慈しみは国も時代も越えて 「昭憲皇太后基金」、記念すべき100回目の配分

「昭憲皇太后基金」は、昭憲皇太后(明治天皇の皇后)が1912年の赤十字国際会議に際し、各国赤十字社の平時の活動を奨励するためにご寄付された10万円(現在の3億5千万円相当)を基に創設されました。
 当時、戦時救護を主に行っていた赤十字において、自然災害や疾病予防等の平時活動を行うための基金設立は画期的なことであり、世界の国際開発援助の先駆けとなりました。また、100年以上継続している平時の人道活動を対象とした世界最古の国際人道基金とも言われています。
Empress_02.jpg 同基金は、国際赤十字の中に設けられた合同管理委員会によって運営され、皇室をはじめとする日本からの寄付金によって支えられており、原資を切り崩すことなく、そこから得られる利子が世界の赤十字社の活動に配分されます。毎年、昭憲皇太后のご命日にあたる4月11日の前後に配分先が発表され、今年度は、記念すべき「100回目の配分」となります。
 昭憲皇太后が平時活動を奨励されたのは、磐梯山噴火という明治の大災害がきっかけでした。その慈しみの御心は、災害救護だけでなく、苦難を抱える人すべてに向けられ、同基金では「青少年への教育」「人身売買の防止啓発」「交通安全の促進」など、さまざまな課題解決に役立てられています。今回はその支援の一部をご紹介します。

100回目の配分先について詳しくはこちら

2010年/シエラレオネ赤十字社 「青年ブラスバンドプロジェクト」

地方支部にも新しいブラスバンドが立ち上がり、活動が広がっている

1991年から11年間にわたる内戦によって、多くの子どもが兵士として駆り出され、住民同士の殺し合いに参加させられていたシエラレオネ。心のよりどころを求める若者たちに居場所や目的を与え、「心の復興」を目指すのが、青年ブラスバンドプロジェクト。「銃を捨ててトランペットを!ギャングよりもバンドへ!」と呼び掛け、音楽活動を通じて犯罪などへの誘惑が多い若者を見守るサポートも行う。バンドには演奏依頼が増え、出演料で活動費を捻出できるほどに発展した。

1998年、内戦中のシエラレオネの村で武装する若者(※ブラスバンドの参加者とは異なります)(C) ICRC

2011年/バヌアツ赤十字社 「脆弱(ぜいじゃく)な地域における若者の支援」

講習プログラムの修了者には修了証と昭憲皇太后のTシャツが贈られた

学校に通えない若者に無料講習で教育の機会を!

バヌアツでは中等教育から有料になるため、学校に通えない若者が多い。この事業は、救急法や災害対応などの講習を行っており、若者たちに無料で教育を受ける機会を与えている。2011年の受講者は216人。修了者の中には、薬物とアルコール中毒だった若者もおり、その一人は「赤十字の活動に参加し、自分をコントロールできるようになった」と語った。

2014年/セルビア赤十字社 「子どもと若者の人身売買の防止」

人身売買対策プロジェクトとして、10日間のサマースクールを開催。弱い立場に置かれた2000人以上の子どもや若者が参加し、人身売買についての学習や予防策についての知識を得た。また、セルビア全土で若い教育者100人に研修を実施し、活動の質の向上を図った。

2017年/キルギス赤新月社 「交通安全の促進」

教育省職員を迎えて交通ルールの教材を作成し、10校約3500人の生徒が参加した。歩行者と運転者の安全な行動を啓発することで、交通事故の件数も減少。このプロジェクトはSNSで積極的に拡散され、キルギスタン国内のテレビ放送でも取り上げられた。

2019年/タイ赤十字社 「緊急時のWASH事業支援」

緊急時における「水・衛生・保健(WASH)」事業の推進のために基金が使われた。技術者や看護師ら、特に被災地のスタッフの能力向上のため研修やマニュアルの整備を促進。また、被災者のための衛生項目や資機材の整備を通して、WASH事業を強化した。

「世界の姿」を教えてくれる昭憲皇太后基金

明治神宮 国際神道文化研究所 主任研究員
今泉宜子(いまいずみよしこ)さん

 現在私は、昭憲皇太后がお召しになられた最古のドレス、大礼服の修復プロジェクトに参加しています。その活動で明らかになったのは、欧州で作ったと思われていたドレスに日本独自の刺繍や装飾をほどこされていた、ということ。外交の場で皇太后は日本の優れた技術を諸外国に示されたのだと考えられます。皇太后は御心を日本へ向けるのと同様に、海外へも愛を贈られました。それが「昭憲皇太后基金」です。しかしこの基金が、いくつもの戦争も乗り越え、今日まで継続できたのは、ある特別な事情があったから。
 1912年に設立されたこの基金は、スイスの銀行に預けられた元金の利子から支援の配分を行います。ところが、社会経済の変化、預金利子の低下などにより、最初の元金だけでは基金の存続が危ぶまれる事態に。そのため、日本赤十字社は、明治神宮などに協力を仰ぎ、昭憲皇太后の御心を守るための募金や寄付を募りました。この活動は第二次世界大戦後に幾度も行われ、結果、日本中から寄付が集まり、元金が増え、利子による支援の継続が叶(かな)えられました。社会福祉や国際協力のための基金は世界中にありますが、昭憲皇太后基金がこんなにも長く続くのは、日本の皆さんのおかげ。けれども一方で、日本という小さな島国で暮らす我々は、昭憲皇太后基金の配分によって、広い世界でどのような人道支援が必要とされているかを毎年、知ることができます。これこそまさに、日本の内と外、広く世界へ眼差(まなざ)しを向けた昭憲皇太后の願いが具現化した基金だと言えるのではないでしょうか。

(※今回の記事は、今泉さんが基金の支援先を実際に取材してまとめた著書『明治日本のナイチンゲールたち 世界を救い続ける赤十字「昭憲皇太后基金」の100年』(扶桑社)から一部を構成しました)