リーダーシップを発揮する女性たち~国際女性デー特別インタビュー~

赤十字国際委員会の方たち フィリピン南部台風に対応した赤十字国際委員会(ICRC)の基礎保健活動での一場面(写真手前中央が伊藤副院長)

国際女性デー(3月8日)は国やコミュニティの中で特筆すべき役割を果たしてきた女性たちの勇気や決断、行動を称え、ジェンダー平等に向けた変革を呼びかける日です。
 今年の国際女性デーのテーマは、「リーダーシップを発揮する女性たち:コロナ禍の世界で平等な未来を実現する」。日本赤十字社の国際活動において、大規模災害後の被災地や紛争地域という厳しいセキュリティ環境の中で、チームを率いてきたリーダーの中には女性もいます。国際女性デーに寄せ、女性のリーダーシップを開拓してきた先駆者たちにインタビューしました。

紛争地域でリーダーシップを発揮

伊藤副院長

名古屋第二赤十字病院 伊藤 明子 副院長

1988年のカンボジア・ベトナム難民支援に始まり、紛争地域での医療救援活動を中心に14回派遣され、現場で活躍。国際赤十字の医療チームを事業責任者として指揮しました。国際活動の経験を生かして、国内の大きな災害においても被災した地域や医療施設のコーディネーターとして支えた活動が評価され、2017年には顕著な功績のあった看護師等に贈られる世界最高の記章であるフローレンス・ナイチンゲール記章を受賞されました。現在は、名古屋第二赤十字病院の副院長として病院経営に臨み、後進育成に注力しています。

国際活動に参加しようと思ったきっかけを教えてください

学生のとき飢餓に苦しむ子どものポスターを見て、「苦しむ子どもたちを助けられたらな」と考えたのがきっかけです。赤十字看護専門学校の研修旅行で日赤の国際活動の話を聞き、「小さい頃に考えていたことが、赤十字の看護師になるとできるのだ」と知りました。松江赤十字病院に就職して1年目に、同じ病院の外科医がカンボジアに派遣され、地方にいても国際活動に行けるかもしれないと考えるようになりました。「気持ちだけでは人は助けられない」と思い、まずは看護師として自立できることを目指しました。

紛争地域での活動が多いですが、リーダーとして派遣される中でどんな苦労があったのでしょうか?女性リーダーとしての困難はありましたか?

2002年にアフガニスタンで日赤と赤十字国際委員会(ICRC)が医療復興支援の共同事業を実施することになりました。それまでのICRCの経験が評価され、ヘッドナース、プロジェクトマネージャーを任されることになりましたが、メンバーの半分が日本人という環境で、多国籍チームとはまた違った難しさに直面しました。プロジェクトマネージャーは医療活動のトップという立場。外国では、性別や職種に関わらず、能力や適性がある人がそのポジションに就くのが自然です。日本では、職種によっては女性の上司のもとで働いた経験のある人はまだ少なく、医師の立場が看護師の上に位置づけられる傾向があります。そのため、日本人の多いチームの中でリーダーを担う際は、自分はこの役割を遂行するためにやっているのだということが言葉や行動で伝わるよう配慮しました。

アフガニスタンでの活動の様子 アフガニスタンのミルワイズ地域病院ではプロジェクトリーダーとして活動

また、アフガニスタンでは、リーダーは男性であることがほとんどでしたので、彼等が大事にしている文化的な接し方、座る位置、挨拶の仕方などには配慮して行動しました。今は状況も変わっているかもしれませんが、当時、女性は肉親の男性のエスコートなしには外出することが許されていませんでした。彼らが大事にしていることを自分も大事にすることで信頼関係を築き、根気強くあることで真意が伝わり、やっと交渉のテーブルに着くことができたこともありました。何気ない日常会話をしながら、関係づくりを大切にしていました。私が彼らの文化を尊重していたことは、女性である自分を否定することとは違います。

長年、紛争地域で活動された中で印象的な出来事はありますか?

アフガニスタンで、病院での仕事を終え宿舎に戻った夕方、近隣で自爆テロが発生しました。戦車や銃を持った兵士が行き交い、まさに今戦争が始まったのではないかという様相でした。多数の負傷者が病院に運ばれてくることが予想されましたが、道路が封鎖され、応援のスタッフが駆け付けられず、私たちの宿舎から外国人スタッフを病院に出すことになりました。
 赤十字のマークを付けていても何が起こるか分からない中、同僚を送り出して良いのか大変迷いました。多くの志願者の中で、冷静に状況を判断できる人を選び、義務ではないことを伝え、本人の意思確認と了解の下病院へ送り出しました。彼らの帰りを祈りながら過ごし、無事戻ったときは涙が出るほど安堵しました。
 後日、行った人、行きたいのに行けなかった人に対し、体験を共有し、感じたことや思ったことを伝えあう場(デフュージング)を設け、チームの団結力を深めることができました。

そのような難しい状況の中、リーダーとしてどのように冷静を保ったのですか?また、続けてこられた秘訣は?

安全を第一に考えなければ、という使命感がありました。被災者の命も、救援者の命も、すべてのいのちは大切で、失っていい命はありません。特に外国人スタッフに何か起こると撤退命令が出てしまいます。私たちが撤退することで人道支援のドアが閉まり、助けられるはずの多くの人々が助けられなくなってしまうのです。
 日本でも困っている人はいます。日本には救う人々もたくさんいますが、紛争地域では救うことのできる人は限られています。(続けてこられたのは)もし自分がその限られた人になれるなら、その機会を大切にしたい、という思いがあるためです。

人道支援を志す女性に一言お願いします

女性だからという考えはありませんが、私は、状況を俯瞰し、凛とした態度でいろいろなことに前向きに立ち向かうことを大切にしています。よく若い方に伝えるのは、人道支援を考える前に「人として」大事にすべきこと、やるべきこと、守らなければならないことを守りましょうということです。それと、自分のことだけを考えて生きるのではなく、目の前にいない人道支援の対象者のことを考えて生きる。
 今この瞬間もあらゆる状況下にある人々の生活を想像し、思いを寄せながら、日常生活をどのように暮らすのかが大切なのではないかと思っています。自分が置かれている場所で、今の自分にできることを一生懸命行動することで、夢や道は開かれてくると思います。

緊急救援活動の現場で学び得たリーダーシップ

聡子医師

日本赤十字社和歌山医療センター
大津 聡子 医師

2001年より、日本赤十字社和歌山医療センターに勤務。  以来、海外で発生した大きな災害での緊急救援活動など数多くの国際支援の現場で活躍。現在は、WHOベトナム国事務所の疾病対策チームコーディネーター兼健康危機管理(WHO Health Emergency: WHE)チームリーダーとして、国の疾病対策に関する行動計画の策定から実施のための支援やパンデミック対策などの支援、さらに、2020年初めから世界的な健康危機問題である新型コロナウイルス対策と対応に、ベトナム政府やカウンターパートとともに取り組んでいます。

国際活動に参加しようと思ったきっかけを教えてください

日本赤十字社和歌山医療センターに入職したのは、アメリカ同時多発テロ事件 が発生した年です。その年に、パキスタンの国境の町でアフガニスタンから逃れてきた人々の救援活動に参加することになりました。この時は自分が国際活動、人道支援に長く関わっていくことになるとは想像もしていませんでした。

参加した緊急救援活動のほとんどがチームリーダーとしての派遣ですね

最初にチームリーダーとして派遣されたのは、スマトラ沖地震(2005年)です。その後ジャワ島中部地震、ケニア洪水、フィリピン中部台風の救援活動等でチームリーダーを経験しました。今思い返せばすべてよい思い出ですが、リーダーのあり方などを考えさせられた点で思い出深いのは、ジャワ島中部地震です。日本人だけでなく他国の赤十字社スタッフを含めたチームを束ねなければならず、仕事を的確に割り振り、チームの輪を保ちながら束ねていくことの難しさを実感しました。当時30代半ばで、自分自身チームの中で若輩者という甘えの意識もあり、リーダーとしての役割を十分に全うできなかった気がします。

スマトラ島沖地震での診療の様子 リーダーとして初めて活動することになったスマトラ島沖地震での診療活動

女性ならではの難しさを感じた経験はありますか?

女性だから意見を聞いてもらえなかった、不利に感じたという経験は、幸い今までありません。赤十字や国際の現場で感じるのは、女性も男性も等しく責任を背負いプロフェッショナルとして立ち振舞っているということ。女性ならではの経験を挙げるとしたら、パキスタンで、自分が女性の医師だったからこそ、女性の患者さんを診ることができたので、「女性でよかった!」と思いました。

人道支援に関わってきて嬉しかったことは?

津波被害後のスリランカに復興支援事業で派遣された時、現地の赤十字スタッフ、赤十字ボランティアの人々とともに「眼科支援事業」を立ち上げました。スリランカの多くの被災現場を訪問する中で、強い直射日光の影響か、白内障で視力を失う方が多くいること、長い内戦のため眼科医が地域に全くいないこと、津波で経済状況が悪化し、生活支援のためにも視力回復支援が必要なことが分かったからです。 

被災現場訪問の様子

スリランカでは現地赤十字社、ボランティアと二人三脚で奔走した

スリランカ赤十字社や赤十字ボランティアの人々と一緒に奔走し、ついに村で眼科検診を実施し、手術が必要な人にはその支援をするという事業を立ち上げることができました。この時、現地の人による現地の人々のための事業を成功させるために仕事ができたことが、とても嬉しかったです。しかし、この事業は、自分の帰国後まもなくして止まってしまうという苦い経験にもなりました。プロジェクトは一人のリーダーに頼らない、持続可能なものでなければいけない。さらに、後々のことを考え、後に続く人が出てくる環境を作ることもリーダーの役割なのだと学びました。

女性がリーダーとして活躍するために必要な要素は?

性別問わず、先を読み、うまく役割分担をし、メンバー一人ひとりが責任を持って動けるようなチーム運営のできる「良きリーダー」が必要だと考えます。私は、人道支援や公衆衛生の現場は、「組織」のためではなく「人」のために働いていると思います。その意識をメンバーと共有すること、そして信頼し任せたら、細かいことは言わず、あとは責任を取る。これがリーダーとしての今の自分の役割だと考えています。

最後にメッセージをお願いします!

自分の仕事を「案外楽しい」と思えたら。与えられた仕事を一生懸命やっていると、どんな結果であれ、どこかに到達し、そこからさらに広がっていく気がします。赤十字に入る前には、今の自分の姿を全く想像していませんでした。パキスタンで赤十字の名の下で仕事をさせてもらい、いろいろあったけれども、結局、案外楽しかったことが今の自分につながっていると思います。

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~国際赤十字に生まれる女性の連帯~

GLOW Red

国際赤十字では、GLOWred(グロウレッド)という、赤十字運動内の、女性のリーダーシップ促進のための共同体が組織されており、女性リーダー育成のためのピアコーチングの提供、"100voices"と呼ばれるプロジェクトを通じた優良事例の共有、意思決定機関における女性の割合増加を求めるアドボカシー活動などを展開しています。
"100voices"では、世界各地の、立場や年代の異なる、様々な女性リーダーのエピソードを読むことができます。ぜひご覧ください! 
サイトURL: https://www.glowred.org/