Vol.8 日露戦争~捕虜の救護

日露戦争は1904(明治37)年2月に勃発し、約1年9ヶ月の間に多くの傷病者を出ました。日本赤十字社はこの間に152の救護班、約5,170人の救護員を満州や朝鮮などの戦地、大陸と日本を往復する病院船、また国内の軍病院などに派遣しました。

上:負傷ロシア人捕虜の治療 下:下賜された義足を手にするロシアの負傷兵

上:負傷ロシア人捕虜の治療
下:下賜された義足を手にするロシアの負傷兵

日本赤十字社の救護活動は、日本兵だけにとどまらず、ロシアの傷病兵や俘虜(捕虜)に対しても同様に行われました。

これは国際法により、傷病兵は敵味方の差別なく救護しなければならず(*1)、俘虜には博愛の心をもって接するよう(*2)に決められていたためです。

また日本赤十字社が救護活動を行った松山俘虜収容所では、皇后陛下(後の昭憲皇太后)から失明や手足切断を余儀なくされたロシア兵に義眼、義肢が下賜されました。

これらの活動に対してはロシア兵からも厚い信頼が寄せられ、ロシア赤十字社やロシア軍病院長から謝状が日本赤十字社に贈られました。

*1 戦地軍隊ニ於ケル傷者及病者ノ状態改善ニ関スル条約(赤十字条約)〔1886(明治19)年加入〕
*2 陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約付属書〔1900(明治33)年批准〕