特別企画
99年目の救急法~赤十字救急法講習のあゆみ~
昔も今も、人は、死の淵から命を引き戻したいと願ってきました。
紀元前には既に、出血死から命をまもるため、手足の大出血部位付近を押さえ、布や縄で縛りました。1744年の英国では、呼吸も脈もなく横たわる炭鉱労働者の口に、医師が直接口をつけて息を吹き込んでみたら生き返ったという事例が、世間を驚かせました。
1887(明治20)年の日本では、帝国大学医学生が、おぼれてから数時間放置された学生を救えなかった悔しさから、ドイツ軍医による教科書『普通救急新法』を日本語に訳しました。「救急法」が、日本の人々の前に現れた瞬間です。
同年、日本赤十字社の「篤志看護婦人会」が発足し、戦時救護のために「救急法」を含む看護などの知識と実技を自主的に学ぶようになります。1890(明治23)年には、日赤は、戦時のための「救護員(主に看護師)」養成を開始。その養成科目の中に、必ず「救急法」を含みました。
その後日赤は、戦争や災害救護のノウハウの一部を一般市民にも共有することによって、より多くの命を救おうと、動き出します。国際赤十字の動向に沿う形で、「衛生講習会」(救急法を含む)事業を開始することを1926(大正15)年12月23日に通知。2025(令和7)年、99年目を迎えました。
今の日本では、119番通報すれば救急車が来て、病院に行けば治療が受けられます。しかし、事故や災害などが発生してから救急車が来るまでの間、何もしなければ、刻一刻と命を引き戻すチャンスは失われます。そんなとき、そばにいる人が手を差しのべ、正しく救助することが、救命やその後の回復に大きく影響することは、昔も今も変わりません。
さらに世界に目を向ければ、戦争や紛争、激甚化する災害など、救急法が必要とされる場面は増えています。赤十字救急法は、人道に基づき、差別なく中立・公平の原則に従って命を救おうとするボランティアの貢献(奉仕)によって世界の隅々に広がっています。
「とっさのとき、誰もが救い、救われる」ために
赤十字救急(きゅうきゅう)法の99年をふりかえります。
参考 日赤の救急法講習について
救急法は法律ではありません。
病気やけがや災害から自分自身を守り、けが人や急病人を正しく救助し、医師または救急隊などに引き継ぐまでの救命及び応急の手当の知識と技術が、「救急法」です。
現在の日赤の救急法講習
- 「救急法基礎講習」
心肺停止状態の傷病者に対し、救急隊が到着するまでの間に行う一次救命処置(心肺蘇生法、AEDを用いた除細動、気道異物除去)を学ぶ。 - 「救急員養成講習」
(1)の修了者を対象に、学習済みの一次救命処置を除く、救急法全般を学ぶ。 - (1)、(2)の講習の一部を行う短期講習。
救急法指導員数(2025年3月31日時点)
- 「救急法基礎講習」10,986人
- 「救急員養成講習」7,001人
ボランティアを中心とする救急法指導員が、赤十字の講習事業を支えています。
救急法受講者数
年間37万人以上。(2024年度実績)
累計は、2,071万人以上。(99年前の講習開始~2024年度末)
注目ポイント
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『ソルフェリーノの思い出』(日本語訳)
赤十字の創始者アンリー・デュナンの著書『ソルフェリーノの思い出』には、目の前で苦しむ人の命を救えなかった悔しさと無力感が、随所に記されています。
「有効な手当を加えれば…治ったかもしれない…」
イタリア統一戦争の激戦直後、北イタリアの町カスティリオーネを通りかかったデュナンは、多くの傷ついた兵士が、手当を受けられずに亡くなっていく姿を目の当たりにします。このような悲劇を繰り返さないためには、どうすればよいのか?
デュナンの心に重くのしかかった苦悩が導き出した答えは、「備えること」でした。
赤十字が救急法を普及し続ける原点です。
アンリ―・デュナン
『ソルフェリーノの思い出』
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『普通救急新法 一名医者の来るまで』
世界初の一般市民に向けた救急法講習は、ドイツ赤十字社の会員で陸軍軍医のフリードリッヒ・エスマルヒが、1882(明治15)年に救急法学校を設立したことに始まると言われています。講義内容は、きずや骨折の手当、やけどの治療、人工呼吸、担架による運搬法などの応急処置でした。
1887(明治20)年、帝国大学医学生の芳賀栄次郎がエスマルヒの著書を日本語に訳した『普通救急新法』が出版され、日本赤十字社に大きな影響を与えます。
日赤の戦時救護を支える「篤志看護婦人会」が、同書を監修した陸軍軍医の足立寛の講義を求め、科目の中に救急法が含まれたのです。
その後、日赤は足立寛による講義内容の一部を、1894(明治27)年『通俗救急処置』として発行し、一般市民向けとしました。その中で足立は、「急なケガや病に臨時処置をすることで悪化を防ぎ、医療につなげることを第一救護法という」(現代語訳)としています。
「第一救護法」は、ドイツ語のErste Hilfe(英語のFirst Aid)を参考にしたと考えられます。
※芳賀栄次郎:明治21年の磐梯山噴火に際し、日赤による救護活動を大学院生として補佐。後の陸軍軍医総監。
絵入り三角巾(ドイツ赤十字社ルッケンワルデ博物館、普仏戦争展示)
絵入り三角巾『普通救急新法』より
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『第一回赤十字社連盟総会ニ関スル報告』
第一次世界大戦が終結しても、戦争の爪痕は深く、平和であっても赤十字がなすべきことがあるとの考えから、戦時救護を目的とする赤十字国際委員会(ICRC)とは別に、世界の赤十字社の連合体として、1919(大正8)年に赤十字社連盟(現在の国際赤十字・赤新月社連盟:IFRC)が設立されました。
1920(大正9)年、加盟30社中28社が集う第1回連盟総会で「健康の増進」「疾病の予防」「苦痛の軽減」に各社が全力で取り組むことを決議。
日本赤十字社は、この決議に基づき、国民の健康教育・保健指導のための「衛生講習会」などの平時事業を展開します。決議第7にある「実見、教育その他一切の方法を以て衛生に関する有益なる智識を普及すること」が、日赤の救急法講習事業のよりどころとなりました。
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「衛生講習会実施要領」
日本赤十字社は、1926(大正15)年12月23日に「衛生講習会実施要領」を全国各支部に通知しました。これが救急法を含む、日赤の講習事業の始まりとされています。
16歳以上の一般の希望者を対象とし、講習科目は「衛生」「救急法」「家庭看護法」などでした。「救急法」の科目の内容には、きずや骨折の手当、包帯法や止血法、患者の運搬法、人工呼吸などがありました。
当時の日赤は、機関誌『博愛』に「災害時に派遣する救護員は、報告を受けて派遣するから二次的になる…(略)災害発生時には、その地方の講習修了者が傷病者に対して、一次的な応急処置を行う」(現代語訳)と記しています。
当時から日赤が、救急法を災害救護に活かそうと強く意識していたことがわかります。
用手式人工呼吸法を学ぶ(昭和初期)
運搬法を学ぶ(昭和初期)
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『救急法』(1934年)
1934(昭和9)年、様々な科目がある衛生講習会から、救急法講習会が独立しました。
救急法が独立した背景には、交通機関の発達による事故の増加がありました。日本赤十字社は、その対策として1932(昭和7)年、大都市に看護人や事務員が常駐する路上救護所を設置。このとき、日赤大阪支部が路上救護所に配備した車が、日本初の救急車といわれています。
1934(昭和9)年には、第一救護に必要な救急箱や担架等(赤十字マーク付き)を配置した路上救護施設を全国に広げました。また、救急法講習修了者は「日本赤十字社救急員」として登録し、路上救護に協力してもらいました。
1943(昭和18)年以降は、第二次世界大戦の激化に伴う戦時救護の熾烈化により、日赤の救急法講習会の開催は激減。終戦時には、ほとんど開催されませんでした。
救急員のバッジ
赤十字の救急車『日本赤十字社博物館報第15号』より
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「災害救助に関する厚生省と日本赤十字社との協定」
第二次世界大戦後は、平時事業の重要性が再認識され、特に災害救護に役立つ救急法の復活が期待されます。
南海地震を機に、1947(昭和22)年10月、災害救助法が制定され、日赤の国への協力義務が規定されました。日赤は市町村ごとに赤十字奉仕団を組織し、その中から災害時に現地でいち早く第一救護に当たる「篤志救助員」の養成を開始。同年12月には、赤十字病院の医師が講師、看護師が助手になり指導する、「第一救護講習会」が始まりました。
さらに日赤が、篤志救助員からなる「救護奉仕班」を組織。救護奉仕班は、医師や看護師を中心とする日赤救護班の編成の一部を担うことになりました。その数は、1954(昭和29)年には80,752班(約48万人)に上りました。
しかし、実際の災害時対応は困難であり、実態が伴わなかった反省から、1955(昭和30)年に日赤救護規則を改正するに至り、篤志救護員や救護奉仕班は廃止されました。
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『救急法読本(改訂版)』(1952)
1949(昭和24)年、在日米軍基地極東本部で、アメリカ赤十字による救急法指導者の養成講習会が開かれました。日本赤十字社職員も参加し、当時最先端と言われた救急法の知識と技術や、一般市民がボランティアとして指導者になり、広く社会に普及するしくみを学びました。
翌年日赤は、アメリカ赤十字による救急法講習テキストを参考に『救急法読本』を発行。それまで、日赤の講習の主たる目的は災害救護にあたるボランティア救急員の養成でしたが、広く一般市民への普及にも力を入れるようになりました。特に救急法が必要となる機会が多い警察、消防、鉄道、鉱山など、職域を中心に普及の対象を広げました。これが、現在につながる赤十字救急法講習の基盤となりました。
用手式人工呼吸法(シェーファー法)『救急法読本(改訂版)』より
運搬法『救急法読本(改訂版)』より
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『赤十字救急法教本』
1977(昭和52)年、日本赤十字社は、創立100周年事業の一環として、救急法普及の強化を目指します。講習内容を見直すほか、教本も図解を増やし、厳選した写真150枚以上をイラスト化したのです。
検定の合格者には「赤十字救急員」としての適任証を交付。「赤十字救急員徽章(バッジ)」を身に着けられるようにし、モチベーションアップにつなげました。日赤支部が指導員も養成することで、全国各地のボランティア指導員の誕生を後押ししました。
より多くの人が気軽に受講できるよう、短期講習にも注力。1980(昭和55)年には、小学校4年生以上を対象に「赤十字ジュニア救急法」講習を開始します。
実技のうち人工呼吸は、それまでの用手式(シェーファー法やニールセン法など)よりも簡易な呼気吹込式(マウスー・ツー・マウス)を取り入れました。心臓マッサージについても検討しましたが、一般への普及は時期尚早という、当時の日本医師会の見解に従い、教本には掲載しませんでした。
※赤十字ジュニア救急法は、1990(平成2)年に「青少年赤十字健康安全プログラム」として学校内での活動に移行しました。
意識不明者の体位『赤十字救急法教本』より
口対口(マウス・ツー・マウス)人工呼吸法『赤十字救急法教本』より
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『蘇生法講習教本』
1983(昭和58)年、日本医師会は「救急蘇生法の指針」で、一般市民への心臓マッサージ普及推進を提言。この方針転換を受け、日本赤十字社は、1987(昭和62)年4月から全国で心臓マッサージを含む「蘇生法講習」を開始しました。
その後、心肺蘇生法に対する国民意識の高まりを背景に、1991(平成3)年には国家資格としての救急救命士制度が創設されます。日赤も「5万人救急法」などのイベントを全国展開しました。
1994(平成6)年、自動車運転免許の取得時に応急救護処置講習を受講することが義務づけられると、日赤は、テキスト作成や指導者養成に協力。その後も、官民あげて交通安全の取り組みが続いています。
※1994(平成6)年の年間交通事故死亡者数は10,653人。2024(令和6)年は2,663人。(警察庁調べ)
心臓マッサージのデモンストレーション(救急の日'99)
「5万人救急法」(北海道支部、1994年)
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カンボジア赤十字社の講習を支援する様子(2012年)
日本赤十字社は、国際活動の一環として、6か国の赤十字・赤新月社の救急法普及事業を支援しました。2004(平成16)年から東ティモール、パキスタン、パラオ、2008(平成20)年からは、カンボジア、ミャンマー、2019(令和元)年からはラオスにも。
日赤の救急法指導員を現地に派遣して、救急法の知識・技術とともに教本や資材等の整備の進め方、指導員の養成など事業推進のノウハウを提供。赤十字・赤新月社のスタッフと直接コミュニケーションをとりながら、その国の救急法普及事業の取り組みに協力しています。
ミャンマー赤十字社の講習を支援する様子(2013年)
ラオス赤十字社の講習を支援する様子(2019年)
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『知っていれば安心ですーAEDの使用に関する救急法ー』
2000(平成12)年、AHA(アメリカ心臓協会)とILCOR(国際蘇生連絡委員会)は、共同で「ガイドライン2000」を発表。この国際的な指針で、医療機器AED(自動体外式除細動器:Automated External Defibrillatorの略)を一般市民も使用することが推奨されました。
これを受け、日本救急医療財団心肺蘇生法委員会は、2004(平成16)に「AEDを用いた救急蘇生法の指針-一般市民のために-」を発表。国内の関係法令が改正され、同年から日本でも一般市民がAEDを使用できることになりました。これは救命率を高めるうえで、画期的な出来事でした。
日本赤十字社は、2004(平成16)年から短期講習「AEDの使用に関する救急法」を開始。2007(平成19)年には、心肺停止状態の傷病者に対し、救急隊が到着するまでの間に行う一次救命処置(心肺蘇生法、AEDを用いた除細動、気道異物除去)に特化した「救急法基礎講習」を開始します。以来、一般市民によるAED使用の普及に尽力しています。
* 日本救急医療財団心肺蘇生法委員会:関係学会、関係省庁・団体、日赤などで構成
AEDトレーナー
屋内に設置されたAED
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国際赤十字の"World First Aid Day"PR画像(2014年)
赤十字救急法の講習事業開始から99年、時代とともに、講習内容や方法は変化してきました。しかし、急な病気やケガに苦しむ人の命や健康が、そばにいる人の手当の有無によって左右されることは、昔も今も変わりません。
「有効な手当を加えれば…治ったかもしれない…」デュナンの悔恨の言葉です。
あなたや、あなたの大切な人が、突然の病気やケガで苦しんだとき、救いの手を差し伸べてくれるのは誰でしょうか。
「とっさのとき、誰もが救い、救われる」ために
すべての人に、救急法の知識と技術を身につけてほしい。それが赤十字の願いです。
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