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東日本大震災活動レポート

医療救護活動

震災から100日続く日赤の医療支援(岩手・陸前高田市立第一中学校避難所)

11/07/08

■心配される高齢者の健康
「ご飯は食べられていますか? 水分は取っていますか?」
 陸前高田市立第一中学校の避難所内にある高齢者ルームでは6月21日朝、秋田赤十字病院の井上貴子看護師と小松恵智子看護師が高齢者の方々の間を回って、血圧を測ったり、健康状態を尋ねたりしていました。

(写真)高齢者ルームで体の様子などを聞く井上看護師(右側)と小松看護師(中央)

「夜はトイレに行くのが嫌だから、午後はどうしても水分を控えてしまうんですよ」と語るのは、沼倉ミツ子さん(90歳)の娘さん、あい子さん(68歳)。2人は茨城県から引っ越して来て、昨年7月に建てたばかりの自宅を今回の震災で失いました。
「夜は体を動かさないので、血液がドロドロになってしまいます。詰まっちゃたら大変、一口でも水を飲んで」「夏はとくに脱水症状が怖いですから」と、両看護師は水分の摂取を勧めて回ります。
 トイレまで歩く距離が長い避難所生活。高齢者は「間に合わないのでは」「みんなの前で失敗するのでは」という不安から、どうしても水分を控えてしまうという傾向があります。
 2人の看護師と話しをしたあい子さんは「震災直後から活動してくれている赤十字さんには、本当に感謝しています」。
(写真)沼倉さん母娘にも笑顔が戻りつつあります

■リハビリで再び歩けるように
 菅野仁さんは震災前、自分でバスに乗って病院に通院するほどでしたが、津波から懸命に逃げた時の負担やショックが重なったためか、震災から4~5日後に歩けなくなってしまいました。でも、リハビリメニューで体を動かすように努めた結果、再び歩けるように。
 「赤十字さんには感謝の気持ちでいっぱいです。リハビリをもっと頑張って、元の体に戻りたい」と仁さん。奥さんのイツ子さんも「日赤さんもボランティアの方も、皆さんが一生懸命やってくださり、また24時間体制でいてくれて、本当に安心です」と、仁さんの傍らに笑顔で寄り添います。
(写真)リハビリをもっと頑張りたいと語る菅野さん

■今なお奮闘する救護所
 同中学校の避難所内にあった救護所は6月24日、校庭に建てられたプレハブに移動。これまでなかったレントゲン設備も新たに設置されました。
 陸前高田市内では被災した県立病院が仮設で業務を再開し、一部開業医も診療を始めていますが、救護所には上気道感染やがれき撤去で負傷した患者さんらが現在も1日約30~40人訪れるなど、一次医療の担い手としてその役割を発揮しています。
診察時間は午後9時までとなっていますが、夜間救急に備えて24時間待機の態勢をとっています。
 北見赤十字病院から派遣された結城一声医師によると、血圧が普段より高い人や、不眠による疲れやストレスで血糖値が高くなるケースも見受けられるといいます。
「皆さんに寄り添い、お話を聞くことくらいしか私たちにはできませんが、被災された方々の中に必ず立ち直っていこうという力があると感じています」
(写真)救護所で診察する結城医師


■取り戻しつつある「笑顔」
 井上看護師が東日本大震災の被災地で活動するのは今回で4回目。2回目の小松看護師とともに毎朝、高齢者ルームでお話を聞いた後、医療ニーズがある方々の元を訪問しています。
 自宅にいる高齢者の方々は身の回りのことや家事などで体を動かす機会が多いのですが、避難所では自由に体が動かせず、外で運動する機会も限られていることから、筋力が落ちてしまうことが心配されています。このため、リハビリなど体を積極的に動かしてもらうことなどが課題となっています。
 一方、がれきが撤去され、地ならしが進められるなど、被災地は確実に変わってきています。
 「震災から100日が過ぎても、悲しみはもちろん残っています。でも、笑いが出たり、明るい面も出ています。お話をしていても、初めのころは悲しく苦しい思いをもっていることがよくわかりました。いまは泣きながらも笑顔が出てきています。時間が経つにつれて、解決できることもあるのでは、と思っています」と、井上看護師は悲しみの向こうにある笑顔、そして希望について語っています。
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