WORLD NEWS:シリア、終わりのない苦悩 / 赤十字、世界の「現場」から シリア危機から10年。浮かび上がる残酷な実態。

2011年3月、東日本大震災の直後に勃発した紛争は、現在もなお、シリアの人々を苦しめています。 ICRC(赤十字国際委員会)の調査結果とともに、シリアの若者の“今”をリポートします。

子どもたちの6人に1人は、両親の一方もしくは両方が重傷か死亡という悲劇に見舞われている。

破壊と喪失の10年、シリアの若者が払った大きな犠牲

第二次世界大戦後、最大級の人道危機といわれる「シリア危機」は、2021年3月で丸10年を迎えました。内戦によっていたるところが破壊され、2016年に停戦合意した後も先行きは不透明なまま。560万人以上が国外に脱出し、国内でも家や土地を手放して逃げる多くの避難民を発生させました。こうしたシリアの状況を踏まえて、ICRCはシリアやレバノン、ドイツで暮らす18〜25歳のシリア出身の若者1400人を対象に調査を実施。その結果、浮き彫りになったのは、シリアの若者が払った犠牲の大きさです。回答者の約半数は紛争のせいで収入を得られず、約77%は食料・生活必需品の入手に苦戦(レバノンで暮らす若者の場合この数字は約85%に上昇)。57%は何年も教育を受けられず、5人に1人が予定していた結婚を延期。また、シリアで暮らす若者は不安(73%)、抑うつ(58%)、睡眠障害(54%)などに苦しんでいます。

インタビューに答えるアフマドさん。

青年時代のほとんどを暴力で失った、そんな彼らの肩に掛かる「復興」の使命

シリアから逃げ、隣国レバノンで苦しい生活を強いられているアフマドさん(23)。シリア危機が起きた当時は13歳、将来は数学教師になる夢がありましたが15歳から教育を受けられず、避難途中で負ったケガの後遺症で肉体労働もままなりません。そんな彼が現在の胸の内を語りました。 「僕の村では大人も子どもも楽しいことが大好きで、いつも笑い声があふれていました。今いる場所には笑いはなく、全てが停止していて、ただ朝起きて、一日を過ごして夜になったら眠る、それだけの毎日です。親友を失った時、内臓の1つを失ったように感じてその感覚が今も続いています。ICRCのスタッフがこころのケアのボランティアに誘ってくれたのは救いでした。苦しんでいる人を支えることができたから。でも、COVID-19でそれもできなくなりました」  アフマドさんのように、シリアの若者たちは10代・20代の大切な時期を紛争に奪われ、しかも未来においても、復興への険しい道のりの負担を否応なしに背負うことになります。ICRCジュネーブ本部のロバート・マルディーニ事務局長は次にように語ります。 「すべてのシリア人にとって、破壊と喪失の10年間でした。特に若者たちは、愛する人や機会、将来の見通しさえも奪われました」  さらに2020年は経済危機とコロナ禍がシリアを襲い、何百万もの人々がこれまで以上に困窮し、追い詰められました。現在、シリアの総人口約1939万人のうち約1340万人が人道支援を必要としていますが、これは東京都の人口(約1390万人)に匹敵する規模です。  日本では東日本大震災から10年がたち、被災地には復興の兆しも見えています。10年という時の流れは同じですが、シリアの紛争被害者にとってはわずかな希望も奪われ続けた10年でした。それでもなお、シリアの若者たちは母国を思い、明るい未来を必死に思い描こうとしています。日赤も彼らが立ち直るための支援を続けていきます。

赤十字、 世界の「現場」から supported by ICRC

ICRC(赤十字国際委員会)が展開する紛争地での保護活動や避難民の支援。その活動現場で切り取られた、知られざる世界の姿、世界の課題。


写真は2012年7月、激戦下のアレッポにて。戦火に巻き込まれた息子(包帯を頭に巻いている)を前に、嘆き悲しむ兄弟をなだめ、カメラをじっと見据える父親。その目と表情に、心を抉られる一枚。


当時のシリアでは、恐怖を植え付け抑圧するため、民間人が計画的に攻撃されていた。戦車や迫撃砲、戦闘機に加えて短距離弾道ミサイルが使われるようになると、その威力と衝撃波によってアレッポの一部が跡形もなく消滅し、人々の恐怖は極限に達した。撮影はリカルド・ガルシア・ヴィラノーヴァ(フリーカメラマン)。