高知県支部について

日本赤十字社高知県支部は、全国47都道府県にある日本赤十字社の支部のひとつとして、明治20年(1887年)11月15日に日本赤十字社高知県委員部として設置されました。

その後、高知支部を経て、昭和27年(1952年)3月1日に高知県支部に改称したのち、今日に至るまで、国内外での災害救護、医療(高知赤十字病院)・血液(高知県赤十字血液センター)などの事業、救急法などの普及、奉仕団活動、青少年赤十字など幅広い分野で活動をしています。

特に、支部(事務局)の活動は、赤十字会員や県民の皆様、市町村、社会福祉協議会、赤十字奉仕団などの多くの皆様のご理解やご支援などによって支えられています。

沿革

明治20年
日本赤十字社高知県委員部を設置
事務所を高知県庁内に置き、初代委員長に田辺良顕県令が就任。明治28年に日本赤十字社高知支部に昇格。
明治28年
日本赤十字社高知支部に昇格
看護婦養成を開始する。
明治37年
日露戦争において戦時救護を行う
第82救護班33名を編成し松山俘虜収容所に派遣する。明治38年には第83班救護班26名を編成し陸軍病院船に派遣する。
明治44年
日本赤十字社篤志看護婦人会高知支会創立
高知支部事務所落成
大正3年
第一次世界大戦救護要員を英国、シベリアに4名派遣
大正12年
関東大震災における救護活動
医員や看護婦等、計20名からなる救護班を編成し、東京へ派遣した。
昭和2年
支部少年赤十字団誕生
県下初の少年赤十字団として中村町少年赤十字団が結成される。
昭和3年
高知支部療院開設
高知市江ノ口に内科、外科、眼科からなる高知支部療院を開院した。昭和4年には高知支部病院に昇格した。
昭和5年
救護看護婦養成事業開始
昭和7年
満州、上海事変に救護員派遣
救護看護婦5名を派遣した。
昭和9年
室戸台風における救護活動
9月21日午前5時、奈半利町に上陸した台風は最低気圧684mm、瞬間風速60mを記録した。高知県では死亡行方不明122人、負傷者508人、住家の全半壊流失2,601戸等と記録され、そのほとんどが高潮による県東部の被害であった。高知支部では救護班2班を編成し、被害地の救護にあたらせたとの記録がある。
昭和12年~20年
太平洋戦争などにおける救護活動
15班の救護班を編成、本部は検討も含め443名の救護員が高知支部より出動した。
昭和21年
南街道地震における救護活動
12月21日土佐湾改定を震源地として発生した南海道地震は、地震津波、地盤の隆沈により高知県に死者679名、傷者1,836名、家屋被害2万戸を超える被害をもたらした。高知赤十字病院も被害を受けたが、安芸方面に救護班を出動させたほか、病院内でも徹夜で診療に従事した。
昭和23年
赤十字奉仕団の発足
青少年赤十字団発足
昭和22年の学制改正に伴い、少年赤十字の組織や運営を改正し、青少年赤十字団として再出発した。
昭和26年
初の家庭看護法講習会を開催
昭和28年
高知支部を高知県支部と改称
水上安全法講習会の開始
昭和35年
高知県赤十字血液センターを開設
最初の血液センターを横浜赤十字病院敷地内に開設。新横浜と厚木の2つの血液センター、8つの献血ルームにおける現在の血液事業へと発展する。
昭和60年
日航機墜落事故における救護活動
御巣鷹山に日航機が墜落、死者520人の悲惨な事故となる。県内3赤十字病院から救護班を12日間で6個班(69人)派遣、遺体検案などに従事する。
平成7年
阪神・淡路大震災における救護活動
県内3赤十字病院から、救護班を1カ月半で6個班(52人)派遣。視覚障害者・聴覚障害者への支援にも取り組む。
平成16年
新潟県中越地震における救護活動
県内3赤十字病院から、救護班を2カ月間で5個班(30人)派遣。心のケア活動や赤十字ボランティアによる土砂の除去などの活動も行われる。
平成22年
現在の支部新社屋が完成
災害救護、健康・安全事業、ボランティア活動の拠点としての機能を強化した新社屋が完成。情報発信の場として「かながわ赤十字情報プラザ」を設置。
平成23年
東日本大震災における救護活動
県内3赤十字病院から、救護班を1年間で28個班(208人)、心のケア要員47人を派遣。救護班派遣の後方支援など、多くの赤十字ボランティアが活動。
平成26年
首都直下地震を想定した大規模訓練
横浜市立みなと赤十字病院を会場に関東甲信越の支部から12の救護班が参加、約600人の職員と赤十字ボランティアによる大規模な訓練となる。
平成28年
熊本地震における救護活動
県内3赤十字病院から、救護班を1カ月半で3個班(30人)、心のケア要員3人を派遣。
平成29年
第20回 救急法競技会を開催
平成9年から始まった救急法競技会は20回目を迎え、過去最大である963人の参加となる。