赤十字人・近衞忠煇名誉社長の輝く功績 アンリー・デュナン記章受章発表

2015年、第20回国際赤十字・赤新月社連盟総会で発言する近衞連盟会長(当時)

日本赤十字社の近衞忠煇名誉社長がアンリー・デュナン記章を授与されることが発表されました。
1964年にボランティアとして入社以来、50年以上にわたって人道支援の第一線で活躍されてきた功績を振り返ります。

 1965年に創設された「アンリー・デュナン記章」は、国際赤十字・赤新月社運動が2年に1度、個人に授与する最高位の賞です。このたびの近衞名誉社長の受章は、選考委員会の満場一致の決定だったといわれています。
 世界192の国と地域の加盟社を束ねる国際赤十字・赤新月社連盟(以下連盟)の会長を2009年より2期8年間、任期満了まで務め上げた近衞氏は、歴代では初のアジア地域から選出されたリーダーでもありました。
 近衞氏を知る赤十字の関係者たちは、その印象を「良き聞き手」と語ります。とかく国際会議のような場では、実力があり、弁舌も雄弁な欧米などの大国の声が幅を利かせるものです。しかし近衞氏はどんなに小さな国の意見も尊重し、その中身に徹底して耳を傾けました。その誠実な姿勢と静かなる情熱が、人道支援に不可欠な「連帯の精神」を醸成するのに一役買ったことは高く評価されています。
 国際会議の場で、歴代会長でおそらく初めて行った4カ国語(英語・フランス語・スペイン語・アラビア語。いずれも連盟の公式な作業言語)によるスピーチも、会議の出席者に大きな感銘を与えました。語学に堪能な近衞氏ですが、そのいずれにおいてもネイティブ(母国語)ではありません。しかし「言葉で寄り添う」ことがどれだけ相手に敬意を表し、勇気付けるものであるか、若い頃の"ロンドン貧乏留学"やバックパッカーとして世界を巡った経験で熟知していたのでしょう。
 発音の難しいアラビア語に挑戦しようと近衞氏を突き動かしたのは、2011年に勃発、のちに長期化し、赤十字のボランティアや職員の殉職を招く事態となったシリアでの内戦に憂慮してのことでした。

 品格ある穏やかな人柄で知られた一方で、近衞氏は静かなる情熱を持った、徹底した現場主義でもありました。連盟会長に就任した年の翌年のハイチ大地震に始まり、東日本大震災、シリア紛争、エボラ感染拡大の西アフリカなど、被害の甚大な災害の現場には必ず足を運ぶなど、任期8年間で移動した距離は地球36周分の約147万3009km。70歳を超えて、長時間のフライトや整備の不十分な悪路の移動をものともしない気力と情熱には同行者も舌を巻きました。
 人道支援の慌ただしい現場を連盟会長のようなトップが訪問して現場に負担をかけないよう配慮しつつ、近衞氏は「連盟会長自らが支援を国際的に呼びかけることの意義」、そして「現場の最前線で活躍するボランティアの活動が広く認知され、その活動が保障されること」を重んじました。
 近衞氏は日頃から「赤十字を支えるのはボランティアである」と強い信念をもっており、その肝いりの施策として、ボランティアの義務や責任だけでなく、その権利を保証することをうたった「ボランティア憲章」の採択にもこだわりました。自身も赤十字ボランティアだった近衞氏が連盟会長を退任したときには、加盟社代表のみならず、多くのボランティアたちからも感謝が表明されました。
 長年にわたって、その「人道第一主義」を貫いてきた近衞名誉社長。その精神は、これからも世界で活動する赤十字ボランティアと共にあることでしょう。

2016年、シエラレオネ。現地赤十字職員、ボランティアから大歓迎を受ける近衞連盟会長(当時)