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東日本大震災活動レポート

生活再建

終わらない復興への道 あれから2年半―岩手県を訪ねて(その2)

13/11/01

 震災後、避難所となった陸前高田市立第一中学校の校庭は、被災地に最初の仮設住宅が建てられた場所。その校庭の裏手からは、市街地が一望できます。
 東日本大震災から2年半が経過しましたが、眼下の風景は、雑草に覆われた空き地が広がっています。

(写真:高台にある第一中学校は震災直後、大勢の被災者が集まり避難所に。日赤の救護班も4カ月余りにわたり常駐しました)

仮設の暮しを振り返って
 陸前高田市立第一中学校にある仮設住宅で2年3カ月あまり暮し、今年7月に近くの賃貸マンションに越した山田公江さんを訪ねました。
 最初の仮設入居者の一人だった山田さんは、「狭い仮設の中には学習机も置けず、床にノートを広げて勉強する子どもの姿を見て、何とかしなければと引っ越しを決めたんです。でも、市内には民間の賃貸物件がほとんどなく、家賃も高いので大変です」と仮設での生活を振り返りながら、現在の生活を話してくれました。

 以前、山田さんは「町がここまで破壊されてしまった中で、私に何ができるのか・・・(略)。でも、ポジティブな気持ちだけは失いたくない」と語っていました。現在の復興の状況については、「流された鉄道の代わりに、代替バスが走りはじめました。でも、正直、朝ドラの『あまちゃん』を見ていて、“あそこは鉄道が復旧していいなぁ”とうらやましかったですね」

(写真:JR大船渡線が通っていた陸橋(陸前高田市内)。右半分は津波に流されたままの状態です)

「心の復興」の重要性
 石巻市内でジャズライブハウス兼バーを営む和田忠秀さんは「物の復興はお金でなんとかなるのかもしれないけど、被災者は心に傷を負ってるからね。そこの部分の復興はお金では解決できません。『心の復興』を一生かかるかもしれない。簡単なものじゃないと思いますよ」と話します。
 山田さんは震災後、父親を亡くしました。「震災によるストレスがなければ、こんなに早く逝く事はなかったかもしれません」と話す彼女も、「心の復興」はまだまだ先と訴えます。「私たちよりも、もっと大きな被害を受けて、心に傷を負った被災者の方は大勢います。そうした方の『心の復興』にはもっと時間が必要なはずです」

(写真:7万本の松のうち一本だけ残った「奇跡の一本松」。地盤沈下による海水の浸透で根が腐り枯死しましたが、その後、幹は防腐処理が施され、カーボン製の心棒を通すなど、震災モニュメントとして保存・復活しました)

「終わらない復興への道 あれから2年半」はシリーズでお伝えしています
<<終わらない復興への道 あれから2年半―宮城県を訪ねて(その1)

<<終わらない復興への道 あれから2年半―福島県を訪ねて(その3)

<<終わらない復興への道 あれから2年半―福島県を訪ねて(その4)