シリーズ「関東大震災100年」 ~当時の資料から県内の様子をひもとく~(2)

 第2回目は当時の救護活動について振り返ります。
 「自分が被災者であっても赤十字の救護員が救護活動をしないことは許されない」支部の救護員はその思いから、看護婦らを率いてすぐさま臨時救護所を設営。この素早い対応は日ごろからの訓練の現れでした。
 92日には本社から派遣された救護班の応援を得て、支部の焼け跡に仮事務所を設営。更に翌3日には各支部からの応援も続々と駆け付けました。
最終的には県内36ヵ所に臨時救護所を設置し、県内だけでのべ53万人以上の患者を診療しました。
 ※一部、当時の表記を用いています。

20230830-67fb27d09b95c4cfe74deb70f0a42aea7a2a28f5.jpg

▲急造の支部救護所

20230830-ddce3ec927218663baea9677b1ef9f36f2a2d59a.jpg

▲横浜公園救護所