あの時の真心を忘れない

石碑に残された原爆症患者たちの思い

毎年6月に全国50数箇所の赤十字病院に届けられているすずらんの花と栞(しおり)。1955年から続くこの贈り物は、ANAグループが、北海道で摘み取ったばかりのすずらんを空輸し、職員の手で直接赤十字病院に届けているもの。このすずらんの贈り物にまつわる石碑が、広島赤十字・原爆病院に建てられています。

1966年2月、羽田沖で消息を絶った航空機ボーイング727。同機に、全日空入社3年目の客室乗務員、天野美紀枝さん(当時23)が搭乗していました。事故の前年の6月1日、広島赤十字・原爆病院を慰問し、入院患者一人一人にやさしく励ましの言葉を掛けながら、すずらんの切花を手渡したのが、亡くなった天野さんでした。広島赤十字・原爆病院では入院患者たちが航空機事故の被害者名簿に天野さんの名前を見つけました。

事故の後、天野さんをしのぶ人々の交流は意外な変遷をたどります。事故直後、広島赤十字・原爆病院の患者たちはお金を出し合い、皆で折った千羽鶴や手紙を添えて、東京の天野さん宅に花束を送りました。それらは、天野さんが眠る羽田沖の海に捧げられました。それに対して、今度は天野さんのご両親から患者たちに病気回復を願うメッセージと共にお見舞金が届きます。このお見舞金を資金に、病院の中庭には天野さんをしのぶ紅梅の樹が植えられました。さらにその後、患者たちの有志が資金を出し石碑「献身の人 天野美紀枝さんを偲んで」を建てました。

しかし数年後、この紅梅が立ち枯れてしまうと、今度はそのことに心を痛めた天野さんの後輩が全日空社内で寄付を呼び掛けます。全日空職員の寄付者は1000人にも上り、樹齢25年の白梅が同病院に贈られることになりました。このことは新聞に取り上げられ、感銘を受けた一般の方から樹齢70年の紅梅も贈られ、紅白梅が2本並んで石碑の横に植樹されました。

現在、天野さんをしのぶ石碑は、広島赤十字・原爆病院の隣接地にあるメモリアルパークに移設され、毎年、全日空の職員の方々がすずらんの花を届ける際には、石碑にお参りをされています。

天野さんの心のこもったやさしい言葉を忘れず石碑を建てた広島赤十字・原爆病院の患者たちは、原爆症と呼ばれる病によって、身体的な辛さだけではなく、社会の無理解や差別的な扱いにも苦しみ、心にも傷を負った方たちでした。石碑は、1人の客室乗務員と、そんな人々の交流を現在に伝えるメモリアルです。