PROJECT 03

令和6年
能登半島地震における
災害救護活動

東京都支部

生形 聡

多くの命が危機に晒される災害現場。混迷極まる状況の中、生形はどのような想いで向き合い、どんな使命を果たしたのか。

着任後初の災害対応が大規模災害。
湧き上がる不安を抑え込んだのは、
使命感と責任感だった。

2024年1月1日16時10分。石川県で最大震度7を観測するなど、非常に大きな地震が北陸地方を襲った。地震の規模はМ7.6。元日に発生したこともあり、帰省者も多くいたことから被害は甚大なものとなった。そして、生形も当時は実家に帰省していた。
「連絡を受けた1時間後には、もう東京都支部に出勤していました。実家が都内で、支部に近かったこともあり、同じくすぐに出勤できる課長と2人で駆けつけたんです。」
当然、出勤時点ではまだ十分な情報はない。支援が必要なのか、その対象は石川県のみならず、近隣の県にまで及ぶのか。迅速に情報を集めながら、同時に支援が必要となった場合に備えて各所の調整を進めていた生形の胸には不安が広がっていた。
「救護課に所属しているため、普段から防災業務に携わっていました。ただ、着任してから実際に災害対応を行うのは初めて。自分が今やっていることやこれからしようとしていることが本当に正しいのか。不安も大きかったですが、使命感と責任感を原動力にできる限り正確に現地の状況を把握できるよう必死に情報を集めました。」
東京都支部が属する第2ブロック(※1)では、新潟県で最大震度6弱を観測したものの、そこまで大きな被害が生じていないことがわかり、石川県への支援に向けた待機要請を手配したところで初日の勤務は終了。しかし、翌日1月2日に状況は一変することとなる。

混迷する現場の様子を見て、
状況把握に全ての時間をかけることを決めた。

1月2日の朝一番で本社から連絡が入った。
「石川の被害が甚大なので、救護班を派遣してほしい。」
すぐに待機要請していた病院に出動を要請。そして、救護課からも連絡調整要員として同行者を出すことになり、課長から生形に声がかかる。
「生形が行ってくれ。」
それまで際限のない不安と格闘していた生形の心境は一変した。
「自分の派遣を告げられた瞬間に『自分がやるしかないんだ』と覚悟が決まったんです。」
災害現場で救護班のサポートとして、宿泊場所の確保や活動に必要な物資の調達などを担うのが生形に任された役割。しかし、その役割も現場に入ると状況に合わせて大きく変わることになる。
「実際には目の前で被災された方の医療救護活動に従事するのではなく、他組織や行政の担当者などと協働して本部活動を行いました。被災地域の活動拠点本部の中で避難所の情報分析・支援計画の立案を行う班のサブリーダーを任されました。ただ、到着時点では計画は全くの白紙。先着で活動していたチームも何から手をつけていいか分からずに手が止まっている状態でした。そこで、まずは避難所の一覧リスト作成に着手。避難者が何人いて、水や食料やトイレの状況はどうなっているのか。片っ端から電話し続けて、数百カ所にも及ぶ避難所の現状をひたすら確認し続けました。何からやるべきか分からないなら、それを判断するための材料を集めることが大事だろうと。」
結果として、生形の派遣期間である3日間(※2)のほぼ全てを、この避難所リスト作成に充てることとなる。そして同時に、このリストが後の災害対応の土台を作ることにもなった。

自分一人でなく、赤十字として何ができるか。
全体最適の視点でバトンを繋いだ。

一刻も早く、避難所で苦しむ被災者の方へ必要な物資や人材を届けたい。焦る想いも募るはずの現場で、生形は冷静にリスト作成を着々と進めていった。その裏には、普段の業務で培った知見が活きたという。
「過去の災害対応を見ていて、初動対応に遅れやミスがあると災害関連死が増えてしまうことは知っていました。だからこそ、必要な支援内容と優先度を正確に判断するための状況把握が最優先だと信じて、支援を届ける部分は後着のチームに託そうと。自分一人でなく、日本赤十字社全体として、どう助けるのが最適なのか。そう考えた時に、今自分が担う仕事は何か。俯瞰しながら全体最適で考えることの重要性は、日々の災害計画立案業務で痛いほど感じていたことでしたから。」
はやる気持ちを抑え、自らが全うすべきことを全うして生形の派遣期間は終わった。東京に戻ってからも、常に現地の活動報告書には目を通していた。自分の活動が貢献に繋がったという実感が湧いたのは、その時だった。
「自分が作成したリストをもとに、避難所の巡回診療が始まったり、支援物資を届けたりという報告を見て、あの時集めた情報があったから診療や物資を届けられたんだと。自分も貢献できたんだという気持ちが湧いてきたんです。」
『人間であるということは、自分の石をそこに据えながら、世界の建設に加担していると感じることだ。』生形が心に刻んでいるサン=テグジュペリの言葉だ。今回の生形の派遣活動はまさに、情報収集という自分の石を据えながら、日本赤十字社全体で向き合う被災者支援への貢献を感じるものだった。そしてこの経験を活かし、これからも生形は自分が据えるべき石を地道に、そして真摯に据えていくに違いない。それが、誰かを救うことに繋がるという確信と使命を強く感じながら。


(※1)日本赤十字社では、各都道府県に支部を設置し、各支部を全国で6つのブロックに区分しています。災害救護においては、原則、災害の発生した都道府県の支部が活動を実施します。救護力が不足する場合には、近接の支部や他のブロック、本社など、社が一体となって活動にあたります。
(※2)傷病者の手当や災害関連死予防等を中心とした実働を担う「救護班」の活動(主に活動期間は3日間)は、発災から約2か月間にわたり継続して被災地に派遣しました(延べ2,700名程度)。さらに、被災者・支援者双方に対する「こころのケア」など、日本赤十字社としての多岐にわたる救護活動は、2024年5月まで実施しました。なお、災害義援金の募集による被災地への支援や日本赤十字社のボランティアによる被災者支援活動は、現在も継続して行っています。(2026年3月時点)

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