生きたかった、だから闘った 病魔と闘い続けた彼の日々を支えたのは「誰かの献血」でした

京都大学に入学後、19歳で希少がんを患い、さらに白血病を発症。入退院を繰り返し、23歳で世を去った山口雄也さん。
病魔と闘い続けた彼の日々を支えたのは「誰かの献血」でした。
亡くなる少し前、体調が良いときに雄也さんは献血を呼び掛ける1本の動画を病室で撮影しました。
今回はその動画の中から雄也さんのメッセージと、雄也さんを見守った方々の声をお届けします。

「献血というとイメージとしては血が足りない方への『血液のお裾分け』みたいなふうに考えていらっしゃる方が国内には結構多いと思うんですけれど、実際のところはそんなものじゃなくて、こういう『戦場』とも呼べるような状況で本当に死の淵に立たされながら、自分で血を作れない人、血を待ち望んでいる人が、その先に待っているということをもっとたくさんの方々に知っていただきたいと思います」

「2021年初頭に白血病の再発がわかり、3度目の移植をしなければならないという状況になりました。医師からは『もう移植をしないでおく』という選択肢も提示されました。今回の移植の成功率が(医師の経験的に)1割未満だったからです。自宅で過ごしていろんな思い出を作り、穏やかに最期を迎えようという選択肢。移植をしなければこの春に僕は死んでしまう。僕は悩み抜きました。恐怖というより自分としての最期はどういう形で終わるのがいいのか…」

「僕の人生がここで終わるとするならば、それはとても短いものだったのかもしれません。これだけたくさんの人に献血に足を運んでいただいて、貴重な血をいただいて、献血されている方々の“命を助けたい”という望みからすると、それができない患者かもしれません。でもこの1年で多くの経験を得られました。いろんな人と会い、美味しいものを食べ、去年はできなかった卒業論文も書けて、大学を卒業することもできました。そのすべてが、これまでの献血・輸血がなければなし得なかったことです。あの日誰かが、献血ルームに足を運んでくださって、その血が僕の体に届いた。1日1日、まるでリレーのように僕の命をつないでくださった。

…より多くの患者さんに、温かい血が不足の心配なく、
あまねく行き渡ることを心より願っています

(2021年3月撮影、山口雄也さんの講演動画「献血で輝くいのち」より抜粋)

雄也さんのメッセージ(動画)とご家族の声は、こちらからご覧いただけます。


【山口雄也(やまぐちゆうや) さんのプロフィール】
1997年10月18日、京都市生まれ。2016年、京都大学工学部地球工学科に入学。2021年4月京都大学大学院工学研究科に入学、同年6月6日、白血病のため逝去。闘病を記録したツイッターのフォロワーは8万8000人以上。ブログ「ヨシナシゴトの捌け口」「或る闘病記」、note「ぐっちのおと」、著書「『がんになって良かった』と言いたい」(徳間書店)

【病歴】
・2016年11月、希少がん「縦隔原発胚細胞腫瘍」が見つかり、切除手術
・2018年6月、急性リンパ性白血病の診断を受け、10月に骨髄移植
・2019年4月、白血病再発、6月にハプロ移植(※)
・同年12月に再再発も、がん消失
・2020年12月、急性骨髄性白血病の発症
・2021年3月、2回目のハプロ移植(※)

※ハプロ移植とは、患者とHLA(白血球の型)が半分一致した血縁者などがドナーになる移植法。HLAが完全一致するよりもがん細胞を攻撃する効果が高いが、患者の臓器を攻撃するGVHD(移植片対宿主病)も強く出るため、リスクも大きい。

≪雄也さんがツイッターで発信した闘病の様子≫

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生前の雄也さんと、遺作の書籍

(上)雄也さんの遺影。最後の入院の前月、友人と伊勢に旅行した際に撮影された (左下)2016年、京都大学の入学式に参加した雄也さんとご両親  (右下)雄也さんの遺作「『がんになって良かった』と言いたい」。自分の体験を示すことで、読者ご自身の「生」を見つめてほしいという願いがこめられた

ご両親から見た、
雄也さんの「生きた証し」

 最初のがんの闘病中から、SNSやブログを通じてたくさんのメッセージを発信してきた雄也さん。その上さらに新聞やネットニュースなどのメディアが大学に通いながら病と闘う雄也さんに注目し、彼を取材した。だが、彼の両親がそれらの情報を知るのは、いつも一般の人の目に触れるのと同じタイミング。雄也さんの母・七美さんは苦笑しながら、こう語る。「取材を受けたことは、ほぼ事後報告でした。雄也のSNSやブログの存在も、本人ではなく知人から教えてもらいました。こんなこと書いていたよと。病人扱いされるのが嫌な子で、怖かったりつらかったりする思いを口にせず、ブログなどで発散していたのでしょう。私たち親も隠れた読者でした」。両親は彼の発信活動を静かに見守り、尊重してきた。

 しかし彼の発信活動は、時に雄也さん自身に向けて逆風となることがあった。匿名の心無い言葉の刃(やいば)の数々。それでも、雄也さんはコロナ禍の献血者数の減少に焦燥感を抱いて、メッセージを発信、このことで議論に巻き込まれ精神的なダメージを受けた。父・睦雅さんは振り返る。「コロナ禍でも、血液を待っている人がたくさんいる。より多くの人に献血に意識を向けてもらうために、 罪悪感を感じながらも、わざと乱暴な書き方をした。何も病状が悪いときに、そんなつらいことをしなくても、と思わずにいられませんでした…」

 白血病の治療中は自分で血液を作れなくなるので、ほぼ毎日、大量の輸血が必要になる。B型という赤血球の型だけでなく、特に雄也さんは繰り返された輸血の影響で、HLAという白血球の型も厳密に指定した特殊な輸血が必要だった。七美さんは輸血を待ち望んでいる雄也さんの姿を一番近くで見守っていた。「輸血をしてもらうと楽になる、と本人も言っていました。リハビリも輸血の後だとスムーズに動けたり、効果が目に見えて分かるので、“リハビリは輸血の後にしたい”と話すこともありました。毎回、医師が採血データを見て必要な血液(血液製剤)をオーダーしますが、特殊な血液なので、届く時間がその日によって違います。夕方や、夜遅くに届くこともあり、私が待ちきれず、血液はいつ届きますか、と看護師さんに聞いたことも。でも、届かないことはなかったので本当に感謝しています。コロナ禍で献血者数がかなり減っている時期だったのに… 」

「最後の移植の時、治る見込みは1割未満だと言われていても、長い時間を掛けて、いつか回復できると信じていました。それは本人も同じだったと思います。座ることもできない完全介助の状態になっても少し状態が上向きになると歩きたい、リハビリしたいと生きる意欲を見せていました。意志の強い子だったので、最後まで、諦めていませんでした」(睦雅さん)

 彼のブログ・SNS・動画には、生きた証しを残す、使命を果たす、という言葉が繰り返し出てくる。実際に、がん闘病の体験をつづった本を出版し、減少した献血者数を増やすことを目的に多くの情報発信をしたことで、彼が生きた証しはこの世界に存在し続けている。そして、ただ存在するだけでなく、そのメッセージは今なお人々の心を強く動かし続けている。

(左)「雄也は治ると信じていました。雄也が亡くなった時も実感が湧かなくて…」と語る睦雅さん
(右)生前のまま残されている雄也さんの部屋で、雄也さんが当選した東京オリンピックのチケットを手にする七美さん。小中高校と陸上部だった雄也さんは東京オリンピックの陸上競技を生で見ることを楽しみにしていた

私が見た雄也さんの闘い
そして献血が、
もっと広まることを願って…

H・ Aさん(21歳・大学生)

「雄也さんとは2019年3月に知り合いました。知り合った後に、彼は白血病の再発で入退院を繰り返しましたが、LINEや電話で連絡を取り合い、ツイッターで書けないような冗談を言い合っていました。治療のことや難しい話ではなく、楽しい話がしたかったようです。彼が弱音やネガティブな発言をするのはあまり聞いたことがありません。SNSだと意見をはっきり言う強い人、という印象ですが、実際の彼は穏やかでやさしく、ひょうきんな性格の人でした。

5月の終わりにツイッターでリハビリで歩行する動画がアップされたとき、私は思わず『すごい!』と声を上げました。起き上がることも難しいと言っていたのに、歩いている! 彼は治る! と。…彼がリハビリの動画を撮り、SNSで発信することは自分を鼓舞すると同時に、同じように病気と闘う仲間に希望を与えたかったのかもしれません。

彼がSNSで献血を呼び掛けたように、いま、私も献血に行くたびにSNSで報告をしています。毎月のように報告していると、友人が献血に興味を持って『私も行ってみたい』と声を掛けてくれるようになりました。先日は、友人5~6人で待ち合わせて一緒に献血しました。入院していた彼に『献血行ってきたよ』と伝えると『ありがとう』とうれしそうに言葉を返してくれたのを覚えています。血液を待っている人がいる。だから、私は献血を続けるし、もっと献血が身近なものになるといいなと思います」

H・Aさんと友人たちの献血記念写真

血液疾患と闘う人を救うために

(赤十字NEWS1月号 紙面より)

山口雄也さんは、講演動画「献血で輝くいのち」の中で2つの登録をお願いされています。


(1)骨髄バンクへのドナー登録

(2) 「HLA適合血小板」献血登録

この2つは血液疾患の患者の「命綱」となるものです。この2つの登録についてはこちらのページでご案内しています。

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雄也さんが命を懸けて発信したメッセージ。

それを受け取った人々の中で
「献血」という命のリレーが広がり、

そのバトンはこの先の未来にも引き継がれていきます。

天命を全うした山口雄也さんのご冥福を心よりお祈りいたします。