエピソードを紹介する連載コーナー。第1回は、第二次世界大戦後、米国赤十字社の支援を受けて誕生した「血液銀行」のお話です。

戦後混乱期、「輸血事故」が頻発
日赤は「血液銀行」を開設

 1945年8月の終戦後、社会全体が未曽有の混乱に陥っていた日本では、輸血においても規制のない「放任状態」となり、命を救うために行った生血輸血・枕元輸血()で深刻な病気に感染する事例が頻発しました。

 1948年11月、東京大学医学部付属病院小石川分娩産婦人科で生血輸血による梅毒感染が発生。損害賠償、業務上過失傷害の告訴問題にまで発展して社会の注目を集め、GHQ(連合軍総司令部)からは厚生省と東京都に対して輸血対策への指示が出されます。時を同じくして、日本の復興のため、戦後さまざまなリソースを提供していた米国赤十字社から「血液事業を日本赤十字社が行うならば、必要な機材・資材の援助は惜しまない」と申し入れが。米国赤十字社は米国内で輸血金庫事業(血液バンク)を展開しており、1947年からは各地方血液センターの設立計画を進めていました。

 日赤は調査のために輸血の研究者を米国に派遣。その調査結果を踏まえて準備を進め、米国赤十字社の協力も得て、1952年4月、日本赤十字社東京血液銀行(通称)開設。相互扶助の精神に基づく日赤血液事業のはじまりであり、現在の安全な献血システムに至る礎となりました。


※「生血輸血・枕元輸血」とは
寝ている患者のベッド近くに血液の提供者を寝かせ、提供者から注射器に採血した血液をただちに患者に輸血する方法。
現在は行われていない。

1952年、日本赤十字社東京血液銀行が開設