最後まで、幸せを守りたい。 家族の時間、家族の思い出を奪っていく新型コロナ

特別養護老人ホームで余生を暮らし、最期を迎えること。超高齢化社会の日本で、それは特別なことではありません。しかしコロナ禍の福祉施設は、想像だにしなかった困難に直面しました。ホーム入所者とその家族の心を守ろうとした日赤施設の取り組みを紹介します。

大好きなお母さん…寂しい思いをさせたくない

2019年、施設の遠足に参加した尚子さん(左)と嘉子さん

日本赤十字社総合福祉センター 
特別養護老人ホーム レクロス広尾
小川嘉子(よしこ)さん(母・享年94歳)
持井尚子(ひさこ)さん(娘)

今年1月、東京都内にある日赤の特養「レクロス広尾」で、小川嘉子さんが94年の人生に幕を下ろそうとしていた時、娘の尚子さんはベッドのそばで「レクロスで最期を迎えられてよかった」という思いをかみしめた。

次から次へと嘉子さんを訪ねてくるレクロスの職員。別の施設に異動していた人まで来た。尚子さんの不安に常に寄り添ってくれた生活相談員の並木さん。並木さんは、意識が朦朧(もうろう)としている嘉子さんの耳元で宝塚の「すみれの花咲く頃」を歌った。宝塚ファンの嘉子さんのために練習したのだ。嘉子さんは一晩中尚子さんに手を握られながら、明け方静かに息を引き取った。

あれから9カ月。尚子さんはコロナ禍で面会ができなかった日々を振り返る。
「会いに行けないのに、母の具合が悪くなったと連絡が入る。母が、家族に見捨てられたと感じたらどうしよう、このままお別れがくるのは嫌だ。焦燥にかられて、母を自宅で看取(みと)ります、と施設に伝えました」。尚子さんは介護の学校にも通いだした。不安を抱えながらも突き進む尚子さんをレクロスの職員は止めなかった。「それが尚子さんの望みなら、そう言って看取りに必要な準備を一緒に考えてくれました。そのうち、私も冷静になり、こんなに家族の希望をかなえようとしてくれるレクロスであればと、考えが変わったんです」。そしてレクロスでの看取りが始まった。コロナ禍で一般の面会が制限される中、看取りの終末期に入ったため、尚子さんが居室に泊まり込むことが認められた。尚子さんは最後の2日間、職員と一緒に体を清拭(せいしき)するなどのケアに携わることができた。
「こんな社会状況であっても、素晴らしい看取りの時間が持てて、言葉にならないほど感謝しています。たくさんの人に温かく見送られて、母も寂しくなく旅立てました…」。この経験から尚子さんは、介護職の資格を取得、「私も、他の方の看取りや家族のケアができれば…」と新たな希望を抱いている。

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レクロス広尾の屋上庭園で入所者とおしゃべりをする並木さん(右)

レクロス広尾 生活相談員 
並木江里子さん

「レクロスは全室個室、さらに10人で1ユニットという少人数グループで生活するため、コロナ禍でも看取り期にはご家族がお部屋に泊まることを認めています。しかし通常の面会は制限されるため、尚子さんは大好きなお母様と会えないことに追い詰められ、自宅で看取ることを考えました。でも、自宅での看取りはレクロスがサポートできない領域で、尚子さん一人で行うのは不可能です。どうすれば実現できるか一緒に検討を重ねました。結果、レクロスでの看取りを選ばれ、多くの職員がお見送りすることができました。私も宝塚の歌をYouTubeで見て覚えて、嘉子さんに聞いてもらえて…。コロナ禍で福祉施設で暮らす方々やご家族にとって困難な状況が続いていますが、施設の職員は皆、できる限りの希望はかなえて差し上げたいと考えています」

コロナ禍で消えた記憶。 それでも諦めない

ビニール越しの面会をする清さんと和子さん

日赤福岡県支部 
特別養護老人ホーム やすらぎの郷
山崎清さん(84歳)・和子さん(82歳)

10月中旬、福岡県にある特養「やすらぎの郷」の施設内に設置されたテントの面会席。分厚いビニール越し、山崎清さんは和子さんの顔を見ながらマイクに向かって呼び掛けた。

「お母さん、来たとよー」。スピーカーから清さんの声が流れても、和子さんはぼんやりしている。清さんは「やっぱり機械を通した声じゃ、伝わらないか…」。8月に福岡でも緊急事態宣言が発令され、やすらぎの郷も何度目かの面会中止を決断した。10月になって面会が再開し、清さんは2カ月ぶりに和子さんと会えたが…認知症が進行している和子さんの反応は薄い。しかし、1年半前に大きなショックを乗り越えた清さんは、これくらいで希望を失うことはない。

和子さんが「やすらぎの郷」に入所したのは2019年6月。入所の翌日から毎日、清さんは和子さんの居室を訪れた。髪をクシで整え、耳掃除をし、車椅子の生活でむくんだ足をもむ。温泉が好きだった和子さんに二人で行った温泉の話をしたり、離れて暮らす息子や孫の話をしたり。ピンクのマニキュアを手に入れて和子さんの爪に塗ってあげたときは、和子さんも「きれい」と喜んだ。清さんはいつも、面会の際には夫婦で暮らしていた頃の服を着た。少しでも思い出してもらうために。

どんどん、昔の記憶が失われていく和子さん。

清さんは、会わないと自分のことも忘れてしまう、という不安から、和子さんの居室で1時間半ほど過ごすのが日課になっていた。そんな中、昨年2月、コロナ禍の面会制限が始まった。4カ月待って、ようやく透明なアクリル板越しで面会ができたとき。和子さんは清さんに不審そうな眼を向け、顔を背けて「お父さんが来ん」とつぶやいた。清さんは全身の力が抜け、生きる気力も失いかけた。

6年前、病院の検査で和子さんが認知症と診断された後、清さんと和子さんは二人で入る墓石を買いに行った。認知症が進行する前に、記憶に焼き付けたいと。そのお墓の前で、夫婦、そして息子や孫たちと記念撮影をした。清さんはその頃から写真を撮りためている。そして毎日、それらの写真や、面会時に撮影した和子さんの写真・動画を繰り返し見ている。
「この頃はまだしっかりしていた、この日の面会では私を分かっていた、と思い返せる。これが励みです」。コロナ禍で会えなくなり、和子さんの記憶から自分が消えた。それでも、「イチからやり直します」と清さん。清さんは今、一日も早くコロナが終息し、面会制限がなくなる日が来ることを待ち望んでいる。かつてのように和子さんの手を握り、マッサージしながら話し掛けることができれば、わずかでも和子さんの記憶はよみがえるはず…。それが、清さんの生きる希望だ。

(写真左)施設に入所する前、和子さんは夫を“探して”徘徊(はいかい)を繰り返すようになった。徘徊のたびにけがをする和子さんに命の危険を感じ、清さんは自宅で介護することを断念した。
(写真右)結婚式当時。同じ高校の後輩である和子さんは明るい人気者で、清さんの一目ぼれだった。活発な性格の和子さんは認知症を発症するまでスポーツジムに通い、地域の交流にも熱心に参加していた。

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和子さんと安達さん。一時期、認知症で怒りっぽくなっていた和子さんも、やすらぎの郷の職員の家族的なケアで穏やかになっていった

やすらぎの郷 生活相談員  
安達 満さん

「昨年の6月、中止されていた面会が再開したとき、顔を背ける奥さんに山崎さんが落胆している姿を横で見て、とても胸が痛みました。コロナ禍の前まで、山崎さんは『お母さんは、家事も育児も仕事も忙しすぎたから、今ようやく休んでいるんです。私には感謝しかない。これは恩返しです』とおっしゃって、毎日通って来られた。面会できなくなっても『ここにいる人の家族は皆つらい思いをしている。自分だけじゃない』と我慢されていた。少しでも早く、お二人を会わせてあげたい、職員は皆、そう思っていました。
 入所者とご家族が会える時間を守るため、感染力が高い変異株が出た時に、施設では感染対策を強化して透明なビニールで空間を完全に遮断したテント面会を始めました。しかし、触れることはできない。この1年半、山崎さんを含め、入所者のご家族は、ご自身が感染しないよう“必死に”自粛生活を送られたようです。万が一感染し、このまま会えなくなったら…と心配されて。コロナが奪ったもの、コロナで犠牲になったことは、あまりに大きいと感じています」