特別企画
赤十字講習100年 家庭から地域へ ~家庭看護・健康生活支援講習のあゆみ~
今から100年前、生活用水は井戸から、トイレも水洗でなく汲み取り式がほとんどでした。手洗い、うがい、歯磨きなど、今ではあたりまえの生活習慣も、当時は常識ではありませんでした。病院も少なく、乳児の死亡率や結核の罹患率の高さなども影響して、平均寿命は50歳に満たない時代だったのです。
1926(大正15)年12月23日、日本赤十字社は、「衛生講習会実施要領」を全国支部に通知。救急法(のちの水上安全法や雪上安全法にも枝分かれする)と家庭看護法の二つを柱として、日赤が持つ救急や看護のノウハウをわかりやすく一般市民に伝える講習事業を開始しました。
今回の特別企画では、そのひとつの柱である家庭看護法の進化をとりあげ、「日々の健康を守るために、誰もが身につけておくべき知識と技術」を人々に広く伝え続けてきた軌跡をたどります。
時代は変化し続けます。第二次世界大戦直後の日本の貧困や劣悪な衛生・医療の環境は、1950年代半ば以降、高度経済成長とともに飛躍的に向上。1961(昭和36)年には国民皆保険が実現し、多くの人が長生きできる時代がやってきます。それは同時に、高齢化社会到来の幕開けでもありました。
かつてナイチンゲールはその著書『看護覚え書』で、「女性は、誰もが一生のうちにいつかは看護婦になる」と述べましたが、今やその主語は、性別や年齢に関係がないと言えるでしょう。さらに、「誰もが」地域社会で互いに支えあうことを目指す時代になりました。
健康が人間の幸福の礎(いしづえ)であることは、昔も今も変わりません。
戦前の衛生講習、戦後の家庭看護講習、そして現在の健康生活支援講習へ。時代のニーズに応じた「ケアのかたち」を追い求め、暮らしに寄り添い続けてきた赤十字講習の100年をふりかえります。
注目ポイント
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『看護覚え書』
クリミア戦争の救護活動から戻ったフローレンス・ナイチンゲールは、1859年にNotes on Nursing『看護覚え書』という、誰もが気軽に読める手帳サイズの本を著しました。
第1章「換気と保温」に始まり、「食物の選択」「ベッドと寝具」「陽光」「部屋と壁の清潔」「からだの清潔」「病人の観察」などの項目が続きます。人間が本来持っている自然治癒力を引き出すための基本的な考え方を紹介しました。それは、科学的根拠に基づく実践を促進するものであり、世界の看護を変える一冊となります。
ナイチンゲールは本書で、「日々の健康上の知識や看護の知識は、誰もが身につけておくべきもの」「専門家のみが身につけうる医学知識とははっきり区別される」と述べています。
日常の健康のために役立つ知識は、誰もが身につけておくことが出来るのだと、世界中の人々が知ったのです。
フローレンス・ナイチンゲール ©ICRC Archives
Notes on Nursing『看護覚え書』
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『日本赤十字』第36号(1895)
日本赤十字社は、活動を支える人々に向けて機関誌を発行し、活動報告や様々な情報を発信しました。
1895(明治28)年7月発行の機関誌『日本赤十字』第36号~47号には、「家庭 日本赤十字社看護婦教程」を7回掲載。看護師を養成するための教科書の内容を紹介しました。
その後も、「育児衛生」(第81号)、「伝染病予防談」(第114号ほか)、「夏期の衛生」(第125号)など、そのときどきの保健・衛生上のトピックを取り上げ続けました。
幅広い読者層に衛生や看護の知識を共有することで、健康的な家庭生活・日常生活に役立ててもらいたいとの願いが込められました。
『日本赤十字』第36号「家庭」
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「第一回赤十字社連盟総会に関する報告」
1918(大正7)年に第一次世界大戦が終結しますが、戦争の爪痕は深く、平和であっても赤十字がなすべきことがあるとの考えから、戦時救護を目的とする赤十字国際委員会(ICRC)とは別に、世界の赤十字社の連合体として、1919(大正8)年に赤十字社連盟(現在の国際赤十字・赤新月社連盟:IFRC)が設立されました。
当時、世界共通の社会問題となっていたのは、結核やスペイン風邪(インフルエンザ)、赤痢、チフスなどの感染症でした。1920(大正9)年、IFRCは、加盟30社中28社が集う第1回総会で「健康の増進」「疾病の予防」「苦痛の軽減」に各社が全力で取り組むことを決議します。
日本赤十字社は、この決議に基づき、国民の健康教育・保健指導のための「衛生講習会」など平時事業を展開。決議第7にある「実見、教育その他一切の方法を以て衛生に関する有益なる智識を普及すること」が、その後に展開する日赤講習事業のよりどころとなります。
- ICRC:International Committee of the Red Cross
IFRC:International Federation of the Red Cross and Red Crescent Societies
- ICRC:International Committee of the Red Cross
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「衛生講習会実施要領」
国際赤十字の動きを受け、日本赤十字社は、1926(大正15)年12月23日に「衛生講習会実施要領」を全国各支部に通知しました。
衛生講習会の科目は、「衛生」「救急法」「家庭看護法」「赤十字事業の要領」など。対象者は、16歳以上の一般の希望者としました。
「家庭看護法」の科目の内容には、病室、病床の位置、病衣、飲食、熱、睡眠、発汗、体温、便、褥瘡のほか、「治療介補」(医師による治療の補助)として、与薬、吸入、点眼、入浴などがありました。
1927(昭和2)年1月発行の日赤の機関誌『博愛』第476号に掲載された、日赤本社救護課長高橋高による記事には、「本科目の講習は、(中略)実地的に練習せしむることが主眼」、「赤十字事業の要領は、(中略)社旨の普及を図る目的のためにするのである」と記されています。
当時から講習は、知識以上に実技が主眼であり、受講者が赤十字事業への理解を深めることが重要と認識していたことが分かります。
『家庭看護法 全』より
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日赤の再建案を討議(前列右がエディス・オルソン)
第二次世界大戦後、日本は敗戦国となり、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の占領下におかれました。
1946(昭和21)年、アメリカ赤十字から看護顧問としてエディス・オルソンが日本赤十字社に派遣されました。オルソンは、「家庭看護法の普及は、資格のある赤十字看護婦によってはかること」を提案。1947(昭和22)年から、医師が講師となっていた衛生講習会に替わり、看護師が講師となる家庭看護講習会が始まりました。
これは、GHQによる日本の看護教育の拡充と、看護師の職業的地位の向上をめざした改革と連動するものでした。
1948(昭和23)年に日赤が発行した『家庭看護』は、アメリカ赤十字から寄贈された用紙を使うことにより、安価な価格での販売が可能となりました。その内容は、日赤の家庭看護講習の基盤となりました。
『家庭看護』
はしがき『家庭看護』より
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第一部・第二部・第三部の教師用教習本
1951(昭和26)年、日本赤十字社は、新たに「家庭看護講習規程」を定め、それまで一つの講習として行っていた家庭看護法を二部制としました。
「第一部」は、病人の看護と伝染病(感染症)予防及び保健について学ぶ内容。「第二部」は、妊娠・分娩、乳幼児の育児・看病等について学ぶものです。
「第二部」を新たに設けた理由は、乳児死亡率がきわめて高かったことがあります。当時は、戦後のベビーブームで年間約270万の出生がある一方で、1歳未満の乳児の死亡率が約7.7%だったのです。
1972(昭和47)年には、来たる高齢化社会を見据え、老人看護を扱う「第三部」を新設しました。
赤ちゃんの入浴法を体験される秩父宮妃殿下(1950年代)
家庭看護法講習会(1974)
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『家庭看護』(1976)
1976(昭和51)年、それまで「第一部」「第二部」「第三部」としてきた講習の名称を、「基礎家庭看護」「幼児家庭看護」「老人家庭看護」と改め、一目で講習内容がわかるようにしました。
そして、同年に作成した教本『家庭看護』も、図解を増やすなど、わかりやすさを追求しました。これは、1977(昭和52)年の日本赤十字社創立100周年に向けた記念事業の一環でした。
戦後の母子手帳の普及により、妊産婦と乳児の保健に関する教育や支援が行き届くようになったことから、「赤十字幼児家庭看護講習」では、妊産婦と乳児に関する項目を削り、幼児(1歳~小学校入学前)に焦点を当てるように変更。「老人家庭看護」では、それまでの第三部にはなかったリハビリテーションを扱うなど、「寝たきりにしない看護」を目指しました。
また、それまでの、看護・介護は女性がすべきものという固定観念にとらわれず、男性のための家庭看護の短期講習も盛んに行われるようになっていきました。
『家庭看護』より
男性のための家庭看護講習
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『家庭看護法講習教本』(2000)
1950年代半ばの高度経済成長以降、それまでの国内の劣悪な衛生環境は格段に改善され、病院も増えました。また国民皆保険の実現により、誰もが必要な治療を受け、入院もできるようになります。
そのため、家庭での看護は、高齢や慢性病等による要介助の人が主な対象となり、受講希望は、「老人家庭看護」がほとんどを占めるようになりました。
一方で、「基礎家庭看護」を受講する人もいたため、1994(平成6)年、「基礎家庭看護」と「老人家庭看護」を併せて、「一般家庭看護講習」に改編し、受講者の便宜を図りました。
さらに、国がゴールドプランにより、介護人材育成の強化を図りました。その動きを受けた日本赤十字社は、2000(平成12)年、「一般家庭看護講習」を「家庭看護法支援員養成講習」に発展させ、地域の支えあいに参加できる人材の養成も視野に入れた講習を開始しました。
- ゴールドプランとは、1990(平成2)年から施行された国の「高齢者保健福祉事業10カ年戦略」の通称。来る高齢社会を支える人材、施設、財源の確保を図る計画。2000年からの介護保険制度の運用開始につながりました。
『家庭看護法講習教本』より
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幼児安全法講習(2024)
それまで、日本赤十字社「幼児家庭看護講習」の科目は、健康管理や看病を中心に学ぶ「子どもの成長と発達」「よりよい生活習慣」「事故に備えて」「病気を防ぐために」の4章で構成されていました。
しかし、2000(平成12)年からは、乳幼児の安全(事故防止)に重点を置き、もしものときのけがの手当や心肺蘇生を取り入れた「幼児安全法講習」として普及することになりました。救急法の要素を増やしたのです。
また、それまでは家庭看護法の指導は看護師が当たっていましたが、幼児安全法では、一層の普及を目指し、救急法指導員も研修を受けて講習指導に当たるようになりました。
幼児安全法講習教本
幼児安全法講習教本より
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健康生活支援講習(沖縄県支部)
2000(平成12)年、国の介護保険制度がスタートし、その利用者が増えました。それを機に、人々の関心は、家庭での看護・介護から、自分の健康増進・介護予防へと移り、高齢者の支援や介護は、地域社会で互いに助け合う時代へと変化していきます。
2009(平成21)年4月、日本赤十字社は、高齢者の自立を目指した介護に焦点を当てたこれまでの「赤十字家庭看護法講習」を「赤十字健康生活支援講習」に改編。健康増進・介護予防などを加えました。
2023(令和5)年には、高齢期を健やかに迎えるために必要な健康増進の知識や、自立に向けた生活の仕方や工夫を紹介。同時に、地域包括ケアの考え方を強く押し出し、地域の高齢者支援に役立つ技術や、様々な社会サービスについて学ぶ内容にリニューアルしました。
- 地域包括ケアとは、高齢者が住み慣れた地域で、安心して自分らしく暮らし続けられるよう、地域全体で支える仕組みのこと。
『赤十字健康生活支援講習』(2009)
『赤十字健康生活支援講習』より
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多世代交流会の様子(愛知県支部)
赤十字講習は、100年間、時代の変化に対応しながら、人々の暮らしに寄り添ってきました。
かつてナイチンゲールは、「日々の健康上の知識や看護の知識は、誰もが身につけておくべき」と述べました。
住み慣れた地域で「誰もが」互いに支え合えるよう、赤十字講習は健康安全に役立つ具体的な知識と技術をこれからも提供し続けます。
- 日赤の講習事業は、国際赤十字・赤新月社連盟「地域の健康2030年戦略」にも連動しています。
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