被爆70年特別企画: 守るべきいのちと尊厳③

核兵器のない世界へ

ヒロシマの恩人 マルセル・ジュノー博士

広島平和記念公園の一角に、スイス人医師マルセル・ジュノー博士の功績を讃える顕彰碑があります。この碑を囲んで毎年、博士の命日である6月16日前後に記念祭が行われており、ジュノー博士没後50年となる2011年には、広島市長や駐日スイス大使も出席して盛大な会が催されました。その際、日本赤十字社の近衞忠煇社長は次のような言葉を寄せています。

「東北で未曾有の大震災と原発事故が起こりました。原発と原爆。人類が直面している二つの核被害を背負う中で、このような記念祭が行われるのは意義深いことです」

顕彰碑にはジュノー博士の肖像が彫られ、表には「博士の尽力でもたらされた医薬品は市内各救護所へ配布 数知れぬ被爆者を救う 博士の人道的行為に感謝し 国際赤十字のヒューマニズムを讃え永く記念してこれを建てる」とあり、裏には「無数の叫びがあなたたちの助けを求めている」と記されています。

「ヒロシマの恩人」として今も多くの人びとに親しまれているジュノー博士の功績とは、どのようなものだったのでしょうか。

15トンの医薬品とともに広島へ

長崎に原爆が投下された1945年8月9日、ジュノー博士は赤十字国際委員会(ICRC)駐日首席代表として東京に着任します。連合国捕虜の処遇改善などが来日の目的でしたが、同月末にICRCスタッフから次のような原爆被害の報告を受けます。

「…恐るべき惨状、街は壊滅している。すべての病院も80%は破壊されるか、重大な損害を受けている。仮設病院2カ所を視察したが、その惨状は言葉にならないほどひどい。連合軍の最高司令部に対し、すぐに広島の中心部に救援物資の投下を検討するよう要請してほしい。迅速に対策をとることが絶対に必要である」

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マルセル・ジュノー博士の功績を讃える顕彰碑

報告を受けたジュノー博士はすぐに連合軍最高司令部に接触。原爆投下の惨状を秘密にしておきたかったアメリカは、外国人医師が広島入りすることを一度は拒否しますが、博士の粘り強い交渉によりその申し出を承諾します。

博士は15トンの医薬品とともに広島入りし、実際に被爆者の治療も行い多くの人びとのいのちを救いました。博士は日本を去った後も、機会があれば核兵器の廃絶を訴え続けていたと言われています。

「父は負傷者や犠牲者を救助するためにはいかなる手段をも使い、やり遂げる人だった」と、2011年の記念祭に参列した博士の息子ブノワ・ジュノー氏は語っています。

国際赤十字は2011年、世界の赤十字社が集う国際会議で、核兵器廃絶を世界に呼びかける決議を採択しました。その理由は「もし核兵器が使用された場合、その犠牲者を誰も救うことはできない」という人道的観点によるものです。広島、長崎への原爆投下から70年。核兵器はどう人間のいのちと尊厳を脅かし、人びとはそれにどう立ち向かったのか。

赤十字の歴史の中からひも解いていきます。

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