私の活動は「生きるを支えるため」

人の痛みや苦しみに目を向け、「想像力」を行動の土台に。

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赤十字健康生活支援講習指導員 奥原 ます子さん

Q.看護師を目指されたのは、どんなきっかけですか?

実は私、子どもの頃は血を見ただけで泣いてしまうような子だったんです(笑)。だから看護師は無理だとしても、将来は保健師か、障がいのある人やお年寄りなどの施設で働きたいという思いがあったんです。高校卒業後、諏訪赤十字高等看護学院で3年間学び、諏訪地域の基幹病院である諏訪赤十字病院に看護師として就職しました。

臨床現場を4年経験した後、日本赤十字社幹部看護婦研修所(現 日本赤十字社幹部看護師研修センター)で1年間学びます。この時、看護師にも、後輩を育てたり、看護学生を教育するといった道もあることに気づきました。それ以降、看護師としての業務のかたわら、臨床指導教師として後輩看護師の育成、他施設の看護職の研修などにも携わるように。私にはそれが面白く、やりがいに感じるようになっていきました。

Q.赤十字の活動にも早くから携わってこられたんですね。

1989(平成2)年には赤十字家庭看護法指導員(現 健康生活支援講習指導員)の資格を取得。諏訪エリアの地域公民館を回り、地域の皆さんにお年寄りが健やかに老いることについて講演したり、家庭で介護するための具体的な介護技術を教えたりといった活動を始めました。さらに、介護施設で働く職員やヘルパーさんの技術教育を行ったり、長野県看護大学や看護専門学校、介護福祉専門学校などで救急看護・災害看護、家庭看護法・健康生活支援講習などの講習、看護指導員の養成などに携わってきました。

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健康生活支援講習指導員になったことがきっかけで、「お年寄り」「在宅」「地域で生きる」というテーマが私のライフワークになったのです。

諏訪赤十字病院内に在宅ホスピスを立ち上げた時のことです。36歳の男性がん患者の年末年始を自宅で過ごしたいという思いに応えたのですが、その時、奥さんに「奥原さんから在宅での洗髪の仕方など教えてもらったおかげで、主人が帰ってきても困らない」と喜ばれました。30代の頃から普及に努めてきた在宅介護技術がここで生かされたと、とても手応えを感じましたね。

今、地域包括ケアシステムの構築が進められていますが、介護者の負担を少なくして介護力を上げるといった、在宅介護技術を身につけることが重要な課題になってきていると実感しています。

Q.現在は介護老人保健施設にお勤めなんですね。

2010(平成22)年、長く勤めてきた諏訪赤十字病院を退職。地元の松本市に戻り、私がこれまで諏訪で培ってきたことを地元に返していこうと考えました。現在、松本市内にある介護老人保健施設の施設長として、施設管理、マネージメントと看護実践の業務に携わっています。

今は100歳を生きる時代。「人生の最期、どこで、どう過ごしたいですか」と、私は30〜40代の若い頃からずっと地域で呼びかけてきましたが、今まさにエンドオブライフをどう支えるかというテーマに取り組んでいるところです。自分がどう健やかに老い、自分らしく最後を迎えるか。それはもちろん、自分自身のテーマでもあります。

もちろん、地域の赤十字奉仕団の健康生活支援講習、災害時高齢者生活支援講習なども継続しています。また地域で医療・介護関係の仕事をしている人たちと「在宅療養を支える会」を立ち上げ、こちらの活動も行っています。先日も長野市で開催された「日本死の臨床研究会関東甲信越支部大会」に参加。老人施設における最後の看取り、エンドオブライフをどう支えるかというテーマで講演させていただいたんですよ。

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Q.赤十字健康生活支援講習指導員はどんなお仕事ですか?

健康生活支援講習の中でも特に受講を希望される方が多い内容が、災害時高齢者支援講習です。それは阪神淡路大震災がきっかけでした。今も毎年のように大雨による水害など自然災害が発生し、災害時における新型コロナウイルス感染対策も課題になっています。

2011年3月11日、私はたまたま松本市のある地区で救急法の講習を行っていました。その時発生したのが東日本大震災。後日あらためてその地区内すべての地域公民館を回り、災害時高齢者支援講習を行った、ということもありましたね。

地域では防災活動として、地域住民を対象にした避難訓練がよく行われます。でも、障がいを持つ人はこれにほとんど参加していません。それもあって、災害時に地域で障がい者を助けなければいけないとは思っていても、実際にはどこに障がい者がいるかすら分からないことが多いんです。家族が隠したり、個人情報保護のしばりもあって……。

その一方で、講習を依頼されて、障がい者が参加するという防災訓練に行った時、私は驚きました。参加者は障がいのある人ばかりだったのです。それはそれで意味はありますが、どうして障がい者と健常者が一緒になって訓練できないのかと思いました。

学校では、障がいのある子どもも特別学級のようなかたちで一緒に学び、避難訓練にも参加します。ところが地域では、さまざまな障がいを持つ人、車イスを使う人たちも含め、地域全体で防災訓練をするというところまで、いっていないのが現実です。

Q.奥原さんの活動に一貫している精神とは?

私は言うんです。「障がい者も地域の避難訓練に参加しましょう。そして、自分はこういう障がいがあるので助けてくださいと、障がい者が自ら声をあげましょう」と。とはいえ、なかなか理解が進まず、まだまだ心のバリアフリーにはなっていません。しかし、みんなが避難訓練に参加する社会にならないといけない。私はそう思い、心のバリアフリーをテーマにした講習を行っているんです。認知症にしてもしかりです。

Q.これからの取り組みについて教えてください。

災害時には、高齢者や障がいをもつ人が、毎日の生活の中でいかに地域との関係を作りあげてきたかが本当にものをいいます。

そのためには、障がいのある人たちも一緒に避難訓練をしたり、声をかけあって支える図面をつくることが大事。一方、障がいのある人も、まず自分はこうだからイザという時に助けて、と声を出すこと。それが自分の命を守ることにつながります。

課題はまだまだたくさんありますが、みんなが共生し、障がいを理解できる社会、心のバリアフリーのある社会にしていきたい。私はできるだけチャンスをつくって、それを伝えていこうと取り組んでいます。

赤十字の活動は私のライフワークであり、元気な限り、まだまだ続けていきたい。それが私が赤十字で学んだことに対する恩返しであり、自分の使命だと思っています。

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