日本赤十字社名誉社長 近衞忠煇がアンリー・デュナン記章を受章

~「第26回」 アンリー・デュナン記章受章者発表~

赤十字・赤新月常置委員会(スイス・ジュネーブ)より、 12月21日に「第26回アンリー・デュナン記章」の受章者の発表がありました。同章は個人を対象とした国際赤十字・赤新月運動における最高位の褒章で、2年に1度選考が行われています。
今回は、7か国から7名が受章し、日本からは、日本赤十字社名誉社長 近衞 忠煇(このえ ただてる)が受章しました。

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近衞名誉社長は、アジア地域出身者初の国際赤十字・赤新月社連盟の会長(在2009年~2017年)として、2010年のハイチ地震などの自然災害だけでなく、2013年には紛争の長期化が懸念されていたシリア、2016年にはエボラ感染症に見舞われた西アフリカなど、世界の様々な人道支援の現場に精力的に足を運び、求められる人道支援について世界に訴えるとともに、対応にあたる赤十字ボランティアや職員の活動が広く認知され、保障されるよう現地政府等へ働きかけました。

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さらに、各国の首脳や国際機関の長などとも会談を重ね、世界的な人道問題への取り組みを促すための「人道外交」を展開しました。また、2011年に自国で起きた東日本大震災では、国際救援の受け入れにかかる統制と調整を行い、80か国以上の赤十字・赤新月社からの支援に基づく復興支援事業を実現しました。今回の受章は、人道・博愛の精神を具現化するため長年にわたり、広く世界の平和と福祉の増進に精力的に貢献した功績が認められたものです。

なお、1969年の第1回授与からの受章者総数は159名となり、日本からの受章者は1971年受章の橋本祐子氏(元・日本赤十字社青少年課長)に続き2人目となります。
授与式は来年、スイス・ジュネーブにて執り行われる予定です。日程につきましては、詳細が決まりましたら改めてお知らせいたします。

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【アンリー・デュナン記章の概要】
同記章は、国際赤十字・赤新月社運動が個人に授与する最高位の栄誉です。赤十字・赤新月常置委員会(スイス・ジュネーブ)が隔年ごとに選考します。赤十字において、赤十字組織における地位のいかんを問わず、主に国際的に重要な役割を果たし、多大な貢献をした者を称えることを目的としています。
赤十字の創設者であるアンリー・デュナンの名が記された同記章は、赤十字誕生100周年を記念して1963年に赤十字代表者会議で提案され、1965年の第20回赤十字国際会議で創設されました。1969年に第1回の授与が行われ、それ以来、隔年で赤十字・赤新月常置委員会(スイス・ジュネーブ)から受章者が発表されています。なお、授与式は国際赤十字・赤新月運動代表者会議の場で行われます。
また、同記章は、赤十字の中央にアンリー・デュナンの像と「1828~1910年 アンリー・デュナン」の文字があり、緑と赤のリボンがあしらわれています。

【アンリー・デュナン記章の受章基準】
同記章は、以下のような国際的に顕著な貢献をした個人を称えるものです。
(1)人道分野における国際法及び国際政策の発展・促進、又は赤十字の伝統や理念の国際的な保存・促進に対する国際赤十字・赤新月運動への顕著な貢献をした者。
(2)国際赤十字・赤新月運動に影響を与え、赤十字による国際支援を強化するなど、国や地方における人道分野での特に優れた先駆的な功績のある者。

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【受章者のプロフィール】
■近衞 忠煇(このえ ただてる)
■東京都生まれ(82歳)
■現  職:
 日本赤十字社名誉社長
■主な功績:
2009年にアジア地域出身者として初めて国際赤十字・赤新月社連盟(以下、「IFRC」)の会長に就任し、2017年まで2期8年間の任期を努めた。
IFRC会長在任中は、各国政府や国連機関に働きかける「人道外交」を行い、各国赤十字が抱える複雑な諸問題に
忍耐強く対応し、解決に向け尽力。また、世界各地の人道活動や災害の現場にも足を運び、現地のボランティアや
職員に寄り添って活動してきた。

画像 IFRC会長任期を満了(2017年)

2010年に広島市で開かれた第11回ノーベル平和賞受賞者世界サミットではIFRCを代表し、「核兵器は人道の理念に反する兵器である」とスピーチで明確に述べ、また、2011年にジュネーブで開かれた国際赤十字・赤新月運動代表者会議では決議「核兵器廃絶への歩み」の採択を実現するなど、2017年の核兵器禁止条約制定に至るまで、日本出身のIFRC会長として、赤十字の核兵器廃絶への取り組みにも国際的に大きく貢献した。

画像 IFRC 総会(2011 年) 会長として議長を務める

同氏は、1964年に日本赤十字社入社以来50年以上にわたり赤十字事業に従事し、1984年からの飢餓で100万人もの犠牲者が出たと言われるエチオピアにはIFRC災害対策部長(当時)として自ら赴き、長期的な環境対策として「循環できる農林漁業」という開発計画を策定した。また、1991年のソビエト連邦崩壊後に大きな社会的混乱が生じ食料品や医薬品の不足が深刻化したロシアへの人道支援事業や1996年のペルー日本大使公邸人質事件において人質となった邦人の健康管理や食料・衣類の搬入等の支援の実現にも尽力した。

画像 エボラ出血熱(2016年)シエラレオネ復興支援

日本赤十字社の国際活動には、災害や紛争直後の人道ニーズに応え、救護員派遣などを行う「緊急救援」、被災地住民が災害前の生活に戻れるよう医療施設や学校といったインフラ整備等を行う「復興支援」、災害の防止や被害軽減等のため地域社会の適応力を向上させる「開発協力」等があり、いずれにも同氏は献身的な活動を続け、世界の平和と福祉の増進に努めた。