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もっとクロスメッセージ

This is Indonesia!(インドネシア保健医療支援事業:鈴木駐在員)

   

<今回のナビゲーター>

~インドネシアより~

鈴木 聡子(すずき さとこ)
栗山赤十字病院 理学療法士
インドネシア赤十字社ボゴール病院に2010年9月24日から12月18日まで派遣
※理学療法士・・・身体に障害のある人のリハビリテーションなどを受け持つ

事業内容はこちら

人々の高い受忍力の裏には家族の絆

脳腫瘍手術後の患者さんと鈴木駐在員。患者は3日後には退院した

 インドネシアは自然災害の多い国で、私が駐在していた2010年10月にも、地震と火山の噴火が相次いで起こりました。津波や噴火で多数の犠牲者が出たので、日本人の感覚だと「連日昼夜を問わずの大ニュース」と思われるかもしれませんが、意外なことにそうでもありません。ボゴール病院の同僚に災害の話題を向けても、「This is Indonesia!(これがインドネシアだよ!)」と、実にあっさりした返答でした。
 自然災害と同じように、インドネシアでは患者さんの病気やけがを受け入れる様も、あっさりしているように見えます。驚くほど早期に退院されるのは、費用が医療保険でカバーされないことだけが理由ではないのかもしれません。自分の力ではどうにもならないことを受け入れる力が強い人たちだと感じます。その大本には何があっても信頼し、支えあえる家族の強い絆があるように思います。
 より安い他院に入院するためにボゴール病院のER(救急治療室)から家族に背負われて帰っていく患者様の後姿を見ながら、タクシー代を払えない厳しい現実と、それでもおぶさることのできる背中がある幸せについて考えさせられました。リハビリテーションが本来追い求める「その人らしくいきいきと生きていく幸せ」について考えることの多い日々でした。

格差社会の医療と寄付

解体される牛を見つめる子どもたち

 インドネシアの病室にはランクがあります。1日7万5,000ルピア(約690円)の10人収容の大部屋から、リゾートホテルの一室かと思うほど豪華な1日125万ルピア(約1万1,000円)の部屋までさまざま。部屋代には食費と介護料が含まれるので、ランクによって食事だけでなく介護にも大きな差があります。「お金をたくさん持っている人は多く出す」という慣習があるインドネシアで、「多く出した人には相応のサービスを」という病院側の配慮が生んだ格差システムなのかもしれません。
 インドネシアの経済格差を強く感じたのは、友人宅での犠牲祭。神への犠牲として牛やヤギ、羊を捧げ、その肉を貧しい人々に分け与えるという、ムスリムにとって大切な儀式です。
 大きな牛が2時間かけて150の牛肉の塊(かたまり)に解体されると、それまで見ていた人々がクーポンを持って近づき、塊を一つずつ受け取っていきました。彼らは見物人ではなく、肉を受け取る「貧しい人々」だったのです。彼らのうち誰も牛のオーナーたちに礼を言う人はなく、オーナーたちも彼らの方を見ることもありません。
 犠牲祭は、誰が誰に何を渡すのかとてもはっきりした寄付の形です。でも貧しい人々は牛肉を「施し」としてではなく、「当然の権利」として受け取っているようです。確かに富める人が富んでいて、貧しい人が貧しくあるのは、決して本人の努力だけによるものではありません。家が貧しいと十分な教育が受けられず、それが将来の雇用機会の制限につながってしまうなど、貧困は連鎖してしまうのです。富裕層と貧困層が決して混じりあうことのないこの国の現状で、受け取る側が負い目を感じない文化というのは、社会の安定に必要な知恵であり、各階層の人々にとって日本とは違う居心地の良さを作り出しているのかもしれません。

「戦地インドネシア」の今

ボゴール病院スタッフによるリハビリテーション

 こちらの高齢者には、日本語を話せる方が結構いらっしゃいます。1945年に第2次世界大戦が終わるまでの数年間、日本軍がインドネシアを占領していたからです。彼らは学校で日本語を学んでいました。
 私が日本人だと知って「こんにちは」と声をかけてくれる方に、呼吸器疾患で苦しいのに懸命に「君が代」を歌ってくれる方。私は苦しいような胸の中をどうにもしようがなくて、どのように感じるべきなのか、つい頭の中で探してしまいます。
 栗山(北海道)の高齢の患者さんから、南方戦線従軍の悲惨な話、銃後で国を守り苦労した話はたくさん聞いてきましたが、戦地となったインドネシアの方たちは、今日までどんな人生を過ごしてこられたのでしょう。太平洋戦争後、オランダとの独立戦争も戦い、必死に生きてきた方も多かったのではないでしょうか。
 30代の友人は「私には日本人の血が少しだけ入っているのよ。4代前が日本人だったの。ほら、そのころは日本の兵隊と結婚するのが普通だったから」。今までいろいろな国の歴史の本で読んできたことではありましたが、戦地となった国の現在(いま)を目の当たりにし、この65年間の日本とインドネシアそれぞれの道のりについて考えさせられました。その彼女のハンサムなフィアンセにも、やはり長崎に親戚がいるのだとか。彼女の体の中を流れているものが憎しみではなく、明るい未来に向かっていることが本当に嬉しく感じられます。

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