息子が生きる チャンスをください 難病と闘う少年と両親の闘病記

骨髄・さい帯血の提供で助かる命

「外で思いっきり遊べるようになりたい!」。人一倍元気な男の子が、コロナ禍に血液の難病と診断されたことで病室の中だけで過ごした1年間。そしてようやく見えてきた「さい帯血移植」という希望。息子の命を救うために奮闘するご両親の思い、血液の難病を抱える子どもたちを取り巻く状況についてお父さんに話を伺いました。

ただでさえ苦しい闘病生活。 そこにコロナ禍の制約も加わって…

骨髄ドナー登録を訴える活動の一環として、浩章さんは闘病の様子をSNSで発信しています。
動画ではおどけた表情も見せてくれる謙智くんですが、定期的に腰骨に太い注射を刺す骨髄検査を行うなど、過酷な闘病生活は1年以上にわたって続いています。

 6歳になったばかりの田中謙智(けんち)くんは今年7月末時点で入院生活1年となりました。病名は再生不良性貧血。小児の発症は100万人に2人という国が指定する難病です。

 再生不良性貧血とは血液を作る造血幹細胞に異常が起き、赤血球や白血球、血小板が減少する病気です。貧血になりやすいほか、感染症への抵抗力が落ちる、出血が止まりにくいなどの症状があります。謙智くんは昨年2月に高熱、鼻血が止まらない症状から複数の検査を経て診断されました。 「当初は免疫抑制療法を行っていましたが、期待する治療効果が得られなかったため、昨年10月末から健康な造血幹細胞を移植する手段として『骨髄移植』の検討を始めました。しかし私たち夫婦ともに息子と適合する骨髄の型ではないため親子間の骨髄移植はできず、非血縁者の骨髄ドナーも見つからない…親として苦しくてたまらない状況が続いていました」(父親・田中浩章さん)

 謙智くんが闘病生活を送るのは名古屋の病院。子どもの専門治療ができる病院として入院を決めるとともに、付き添い看護をするために大阪の自宅を売却し、家族で名古屋に転居しました。 「再生不良性貧血は感染症に常に注意しなければいけない病気です。しかし幼い子どもは自分で手指消毒などの感染症対策ができないため、24時間目を離すことができません。しかも謙智が発症したのは、新型コロナウイルスの緊急事態宣言のさなかのこと。この1年間、謙智はほぼずっとクリーンルーム(無菌室病室)で過ごしてきました」  さらに謙智くんの腕は、静脈から心臓入り口部に至るカテーテルが常に挿入された状態です。

「毎日の投薬に加えて、血液の状態が悪いときには輸血にも頼りました。赤血球が極端に減って、唇が真っ白になったことも。輸血によってみるみる顔色がよくなっていく様子を見たときには、献血をしてくださった見知らぬ方々の善意に感謝の気持ちでいっぱいになりました

※浩章さんがSNSにアップした謙智くんの動画はこちらから(外部サイト)ご覧いただけます。

謙智くんが発症する前の家族旅行の写真。「3人そろって青空の下を歩ける日がまたきっと来る。その希望を抱いて家族で病と闘っています」

浩章さんの活動を通して交流が生まれたラグビーの木村貴大選手(モニターに映る)。リモートの画面越しでボールのパスレッスンをしてもらえたことは、闘病生活中の数少ないうれしい思い出になりました

「あなたの決断を待つ人がいます」 誰かの命を救う、移植への協力

入院前はラグビースクールにも通うなど、謙智くんはとても活発な男の子。


「体調が良いときにはベッドで『修行だ~!』と言いながら腹筋をしたりと、元気すぎることも。しかしクリーンルームはカーテンで仕切られただけの4人部屋。同室の小児患者さんに迷惑にならないよう『やさしい声でね』と注意することもあります。親としてはしつけも大切ですが、自宅であれば存分に遊ばせてあげられるのに…と思うと切ない気持ちになります」


 限られたスペースでの長い闘病生活によって謙智くんはもちろんのこと、付き添い看護をするご両親の身体的・精神的な疲労も限界にまで達していました。

「コロナ感染が拡大した今年1月ごろからは夫婦間の付き添い看護の交代がほぼできなくなり、病棟封鎖もあって、妻が24時間一歩も病院から出られなくなりました。親として子どものそばにいられることはうれしい半面、苦しむ子どもを目の前にして見守ることしかできないつらさもそこにはあります。さらに夜中に何度も点滴のアラートが鳴り、十分に眠ることもできない。食事は院内のコンビニ食や差し入れの冷凍食、シャワーは週3回・1回25分間まで。謙智から『お母さん泣いてた』と聞き、妻が倒れないことを祈るしかできない自分がふがいなくなりました」

 謙智くんの骨髄ドナーが見つからない一方で、同じく造血幹細胞移植の手段として有効な「さい帯血移植」に希望の光が。謙智くんに使える“さい帯血”が見つかったのです。

「骨髄と同様に、さい帯(へその緒)と胎盤には造血幹細胞が含まれるため、息子のように移植を待つ患者にとって、さい帯血は希望そのもの。しかし、それを採取できる病院はまだまだ少ないと聞きます。その病院を選択し、さい帯血を提供してくれた方には感謝してもしきれません」

 謙智くんのように移植を待つ人々のために、浩章さんのドナー登録を呼びかける活動は続いています。中でも、さい帯血を提供できるのは出産タイミングのお母さんだけ。骨髄ドナーは満55歳で登録が取り消しとなることから、特に若い人たちの行動に期待を寄せています。

「当初は息子を救いたい一心で始めた活動でした。しかし病院に通う中で、同じように血液の病気と闘う子どもたちの声をカーテン越しにたくさん耳にしてきました。言葉をまだ知らない子が痛みを訴える泣き声、母親に助けを求める声、静かに痛みに耐えてすすり泣く声──。

目の前に患者さんがいなくても、人間には想像力があります。そして若い人たちには想像を行動に変える力があふれている。そう信じてこれからも発信を続けていきます。骨髄提供も、さい帯血提供も、血液の病気で苦しむ患者さんの命を救うのは若い人たちを中心とした多くの方々の行動なのです」

歳の誕生日やクリスマスは病室で迎えました。コロナ禍でお見舞いができないため、祖父母やお友だちとも、面会することができません。謙智くんはときどき「お友だちに会いたい」と言います

謙智くんの腕には中心静脈カテーテルが常に挿入されている状態です。カテーテルを貼ってあるシールは強力で、週に一度、消毒のために剥がすときには「痛い痛い」と泣いてしまうそうです

プロラグビー選手 木村貴大さんインタビュー

オレンジのリストバンドをつけて、病気と闘う謙智くんを応援

 9月4日は謙智くんの誕生日で、謙智くんとオンラインでお祝いしました。明るくてこんなにかわいい子が、なぜ病気に…と思わずにはいられません。

 謙智くんのことは、知人が教えてくれました。浩章さん(謙智くんの父)がSNSなどで始めたドナー登録の呼び掛けをスポーツ選手として協力できないかと知人は僕に期待したようです。実は、僕の学生時代の親友が急性白血病を患って克服したことから、骨髄移植を必要とする病気には特別な思いを抱いていました。その友人、サッカー選手の早川史哉(アルビレックス新潟)は、著書の中で闘病中の不安や孤独を書き綴(つづ)っていて、それを読んで「どうしてもっと支えてやれなかったのか」と激しく後悔して。その思いがあったので、自分から浩章さんにコンタクトを取り、協力してドナー登録の発信活動を始めました。

 謙智くんは病気になる直前にラグビーを始めて、少しだけラグビーのことを知っています。なので、僕の試合の2日前に、謙智くんに「オレンジのリストバンドをつけて闘ってくるから試合を見ていてね」と伝えました。僕が真剣に闘う姿で、謙智くんに元気を与えられたら、と。オレンジはドナー登録の冊子の色。謙智くんや血液の病気と闘う子どもたちのために身につけたリストバンドは、試合後に謙智くんにプレゼントしました。

 僕らのようなスポーツ選手がこういった啓発活動をすると、偽善だと言われることがあります。でも、そんな声よりも、僕らのメッセージで実際に骨髄ドナー登録に興味を持ってくれる人が増えることの方が大事です。オレンジのリストバンドは反響が大きく、たくさんのファンの方々からドナーに登録したという声を聞きました。他のチームにもオレンジ色のシューズ紐(ひも)で試合に出てくれる選手が現れて、ファンやメディアは注目してくれています。スポーツ選手には、こういう影響力がある。僕らの発信で、誰かの命が救われるかもしれない。そう考えて、試合にも啓発活動にも全力で臨んでいます。

きむら・たかひろ 

「ラグビー・リーグワン1部東京サントリーサンゴリアス所属。28歳。日野レッドドルフィンズの木村勇大選手とともに社会貢献活動の団体「SportsCares」を立ち上げ、アスリートの力で社会を元気にする活動を推進している」

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命を救うボランティアにご協力を!

日赤が全国4カ所で運営する「さい帯血バンク」


全国6カ所のさい帯血バンクのうち、日赤は北海道・関東・近畿・九州の4つのブロック血液センターに同バンクを設置し、運営しています。さい帯血の提供には、全国に98ある提携採取施設での出産の他、各種条件があります。

さい帯血バンクについて

献血ルームで受け付け中「骨髄バンクドナー登録」


日赤は、公的機関「日本骨髄バンク」を支援し、献血ルームでのドナー登録の受け付け、登録者データ管理、HLA(ヒト白血球抗原)型検査や患者さんと適合するドナーの検索などを行っています。

ドナー登録について(外部サイト)