これからの赤十字 vol.3

高橋 順一

救護・福祉部 健康安全課
課長

新しいことに挑戦しつづける

これまでの経験の中で印象に残っている出来事

青少年赤十字加盟校に講師として出向いた時の話です。

この小学校は前年に続いて2回目の訪問でしたが、5年生を対象にストッキングなどを活用した応急手当の講習が無事に終了し、応接室で校長先生と雑談をしていた時に、一人の男の子がノックとともに飛び込んできました。

「高橋さん、僕の時にはストッキングを使った応急手当の方法は教えてくれなかったよ。また、今度教えてください」と、元気よく話してくれました。

その子は前年に受講した6年生だったのですが、1年前のことを憶えてくれていたのです。

相手を思いやり、それを実践する方法を学んだ子どもたちは、大人になっても赤十字のお兄さん(当時28歳)に学んだことを覚えてくれていることでしょう。

今後の挑戦したいこと

東京都内の武蔵野赤十字病院に採用後にさまざまな施設、部署を経験し、平成25年4月から現職を担当していますが、この18年間、常に新しいことに挑戦してきたと感じています。

健康安全課は救急法等の講習事業を担当する部署ですが、国内だけでなく、海外の赤十字社に対しても救急法の普及支援を実施していることはご存じでしょうか。

私は今年の8月に支援国の一つである東ティモール赤十字社を訪問し、事業の進捗状況を確認してきました。日本とはまったく違う環境に驚き、また、同国における救急法普及の大切さを改めて認識しました。

今後は国内の活動だけでなく海外にも目を向けて、さらに見識を広げていきたいと思っています。

職員としての決意と誇り

赤十字は創始者であるアンリー・デュナンが、1859年、戦場で「苦しむ人を敵味方の区別なく救護する。」という着想から生まれた団体です。

私たち日赤の職員は災害時において救護活動を行うことを義務付けられた組織の一員であることを忘れてはなりません。日赤は災害救護以外にもさまざまな事業を行っていますが、首都直下地震や南海トラフ地震などの大規模災害が起こった際には、全職員が災害対応を行うことになるのです。

私も三宅島噴火災害、新潟県中越地震において現地で救護活動を行いました。また、記憶に新しい東日本大震災においては、本社災害対策本部の一員として医療救護班の派遣調整を担当しました。

東日本大震災では福島県の原子力発電所事故において、放射線下での救護活動の行動基準や装備がなかったために、医療救護班の派遣が滞るという状況となり、現地の職員からの「福島は見捨てられたのか」という声と、その時の無力感を絶対に忘れることはできません。

現在、私は赤十字原子力災害情報センターの業務も兼務職で担当しています。もし、同じような災害が起こったとしても、福島県における経験・教訓を踏まえて、学びを形にする仕事に最善を尽くしていきます。