あなたの献血が希望でした

見えない誰かに心からのありがとう

がんや白血病、事故での大量出血などの治療において、毎日約3000人もの命が献血によって救われています。きっかけが何であれ、献血は命を救うボランティア。今回、誰かが提供してくれた血液のおかげで白血病を克服することができた2人の若者に、献血への思いを伺いました。

僕を助けてくれた誰かの血液。温かいつながりが、広がるように…

復帰してすぐに、「試合会場に献血バスを」と新潟県赤十字血液センターに連絡をくれた早川選手。スポーツの持つ力との“掛け算”で、献血の輪が大きく広がることを願っているそう。自身のSNSでも積極的に献血のPRをしています。

大学卒業後、実家のある新潟のサッカークラブ、アルビレックス新潟と契約し、念願の公式戦フル出場、プロとしての第一歩を踏み出した!と、家族や友人とも喜びを分かち合った矢先に、急性白血病が発覚しました。それから再びサッカーの試合に出場するまで、1287日。抗がん剤治療、骨髄移植手術、歩くこともままならない状態からプロのサッカー選手として復活するためのリハビリ…言葉では言い尽くせない、苦しい日々でした。
 白血病になったことを「良い経験だった」とは決して言えませんが、病気を経験したからこそ得られたものがあります。それは、多くの人に支えられ、今の自分があるということを深く理解できたことです。家族や友人だけではありません。僕を待ってくれていたサッカークラブのスタッフ、サポーター、そして今この瞬間も闘病中で、病院でサッカーの試合を見ている大人や子どもたち。もちろん、献血によって、病気と闘うために必要な血液を提供してくれた人々も。たくさんの人からもらった「思い」をパワーに変えて、もっと活躍する姿を見せて、元気を与えたいです。
 長い闘病生活の中で、たくさんの薬剤を体に取り込みましたが、輸血は特別なものでした。僕は輸血を受けると、体が他人の血液に含まれる抗体に反応し、顔に赤みやかゆみが出る体質でした。しかし、それこそが、化学的な薬品ではなく「生きている誰かの血液」が自分の中で病気と闘う力を与えてくれている、と実感できるものでした。実は、僕の父は献血マニアで、学生時代に帰省すると献血ルームに連れていかれ、献血に付き合ったことがあります。でも、あの献血がこんなふうに使われるなんて、白血病になって輸血を受けるまで、リアルに想像することはなかったのです。
 僕が受けた輸血の回数は十数回。つまり、十数人の血液が僕の中に…。サッカーの魅力は、チーム全体で補い合い、応援してくれる人々と1つになって勝利を目指すところですが、献血も、温かな気遣い、優しい思いが集まって誰かを救うことになるのが素晴らしい。献血という良いつながりが、もっと広がることを願っています。

早川史哉(はやかわ・ふみや)さん
1994年1月12日、新潟市生まれ。日本プロサッカーリーグ、アルビレックス新潟所属。幼少期よりサッカーを始め、筑波大学を卒業した2016年にプロ入りし、その年のJ1リーグ開幕戦で先発フル出場を果たすが、直後に急性白血病を患う。骨髄移植手術、リハビリを乗り越えて、2019年10月5日、3年7カ月ぶりにピッチへ復帰。昨年、闘病の様子をつづった著書「そして歩き出す サッカーと白血病と僕の日常」を上梓した。

早川選手が献血ルームから動画でリポート!https://www.youtube.com/watch?v=hmJVlwpQtZ8
アルビレックス新潟のファンクラブ限定動画を、新潟県赤十字血液センター公式YouTubeチャンネルで公開します。輸血をしたことで献血ができなくなった早川選手。新潟の献血ルームで献血の流れを模擬体験し、「多くの人に献血というアクションを起こしてもらいたい」と語りました。

100人以上の血液に生かされた私。献血は、大きな愛です

 白血病が見つかったのは高校2年生のときでした。何をしていてもダルくて眠くて、階段も息切れして上がれない。でも体調の悪さを周囲に理解してもらえなかった。母でさえも、食事はできるのに具合が悪いなんて、と…。だから白血病が判明した時は「そういう病気だったのか」と妙に納得し、むしろ告知と同時に受けた輸血のパワーで力が戻り、もう大丈夫と闘病を楽観視していました。
 そこから1年4カ月に及ぶ入院生活が始まります。抗がん剤治療はとても苦しく、副作用で髪がまばらに抜け、顔がぱんぱんに腫れ上がりました。口の中全体に口内炎ができて、痛くて話すこともできない時期もありました。高校の友人から「白血病は余命がヤバいんでしょ」なんて言葉を投げ掛けられたり、楽しみだった修学旅行に行けなかったり、憤りと悲しみ、終わりの見えない苦しい治療に耐え切れず、母に「病気になる私をなぜ産んだの」と責めてしまったことも。母も苦しむ私をそばで見守ることしかできず、つらい思いをしていたのに…。
 闘病中に私が受けた輸血は100回以上、つまり100人以上の血液が使われました。輸血のたびに、どん底の状態からよみがえりました。私は、血液を提供してくれた人々に、救ってくれてありがとう、命を支えてくれてありがとう!と、お礼がしたい。そして、できれば私も献血して、誰かを救いたい。でも、輸血を受けた人は献血ができません。今、私の使命は、人々の気持ちを動かして献血に行ってもらうことだと思っています。献血は強制できるものではないから、今まで“何となくやらない”を選択していた人たちの気持ちを動かせるように。顔の見えない相手を救う、それは、ものすごい大きな愛だと思うんです。

友寄 蓮(ともよせ・れん)さん
1995年3月29日、東京都生まれ。高校2年生のときに急性リンパ性白血病を発症し、闘病生活を送る。2013年、芸能界デビュー。タレントとして活躍する傍ら、若い世代に向けた献血推進活動にも取り組む。レインボータウンFM(88.5MHz)「Emotional Beat 姫ラジ」(毎月第2土曜16時〜、サイマルラジオやリスラジ、YouTube Liveで視聴可能)に生出演中。

この記事は赤十字NEWS 2020年1月号の掲載内容をオンライン用に編集したものです。
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