三重県支部について

 日本赤十字社三重県支部は、明治22年10月に発足して以来、国際活動、災害救助活動、救急法等講習会の開催、医療事業、血液事業、青少年赤十字、奉仕団活動等、県民の皆様のニーズに合わせた地域活動など、さまざまな活動に取り組んでいます。
 特に、三重県は自然災害も多く発生する土地柄であり、これから起こりうる災害に備えあらゆる取り組みを行っております。そしてこれらの活動は、県民からお寄せいただいた活動資金や寄付を財源として行われています。
 これからも、赤十字の活動へのご理解とご協力をお願いいたします。

支部長あいさつ

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 県民の皆さまには、平素から赤十字事業の推進に深いご理解と温かいご支援を賜り、厚くお礼申し上げます。

 新型コロナウィルス感染症が国内はもとより世界的に深刻な問題となっている中、日赤では、全国の赤十字病院を中心に、発生初期におけるクル-ズ船への医療チ-ムの派遣などに始まり、現在も感染者の受け入れ、感染拡大防止のための情報発信などに全力を尽くしているところです。

 一方で、近年、自然災害が激甚化・頻発化し、発災のたびに新たな課題が浮き彫りになっています。昨年7月の熊本県・球磨川流域での豪雨災害では、感染症への不安を抱える中での自然災害発生が現実のものとなりました。より柔軟で、被災地の状況、被災者の二-ズに即した多様な支援が求められています。

 このような状況のもと、日赤では、多くの方々の期待と信頼に応えることができるよう、さらなる災害対応能力の向上や医療救護体制の強化に努めてまいります。また、赤十字ボランティア活動、青少年赤十字活動及び救急法等の講習等につきましても積極的に取り組んでまいります。

 伊勢赤十字病院として新築移転してから9年が経過致しました。「地域医療を守る」という思いのもと、地域の基幹病院として高度急性期・急性期医療の提供に取り組んでいるところです。救急医療においては、県南部における救急医療の「最後の砦」として、3次救急にも対応可能な救命救急センターの運営やドクターヘリ運航事業への協力を通じて、県下全体の救命率の向上に努めています。また、赤十字の使命のひとつでもある災害医療への取組としては、多種多様な状況を想定した訓練・研修を実施するとともに、関係機関との連携強化を図っています。

 今後も、地域に貢献できる病院運営を推進し、赤十字病院として質の高い安全な医療の提供に向けて尽力してまいります。

 血液事業につきましては、広域事業運営体制に移行して9年目を迎えました。三重県赤十字血液センターは、東海北陸ブロック血液センターと連携し、県内の医療機関に安心で安全な血液製剤を供給できるように36524時間体制による安定的な供給に努めています。

 今後も三重県内をはじめ、東海北陸ブロックにおける広域的な需給運営体制のもと、県・市町及び献血協力団体等と連携して、血液の安定供給を図る取り組みに努めてまいります。

 これからも「人道」を基本理念とし、各関係機関との連携強化を図り、創意と情熱を持って気持ち新たに職員一丸となり効果的な事業の展開に努めてまいりますので、今後とも変わらぬご支援を賜りますようよろしくお願いいたします。 

                             

日本赤十字社三重県支部

支部長 鈴木 英敬

※鈴木英敬三重県知事には、令和3年4月1日付けで日本赤十字社三重県支部長に就任いただいております。

沿革

明治22年
日本赤十字社三重県委員部を設置
10月19日事務所を三重県庁内に置き、明治29年には社員数などの条件を満たし、 日本赤十字社三重支部に昇格。成川尚義知事が初代支部長に就任。
明治27年
日清戦争において最初の戦時救護
日本赤十字社として初めて本格的な戦時救護となる。三重県委員部からも救護班1個班を編成し、広島陸軍予備病院へ派遣した。
明治37年
日露戦争へ戦時救護班を派遣
日露戦争における日本赤十字社の捕虜への手厚い救護は、「世界で最初の文明戦争」と歴史家に評価される。
明治37年
三重支部山田病院開院
度会郡四郷村に、全国で最初の支部病院として設立。
大正12年
関東大震災における救護活動
救護班を派遣。
大正15年
青少年赤十字団発団
青少年赤十字団が初めて県内に6団設けられる。
昭和5年
最初の衛生講習会を開催
救急法は衛生講習会の1科目として始まる。戦後、日本の実情に合わせて体系化され、県内各地で盛んに開催されるようになる。
昭和17年
太平洋戦争へ戦時救護班を派遣
上海陸軍病院、アメリカ丸、ありぞな丸等の病院船に救護班を派遣。日中戦争から太平戦争まで救護班を19個班(706人)派遣、24人が殉職している。
昭和18年
山田赤十字病院と改称
三重支部山田病院を山田赤十字病院と改称する。
昭和22年
最初の家庭看護法を開催
戦後、米国赤十字社から伝えられた新しい知識と技術で再編成される。現在の健康生活支援講習へと発展。
昭和23年
子供赤十字大会を開催
総裁高松宮殿下の台臨を仰ぎ県下の青少年赤十字団員が一堂に参集し、伊勢市倉田山の平和博覧会場で、子供赤十字大会を開催。この大会がきっかけとなり、青少年赤十字活動は活発化していく。
昭和24年
最初の溺者救助法を開催
日本赤十字社独自の講習として、水上安全法が県内各地でも開催されるようになる。
昭和26年
最初のトレーニングセンターを開催
青少年赤十字小・中トレーニングセンター初開催。
昭和27年
三重支部を三重県支部と改称
日本赤十字社定款の改正で日本赤十字社三重県支部と改称。
昭和29年
山田赤十字病院に血液銀行を設置
昭和27年に日本赤十字社血液銀行東京業務所を開設され、山田赤十字病院に血液銀行を設置した。県内での本格的な血液事業が始まる。
昭和34年
伊勢湾台風での災害救護活動
台風災害として明治以降最多の死者・行方不明者5,098人という被害をもたらした台風15号(伊勢湾台風)災害に、山田赤十字病院、鈴鹿赤十字病院から救護班を最大限に派遣した。
昭和40年
三重県赤十字血液センターを開設
1月に最初の血液センターを山田赤十字病院敷地内に開設、7月に津市塔世栄町の日本赤十字社三重県支部合同社屋へ移転し、現在の血液事業へと発展する。
昭和43年
三重県支部、三重県赤十字血液センター屋舎竣工
津市栄町の三重県合同ビルに三重県支部、三重県赤十字血液センター移転。
昭和46年
近鉄特急の衝突転覆事故における救護活動
一志郡白山町の総合トンネル内で起こった近鉄特急の正面衝突、脱線転覆事故、死者25人、重軽傷者236人の悲惨な事故となる。山田赤十字病院から救護班3個班、血液センターから医師、看護師を派遣、遺体検案、負傷者の救出救護などに従事する。
昭和59年
三重県赤十字血液センター竣工
津市桜橋に三重県赤十字血液センター新築移転する。
平成元年
日本赤十字社三重県支部創立100周年記念大会を開催
日本赤十字社名誉副総裁常陸宮妃殿下のご臨席を仰ぎ、三重県文化会館において、約1,000人の参加を得て記念大会を開催した。
平成6年
第30回献血運動推進全国大会を開催
日本赤十字社名誉副総裁皇太子同妃両殿下御臨席のもと、第 30回献血運動推進全国大会を四日市市文化会館で開催。三重県赤十字血液センターをご視察。
平成7年
阪神・淡路大震災における救護活動
救護班7個班(41人)、応援要員7名派遣。
平成11年
日本赤十字社三重県支部創立110周年記念大会を開催
日本赤十字社名誉副総裁秋篠宮妃殿下のご臨席を仰ぎ、三重県総合文化センターにおいて記念大会を開催した。
平成16年
三重県9.29豪雨災害における救護活動
伊勢赤十字病院から、救護班を派遣。赤十字ボランティアによる炊き出しなどの活動も行われる。
平成16年
新潟県中越地震における救護活動
伊勢赤十字病院から、救護班2個班を派遣。
平成19年
能登半島地震における救護活動
伊勢赤十字病院から、救護班1個班を派遣。
平成19年
新潟県中越沖地震における救護活動
伊勢赤十字病院から、救護班1個班を派遣。
平成21年
日本赤十字社三重県支部創立120周年記念大会を開催
日本赤十字社名誉副総裁高円宮妃殿下のご臨席を仰ぎ、三重県総合文化センターにおいて記念大会を開催した。
平成23年
東日本大震災における救護活動
平成23年3月から7月までの間で11個班(90人)、こころのケア要員を派遣。
平成24年
伊勢赤十字病院に改称、新築移転
1月1日に山田赤十字病院から伊勢赤十字病院へ改称し、伊勢市船江に新病院を開院。
平成28年
熊本地震における救護活動
救護班を1個班、こころのケア要員を派遣。
平成29年
赤十字救急法競技大会を開催
松阪市さんぎんアリーナで救急法競技会を開催。15チーム71人の参加となる。
令和元年
日本赤十字社三重県支部創立130周年記念事業を実施
10月19日創設から130周年を迎えた節目の年として記念事業を実施。 赤十字ボランティアをはじめ、赤十字の活動に賛同してくださる支援者など340人の参加を得て、三重県総合文化センターにおいて記念大会を開催。三重県総合博物館(MieMu)において「日本赤十字社展―赤十字人道の軌跡―」を開催。赤十字作品展「絵画・書道」コンクールを開催。