【京都府支部第1救護班】災害救護活動記~令和6年能登半島地震~

令和6年1月1日に発生をしました、令和6年能登半島地震に際して、京都府支部も災害救護活動を展開しております。
京都府支部内、そして現地の活動について情報を更新していきますので是非ご覧ください。

1月4日(木)

令和6年能登半島地震の救護活動に、京都第一赤十字病院・京都第二赤十字病院より、災害派遣医療チーム DMATが出動しました。
京都第一赤十字病院より6名(医師2名、看護師2名、事務職員2名)、京都第二赤十字病院より5名(医師1名、看護師2名、事務職員2名)が石川県にて活動予定です。

画像 京都第一赤十字病院 DMAT

画像 京都第二赤十字病院 DMAT

1月5日(金)

1月8日(月)より令和6年能登半島地震の救護活動に出動予定の救護班のため、赤十字レスキューチェーン京都の7名が駆け付け、救援物資の仕分けや積み込みを行いました。

駆け付けてくださった中の一人は「阪神・淡路大震災をきっかけに日赤のボランティアの活動を始めた。
仕事や家族の都合で現地には行くことはできないが、少しでも力になれたらと思い駆け付けた」と語ってくださいました。

皆さん「現地に行けなくても、自分たちにできることで協力したい」と共通した思いを持ち、活動してくださっています。

赤十字レスキューチェーン京都は、平成8年1月17日京都府支部直轄の特殊奉仕団として発足しました。
日赤の活動はこうしたボランティアの皆さんに支えられています。

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1月8日(月)

5時57分、藤田薬剤師(京都第二赤十字病院)、松田主事(京都府支部・災害対策要員)、棟方さん(赤十字レスキューチェーン京都)の3名が日本赤十字社京都府支部第1救護班として京都府支部を出発しました。

京都府では7日夜から雪が降り始め、市内でも明け方には車の屋根上に数センチの雪が積もっていました。
物資を沢山詰めた車両にスタッドレスタイヤを装備し、安全に現地を目指します。

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棟方さん(赤十字レスキューチェーン京都)
「まずは安全に全てのスタッフが無事帰宅できること。そのうえで力の限り被災された方々の力になりたいと思っています。」

京都府支部事務局長からも3名へ激励の言葉がかけられ、見送られました。

画像 左から、藤田薬剤師(京都第二赤十字病院)、松田主事(災害救護要員・京都府支部)、棟方さん(ボランティア・赤十字レスキューチェーン京都)

京都府北部エリアに入ると、激しい降雪により路面状況がかなり悪化していましたが、ゆっくりと慎重な運転で、その他の救護班員が待つ舞鶴赤十字病院へ向かいます。

7時54分、舞鶴赤十字病院(以後舞鶴)へ到着。
激しい降雪により、速度規制がかかっていたことから、予定よりも少し時間を要しての到着でした。
舞鶴では、医師1名、看護師3名、事務職員2名が合流。
舞鶴の西田事務部長より、「安全第一に頑張ってください。」との激励の言葉が班員にかけられました。

8時8分、救護班での打合せを終え、いよいよ石川県に向けて出発です。
松田主事(京都府支部)
「早朝の出発にも関わらず、支部でも舞鶴でも多くの関係者が見送りに駆け付けてくださいました。
地震で傷ついた方々を助けてほしいという皆の期待の大きさがヒシヒシと伝わってきました。頑張ってきます!」

画像 舞鶴での打ち合わせの様子

舞鶴からは舞鶴若狭自動車道を経由して、日赤石川県支部の災害対策本部へとひたすら車を走らせます。あれほど降っていた雪も、福井県に入ったあたりからピッタリと降りやみ、青空ものぞく天気になりました。
いつもののどかな北陸の風景とは対照に、救急車、消防車両、警察車両、自衛隊車両、多くの緊急車両が行き交い、非常事態であることを物語ります。

画像 緊急車両の往来

12時36分、当初の予定より30分遅れて、石川県支部の災害対策本部へ到着しました。
災害対策本部は、全国の日赤スタッフが集まって運営されます。
(被災エリアのスタッフは、地震で家族などが被災されている場合もあるからです。)

災害対策本部では、必要な情報の提供や今後の災害救護活動の指示を受けます。
現在の状況として、天候や道路の破損により医療の提供が遅れていること、感染症の流行には特に留意したい旨が共有されました。救護班員は、頭の中のイメージを話し合い、明日から始まる医療支援活動のイメージを擦り合わせました。

画像 災害対策本部のブリーフィングの様子

1月8日(月)

同日、日赤災害医療コーディネートチーム3名も京都第一赤十字病院より石川県に向けて出発しました。
災害医療コーディネーターとは、発災時に医療チーム(DMAT)等の派遣調整を行い、現地においても避難所や医療機関の情報収集、全国から集う医療チームの活動調整、支援物資の管理等、多種多様な業務を担います。
今回、京都第一赤十字病院より派遣された3名は、医師1名、業務調整員2名で編成されており、8日から12日まで輪島市で活動予定です。
日本赤十字社京都府支部第1救護班も、今後同チームより引継ぎを受け活動を展開していきます。

画像 京都第一赤十字病院 コーディネートチーム

1月9日(火)

1月9日早朝5時15分、医師1名・看護師3名・事務職員2名(舞鶴赤十字病院)、薬剤師1名(京都第二赤十字病院)、災害対策本部要員1名(京都府支部)、特殊救護要員1名(ボランティア“赤十字レスキューチェーン京都”)の総勢9人は、能登半島の輪島市役所内にある災害対策本部を目指して出動しました。
本当は夜間のうちに出発したかったのですが、道路の破損が著しく危険であることから、早朝の出発となりました。

画像 日本赤十字社京都府支部第1救護班

通常通りなら2時間程度の行程ですが、前日に輪島入りした京都第一赤十字病院のコーディネートチームからの情報では、通行止めや迂回路などの影響で5~6時間もかかってしまうとの事でした。

画像 土砂により崩れた斜面

画像 横転した車両

道路の陥没、土砂崩れ、倒壊物による迂回などで渋滞が発生し、復旧活動が遅れています。
輪島市内では報道で見かける被災地が現在のこととして目に入ってきます。
一瞬にして何気ない日常を奪われた方々のことを思うと胸が痛みます。

画像 地震により傾いた家屋

画像 倒壊した家屋

11時3分 災害対策本部に到着、ブリーフィング
京都第一赤十字病院のコーディネートチーム(竹上医師、柿本主事、加藤主事)の3名は、いずれも経験豊富な頼りになる情報通です!
救護班は活動の指示を受け、避難所の状況調査と同時に巡回診療を担当することになりました。

画像 避難所のトイレの消毒

指示を受けた先の避難所には、400人を超える方々が避難されておられました。
お一人あたりのスペースが非常に狭く、トイレも玄関の仮設トイレまで行かねばならず、手洗いの水がない状態で、感染症の流行も確認できました。
お一人お一人に声をかけ健康状態をお伺いするとともに、トイレを重点的に消毒しました。

画像 住民の方のお手伝いをする救護班

緊急搬送の要請が入りました。
80代女性の状態が悪化していること、すぐ医療機関へ搬送できる救急車がないということで、現場へ駆けつけ、無事医療機関への搬送を完了させました。

画像 医療機関への搬送

日々の活動が終わった後も、ミーティングが行われます。
今日の活動内での課題を抽出し、明日の活動に備えます。

【おわりに】
災害救護活動は多くの苦しみと悲しみに触れますが、それだけではありません。
今日は生活水を汲みに来られていた方が困っておられたので、一緒にお手伝いさせていただきました。
「どこから来てくださったのですか?京都から!ご苦労様。」と、むしろ私たちの方がねぎらいの言葉をいただきました。非常に嬉しく、温かいお言葉でした。

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1月10日(水)

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1日目夜は、輪島市内にて寝袋を使用し、お休みしました。
とある施設のご厚意によりお借りしております。
2日目の活動に備えて、体調を整えます。

8時00分、京都第一赤十字病院コーディネートチーム(以降、京都第一赤十字病院CoT)の3名が輪島市役所にある災害対策本部へ向かいます。
避難所アセスメントに向かう8名とは別行動し、松田主事(京都府支部・災害対策要員)は、日赤救護班の補佐として本部管理を行います。
後に到着する救護班の引継ぎも行う予定です。

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まずは京都救護班のエリアの整理整頓に取り掛かります。昨日、輪島市内へ到着してからは忙しなく、1日が過ぎ去ったため、環境を整えます。
松田主事いわく、仕事とは?と問われるなら準備と整理整頓と答えるそうです。

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10時30分、日本赤十字社和歌山県支部の救護班が到着しました。朝6時に出発しての到着ですから、昨日の京都救護班よりもかなり早い到着です。雪の降る中、道路の復旧作業、交通整備をされている方々に頭が下がります。
「一緒に頑張ろう!」の気持ちを込め、写真を撮りました。

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和歌山県支部の救護班と入れ替わりで、大阪府支部の救護班が帰路につきます。

南医師(写真左)と竹上医師(写真右)です。
被災地で緊張するスタッフを和ませるため、
いつも笑顔でいてくださいました。

整理整頓の話に戻り、災害で大きな問題になるのがゴミです。
輪島市内の避難所でもゴミの捨て場やトイレを流す水がなく、不衛生な場所が見られました。
感染症の流行に繋がるのはもちろん、心も落ち込んでしまいます。

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そこで松田主事が竹上医師から直接活動を指示されました。
「悪いけどこの施設周りのゴミ片付けてくれへんやろか?」
確かに、ビニールやペットボトルが落ちていたら気分が良くありません。
張り切ってゴミ拾いをします。

トイレの掃除も必要です。
水が出ない場合や下水が壊れた場合、トイレが流せなくなります。
誰かが掃除をしなければ、衛生的な環境は作れません。


夕方、巡回を終えた医師1名・看護師3名・事務職員2名(舞鶴赤十字病院)、薬剤師1名(京都第二赤十字病院)、特殊救護要員1名(ボランティア・“赤十字レスキューチェーン京都”)が帰ってきました。
本日は、避難所を巡回し、診療や備品関係の調整を行いました。
活動報告と活動計画のミーティングを終えると、夕食を食べ、就寝です。

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1月11日(木)

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出発前に、石川県輪島市の朝市通りを訪れました。
ここは地震後に発生した大規模な火災により、多くの店舗や住宅が焼失した場所です。
長い間大切にされてきた場所が、1つの災害により一瞬で失われてしまう現実がありました。

本日の活動は、日本赤十字社が担当している輪島市内の避難所と救護所の医療支援活動です。
「体調の優れない方はいらっしゃいませんか。」医師・看護師(舞鶴赤十字病院)が避難者に声掛けをしながら、体調不良者の有無を確認します。必要な場合は、手当てを行います。

救護班の巡回の様子が取材されました!ご覧ください。(MBS NEWS)

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避難所には、普段飲んでいる薬が無く困っている方が沢山いらっしゃいました。
藤田薬剤師(京都第二赤十字病院)が、一人一人に丁寧に聞き取りをし、適切な薬を処方していきます。
高血圧の薬一つをとっても、その人にあった処方が大切です。

藤田薬剤師
「いつもは何でも揃っている中で教科書通りに考えれば済むのですが、欲しい薬が無いときはどうすればいいのか。私もすごく考えさせられる機会となりました。」

(忘れがちですが、避難する際の防災バッグにもお薬手帳があると、非常に役に立ちます!)

この日は、大石医師(舞鶴赤十字病院)が19人の避難者の方を診察しました。
中には、感染症でかなり健康状態が悪化した高齢者もおられ、特にこれからは感染症が懸念されます。
診察した方や避難所のデータは、事務職員(ロジスティクス・舞鶴赤十字病院)がデータ化していきます。

今どのような状態の人が多いのか、どこにどれくらいの避難者がいるのか、データ化する事は、限られた資源で効率よく支援するために大切な作業です。
この作業を担当する事務職員も日頃、赤十字病院の受付や事務で働いており、災害時に対応するための訓練や研修を受け、このように救護班の一員として出動します。

画像 救護所でデータ管理をする事務職員(ロジスティクス・舞鶴赤十字病院)

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いよいよ最後の任務は、次の救護班への引継ぎです。
救護班は全国から交代で現地入りし、活動します。
数日間慣れない環境で活動をすることは、班員自身の心身へ自然と負荷をもたらすからです。
この日は、神戸赤十字病院の救護班へ引継ぎを行いました。

画像 左から 棟方さん、原看護師、大石医師、佐藤主事、竹原主事、藤田薬剤師、田邉看護師、本田看護師長、松田主事(撮影者)

【おわりに】

災害時のボランティア経験が豊富な棟方さん(ボランティア・赤十字レスキューチェーン京都)が、活動終了後に、こう話されました。
「よく、被災された方とお話すると、二次避難や県外避難をされる方の中には後ろめたさを口にされる方がいらっしゃいます。その気持ちはよくわかりますが、少しでも環境の良い場所で自分自身を大切にするのも一つの良い選択肢だと思います。地域で支援する人達も被災されている場合が多いので、頑張るだけではなく、少しずつ皆の負担を減らしていくことも大切だと思います。」

松田主事(京都府支部・災害救護要員)
「”本当に被災地の役に立てたのだろうか。もっと自分に出来ることがあったのではないか。”そんな思いもあります。しかし、5日間何か被災地の方の力になりたいと思いながら皆で活動を続けましたし、今も強くそう思っています。また次の派遣要請があった時には、より良い活動ができるように、これからも取り組んでまいります。」

1月12日(金)

京都府へ戻る道中は降雨が激しく、土砂崩れの恐れのある崖付近には停まらないようにするなど、安全に注意しながら進みました。

12時38分、日本赤十字社京都府支部第1救護班が舞鶴赤十字病院に帰着しました!
出発の時と同じく、盛大に迎えてくださった舞鶴赤十字病院の皆さんへ活動報告をします。

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15時25分、藤田薬剤師(京都第二赤十字病院)、松田主事(災害救護要員・京都府支部)・棟方さん(赤十字レスキューチェーン京都)の3名が日本赤十字社京都府支部へ帰着しました。職員全員で3人を迎えます。
岡本事務局長から「厳しい環境の中、大変お疲れ様でした。」と労いの言葉がかけられました。

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15時40分、藤田薬剤師(京都第二赤十字病院)も京都第二赤十字病院へ帰着しました。

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藤田薬剤師(京都第二赤十字病院)
「病気や怪我もなく、全員無事に帰ってきました。松田さん(災害救護要員・京都府支部)や棟方さん(赤十字レスキューチェーン京都)が身の回りの環境を整えてくださったので、自分たちは医療に専念することが出来ました。」と救護班員への感謝を伝えられました。

インタビュー

画像 棟方さん(ボランティア・赤十字レスキューチェーン京都)

広報「現地では、どのような活動をされましたか。」

棟方さん「基本的には、人員輸送や資機材の移動、医療チームのサポートとして生活資材の準備等を行いました。」

広報「現地で活動をされる際、何が大変でしたか?」

棟方さん「今回の活動地では、幸い電気が止まっていませんでしたが、水が無いことが問題でした。トイレや手洗いが出来ず、衛生面をどう維持するのかが被災地の課題でもあり、救護班の課題でもありました。」

広報「実際に、避難所を巡回する中で何か気づかれたことはありますか。」

棟方さん「高齢の方は特に、避難所内での生活に不自由なことが多いです。食事も仮設トイレに行くことも簡単ではなく、高齢の方が一人で避難されている場合は特に心配です。避難所の中には、地域で協力し、まとまって運営をしている場所もありました。一方で、水がないことから掃除が難しく、嘔吐物がそのままにされている場所やtmatが24時間体制でいなければならない場所もあり、まだまだ現地の支援の必要性を感じました。」

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