赤十字、世界の「現場」から(4) 赤十字国際委員会(ICRC)が展開する紛争地での保護活動や避難民支援。 その活動現場で切り取られた、知られざる世界の姿、世界の課題。

右側の背番号「8」の選手がハイサムさん(2019年撮影)© Alyona Synenko/ICRC

2018年3月31日、イスラエルとガザの国境で起きたデモで、当時19歳のハイサムは片足を失った。失意の中にいた彼はアンプティサッカー(amputee soccer = 切断者サッカー)チームに参加。前向きに生きる力を得たがコロナ禍で練習が困難に。今年5月、11日間のガザ攻撃で隣家が爆撃を受け、避難を余儀なくされた。

ハイサムの苦悩、そして希望

2021年4月、ラマダン月の始まりに太鼓を叩くハイサム

今年4月中旬、イスラム教徒が断食を行う「ラマダン月」が始まる日、ハイサムは地域の人びとがラマダン直前のサフール食(ラマダン月を遵守する人々が断食を始める前にとる食事)を食べるために起床できるよう、力強くドラムを叩いて近所を回った。
時間は午前2:30。気温は15℃未満。夜明け前の静寂の中、ドラムの音と共に大きな声で家々に呼びかけると、ハイサムの胸の内に熱いものが溢れた。湧き上がる喜び…自分は皆の役に立てている…ハイサムにとって、それは今年最大の幸福だった。

ハイサムの苦難は、片足を失う代わりに命を救われた病院の中から始まった。当時、ガザの病院は医薬品が不足し、足の切断手術を行った患者にすら、十分な痛み止めを処方することができなかった。手術後、ハイサムは足の切断を嘆き悲しむ家族の姿に絶望を深めながら、壮絶な痛みに耐えるしかなかった。

退院後も、想像以上の苦難が待っていた。
友人たちは、なぜ、自分を責めるのか。幼馴染、かつて心を分かち合った友たちが口々に「なぜデモに行ったんだ」と非難してくる。ハイサムは苛立ち、怒り、彼らに不満をぶつけ返した。友人たちは離れていき、ハイサムは孤立した。

足を失う前からハイサムの家の暮らしは貧しく、タクシードライバーの父親の稼ぎだけで子ども10人を養っていくのは困難だった。ハイサムは年若い子がするように道端で煙草を売る商売をはじめた。だが長くは続けられなかった。客は、車からわざわざ降りて煙草を買ってくれる。なぜか。片足の自分に同情しているからだ。客たちが施しとして煙草を買ってくれることに嫌気がさし、ハイサムはその仕事を続けられなくなった。

そんな中で始めたアンプティサッカー。
どんなに困難な状況でも、命を輝かせることはできる。
彼はさらに、障害者のためのサマーキャンプに参加してみた。
そこに待っていた、美しい彼女との出会い。
彼の人生は、まだまだこれから、幸福を掴めるのではないかと思われた。彼女の家族から結婚を反対され、彼女を諦めるまでは…。

希望が芽を出せば、踏みにじられる。
コロナ禍で、サッカーの練習も試合も中止。ハイサムがICRCの支援を受けてスタートさせたゲームカフェも閉店となった。

今年5月、ハイサムが夜明け前に太鼓を叩いたラマダン月の直後、ガザでは11日間の激しい紛争が勃発した。隣家がミサイルで爆撃され、家族と一緒に一刻も早く避難しなくてはならず、ハイサムは義足を置いていかざるを得なかった。

紛争が止んでも、封鎖が続くガザで生きていく現実は厳しい。
それでもハイサムは、今日を生きるために、新しい夢を描き始めている。

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【写真の背景~ガザ地区の障害者~】

繰り返される戦闘や混乱で、ガザの人口200万のうち約1600人が腕や足を切断された(2019年当時)。コロナ禍前から封鎖が続き、経済状況や物資調達が困難なガザの失業率は約5割。特に就業が困難な障害者に対してもICRCは融資をし、起業をサポートしている。

紛争地域におけるICRCの支援活動について、詳しくはこちら