Vol.4 日赤が養成中の看護婦が初めて活躍~濃尾地震震災~

上:濃尾地震で救護活動を行う救護員たち 中:最初の「看護婦養成規則」の決裁書 下:看護婦養成テキスト

上:濃尾地震で救護活動を行う救護員たち
中:最初の「看護婦養成規則」の決裁書[1889年(明治22年)6月14日付]
規則の第一条には「卒業後戦時ニ於テ患者ヲ看護セシムル用ニ供ス」と掲げている。
下:看護婦養成テキスト『看護学教程』1896年(明治29年)6月刊行、日本赤十字社編纂

濃尾地震災害

1891年(明治24年)10月28日、愛知、岐阜両県にまたがる濃尾地方をマグニチュード8の大地震が襲い、死者7,000人以上を出す大災害となりました。日本赤十字社は医師10人と共に養成した看護婦20人からなる救護班を派遣し、被災者の救護にあたりました。

看護婦養成のはじまりと一期生の活躍

連載第1回(展示紹介Vol.1 2010.7.15(PDF:266KB))の磐梯山噴火災害(1888年)の写真を見ると、手当てをしているのは男性だけです。しかし濃尾地震災害(1891年)では、女性(看護婦)が救護にあたっているようすがよくわかります。

日本赤十字社は、磐梯山噴火の翌年の1889年に日本赤十字社看護婦養成規則を制定し、看護婦を養成することを決めます。そして1890年4月に一期生10人が入学、さらにその翌年の濃尾地震災害にその10人を現地に派遣したのです。

日本赤十字社は現在、全国で看護師等を養成し、病院を運営していますが、そのそもそもの目的は、いざというときのための救護員を養成・確保することにありました。

今年は日本赤十字社が看護師の養成をはじめてから120周年にあたります。