七夕の約束 ~夢をなくした子どもたちに

シリーズ 『3.11~あれから10年を生きて』 第4回/東日本大震災の発生から2021年3月で10年です。 来年の3月号まで「3.11」から人生を変えた人々の物語を毎月連載します。

学校再開後、遠方からバスで登校した生徒とハイタッチする松本さん


福島県いわき市立 久之浜第一小学校 元校長
赤十字賛助奉仕団員/青少年赤十字指導者指導員
松本光司(まつもとこうじ)さん

 あの原発事故からもうすぐ10年。福島には避難してから一度も自宅に戻れないまま大人になった子がたくさんいます。3月11日の朝に家を出た時には、ベッドの上に読みかけの本や、戸棚の中におやつがあったかもしれない。でも、それらを失ったまま、時間だけが過ぎてしまった…。
 2011年3月12日、いわき市は久之浜地区住民に自主避難を要請。緊急輸送バスを運行させて避難移動を開始しました。11日に津波の被害があったため市の避難所にいた久之浜第一小の子どもたちは、そこから8つの避難先に分散。そして4月、避難先の小学校で間借りをして第一小の新学期が始まりました。
 新しい環境で、子どもたちに異変が起きました。体調不良で保健室に行く子どもが多く、他にもストレス症状を見せる子が日に日に増えました。その様子を見て、僕は決意したんです。子どもたちと一緒に、久之浜第一小に戻ろう、と。
 その日から、除染作業のために久之浜第一小に通う生活が始まります。毎日毎日、放射性物質が降り積もった校庭の表土を除去し、校舎中の埃(ほこり)を取り、隅々まで清掃して学校周辺の針葉樹の枝葉もすべて伐採しました。保護者や地域の人も協力してくれて、やがて他の都道府県からもたくさんのボランティアさんが参加してくれました。僕は、日々下がっていく線量を全保護者あてにメールし、第一小から離れて避難している子どもたちに手紙も書きました。今日の久之浜第一小はこんな感じだったよ、また学校で会おうね、と。そして小学校が再開した2011年10月。232人の在校予定数のうち、戻ってきてくれたのは191人! 泣けるのは、親を説得してくれた子がたくさんいたこと。兄弟げんかしないから、宿題ちゃんとやるから、第一小学校に戻らせてください、って。登校初日、僕は朝の校門で子どもたち全員をハイタッチしながら出迎えました。目を真っ赤にさせながら…。



 学校を再開させることばかりに気をとられ、子どもたちの大事な心の変化に気づけなかったのかもしれません。学校再開の翌年、体育館に飾られた七夕の願い事を目にして、僕は言葉を失いました。
「お父さん、お母さんがケンカしないで、楽しく生活できますように」
 そこにあったのは、生活の不安やストレスから言い争いが多くなった家族の姿に胸を痛めた子たちの、切実な願い事ばかり。
 子どもの夢って、もっと自由でキラキラしたものだったはず。有名なスポーツ選手になりたいとか、アイドルになりたいとか…。短冊に生活の悩みを書くのは、子どもたちが夢を見られなくなっているから
 放置してはいけない、本気で取り組まないといけない課題を見つけました。それは福島の子たちが夢や希望を持てるようになること。
 あれから8年。昨年、僕は小学校校長を定年退職しましたが、青少年赤十字やNPO活動、公民館長として子どもと関わる仕事を続けています。

この記事は赤十字NEWS 2020年7月号の掲載内容をオンライン用に編集したものです。
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