75年前の恩返し――ポーランドに招かれた 阪神・淡路大震災の被災児童60人

日本の収容施設で食事を振る舞われるポーランド人孤児たち

1995年7月、阪神・淡路大震災が発生した年の夏休み、遠く離れたポーランドに被災児童30人が招かれました。さらに翌年も、前年とは別の被災児童が30人。渡航・滞在費用はすべて、ポーランドの個人、企業、滞在先の市行政などが負担し、ポーランドに到着した児童たちは、3週間にわたり各地で温かい歓待を受けました。
 それは、震災の75年前に日本が行った、ポーランド人孤児救済に対する“ 恩返し” 。そしてその背景に、日赤による国際救援活動がありました。
 第1次世界大戦後、ロシア革命や内戦に巻き込まれた在シベリアのポーランド人の多くが餓死や凍死をし、生き残った孤児たちの命も風前の灯でした。1920年、日赤はポーランド人孤児765人を受け入れ、祖国へ帰す支援を実施。ひどい栄養失調、病気、孤独にさいなまれていた孤児たちは日本人看護師の献身のおかげで、健康と笑顔を取り戻しました。日本語であいさつをしたり、君が代を歌うなど急速に日本に慣れ親しんだ彼らは、帰国の際に涙を流して別れを惜しみ、成長してからは日本との友好親善に尽くしたのです。
 1995年のポーランド招待に小学校5年生で参加し、現在は常磐大学 総合政策学部で助教をつとめる岡﨑拓さんは次のように語ります。「ポーランドの人々から孤児を救ってくれた日本へのお礼を言われ、子ども心に驚きました。どこに行っても温かく歓迎してくれて、うれしかったですね」。この経験により岡﨑さんはポーランド経済の研究者となり、大学で教鞭をとっています。
 1996年の2度目の招待では、高齢となったポーランド人孤児4人が対面に駆けつけ、被災児童たちに心からの励ましの言葉と平和の象徴である一輪のバラの花を1人1人に贈りました。「人道」の絆は世代を超え、2つの国を結びつけています。

1995年、ポーランドを訪れた小学校4年生から中学生までの30人。前から2列目、右から4人目が岡﨑氏(写真提供:岡﨑拓さん)

この記事は赤十字NEWS 2020年2月号の掲載内容をオンライン用に編集したものです。
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