被爆70年を迎えて

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献花する近衞社長(写真左)、シュレーダー赤十字国際
委員会駐日代表(同右)(長崎市提供)

広島と長崎に原爆が投下されてから70年が経ちました。

被爆者の中には、今なお健康被害に苦しんでいる方がたがいます。昨年1年間だけで、広島と長崎の日本赤十字社(以下、日赤)の原爆病院は、それぞれ4657人と6030人もの被爆者を治療しました。

一方、世界には1万5000発以上の核弾頭が存在。現代の核兵器1発の破壊力は、70年前の広島に落とされた原爆の30倍といわれています

「核兵器の使用は攻撃対象を戦闘員と一般人とに区別できない」、「もし核兵器が使用された場合、被害者を救う人道的対応能力がない」という2つの理由から、核兵器は廃絶すべきであると国際赤十字は訴え続けています。

国際赤十字・赤新月社連盟会長である日赤の近衞忠輝社長は国際赤十字を代表して今年、広島と長崎両市の平和記念式典、犠牲者慰霊平和祈念式典に出席しました。国際赤十字が市から招待を受けるのは初めてのことです。

被爆70年に寄せて -国際赤十字・赤新月運動を代表して-

「人道に反する核兵器は二度と使用されてはならず、廃絶すべきである」

これが赤十字の考えです。

人びとの苦しみをやわらげ、生命と健康を守り、人間としての尊厳を確保することを使命とする赤十字は、その思想誕生以来150年に亘り、戦争犠牲者と共に時代を歩んできました。核兵器に対する赤十字の考えは、そのうえで導き出されたものです。

70年前の今日、赤十字は長崎の市民と共にありました。地元の大村海軍病院などにいた日本赤十字社の救護看護婦は、被爆直後から各地の救護所に駆けつけ、懸命の救護活動にあたりました。当時の病院長の記録には「放射能の危険を承知して決死の覚悟にて出発した」とも記されています。「ひとたび核兵器が使用されたならば、いかなる周到な対策を講じていても、そこで犠牲となる人々、苦しむ人々に十分な救済の手を差し伸べることが出来ない」これが、70年前の赤十字の実体験です。

長崎の被爆者は日本人だけでなく、外国人が含まれることも忘れてはなりません。全ての被爆者の皆様は、無差別で、筆舌に尽くしがたい惨禍を目の当たりにし、苦しみが、時間や空間、さらには世代を超えて続くことを体験されました。この重圧に押しつぶされることなく、原爆による悲劇が世界で繰り返されることのないよう、力強く訴え続けてこられた皆様に、我々赤十字は深く敬意を表します。

70年前、長崎以外にも、原爆投下の候補に挙がっていた都市はいくつかありました。核兵器が今も存在する以上、長崎の悲劇は、常に世界中のどの都市にも降りかかる可能性があるのです。原爆による犠牲者にとって、核兵器のない世界の実現こそが、最善の慰霊であることは明らかです。核兵器が二度と使用されないためには、各国がその使用を禁じ、完全に廃絶するしか道はありません。これからも赤十字は長崎の皆様とともに、一日も早い核兵器廃絶の実現に向けて邁進してまいります。

国際赤十字・赤新月社連盟会長 近衞忠煇

(長崎の長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典で配布された近衞社長の挨拶文)

広がるムーブメント、「核兵器廃絶」への願いの輪

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赤十字奉仕団員(赤十字ボランティア)と職員が一緒に折り鶴を作成

日赤では、「核兵器廃絶」について考えようと、職員有志の呼びかけにより、折り鶴の作成が始まりました。

社内のみならず都道府県支部や施設、さらに一般の大学生や日赤本社(東京都港区)にある情報プラザに足を運んでくださった方がたなどにも広がり、4カ月で約600人以上の参加、合計4600羽の鶴が集まりました。

日赤の総合福祉センターに入居する高齢者も折り鶴作成に参加。鶴を折りながら「戦争は絶対に、二度としてはダメ。兄が戦争に行った時の、母の泣いている顔が忘れられない」と語る方もいました。

一羽を折る数分間、核兵器が廃絶された世界を願う。たくさんの願いが込められた千羽鶴は、近衞社長に託され、広島、長崎の両市長に手渡されました。折り鶴を折る活動は、海外の赤十字社にも広がっています。

本社にて受け渡し_折鶴_fixedresized.jpg

本社に集められ、束ねられた千羽鶴を近衞社長に手渡す職員一同

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近衞社長とシュレーダー駐日代表から
広島の松井市長に手渡される2束の千羽鶴

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同様に長崎の田上市長と長崎市議会毎熊議員に
手渡される3束の千羽鶴

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