ケニアへのあふれる想いを胸に

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ケニアの首都ナイロビに2015年1月から9月まで、地域保健強化事業の管理要員として派遣された近藤松子駐在員(京都第一赤十字病院・看護師)の活動を紹介します。

国際活動のきっかけ

私は子どものころから、自然や動物が大好きでした。それが高じて27歳の時に初めてケニアを訪れました。晴れ渡った青空、心地よい風、1週間の滞在ではもの足りなさを感じたまま帰国しました。

そして3年後、スワヒリ語の勉強のため6カ月にわたりケニアに滞在しました。

隣国ソマリアでは当時、内戦が起こり、国は無政府状態。人びとは家を焼かれ、殺害され、支援物資も一部の支配者が独占して国民の大部分には行き渡らないといった悲惨な状況でした。新聞を読んでも、被災状況が報告されるばかりで、なぜそのような事態になっているのかとても疑問でした。

スワヒリ語学院の特別講義で共同通信ナイロビ支局長の方が講義に来てくださり、現地を取材して状況を分析され、ご自分の考えをしっかり述べられるのを聞いて、これを聞けただけでもケニアに来た甲斐があったと感じました。

ケニアではほかのジャーナリストの方にもお会いする機会がよくありました。皆さんが赤十字の活動を高く評価していて、赤十字の看護学校を卒業し、赤十字病院で働いてきた私はとても誇らしく思いました。そして、自分もその活動に携わりたいと思うようになりました。それが赤十字の国際活動を志すようになったきっかけです。

赤十字の国際活動要員になり、インドネシア、そして大学院へ

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ケニア赤十字社内の日赤オフィスにて

仕事をしながら英語を勉強し、日本赤十字社(以下、日赤)の国際要員に登録されました。そして、2006年にインドネシア保健医療支援事業(ボゴール赤十字病院)に派遣され、医療レベルの改善に取り組みました。

現地の人びとの9割がイスラム教徒でインドネシア独特の習慣もあり、異文化を理解し、尊重して活動することの重要性を痛感しました。

その後、自分の学びに不十分さを感じて大学院に進学し、国際活動の第一人者である喜多悦子先生をはじめとする多くの先生方のご指導を受けました。大学院での学びは目からうろこが落ちたと思うことが多く、自分の無知を痛感しました。

自己研鑚していくうちに、看護学校や近隣の看護大学、看護協会から依頼され、国際看護や災害看護の講義を行うようになりました。また、青少年赤十字リーダーシップ・トレーニングセンターでは子どもたちに向けて、赤十字の国際活動や国際人道法の話をしています。赤十字について知ることは、その人の人生を少しでも豊かにするのではないかと思っています。

ケニアでの活動

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ケニア赤スタッフとソーラーランタンを確認する
近藤駐在員(左から2人目)

ナイロビにあるケニア赤十字社(以下、ケニア赤)内の日赤オフィスで執務し、事業地ガルバチューラ県を2カ月に1度、視察しました。

開発協力は、基本的に現地の人びとが自分の力で事業を継続できることが目標です。私が看護師であっても直接住民の診療や指導にかかわることはありません。

スタッフが行っていることに対し、効果的であるか評価してアドバイスを行います。

ナイロビでは、ケニア赤の事業関係者と緊密に連携し、事業の進捗状況や直面する課題を確認するとともに、一緒に対応を考えていきます。

また、日本の皆さまからの寄付が適切に事業に使用されているか、提出された伝票を一枚ずつ確認し、予算と照らし合わせる会計作業も行います。

事業がどのように実施され、どのような成果を上げているのか、皆さまに正しくご理解いただけるよう、提出された年次報告書を点検し、修正を依頼してよりよいものに仕上げていきます。資料が期限内に正確に提出されることは少ないですが、粘り強く交渉しながら仕事を進めました。

今後の抱負

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同じオフィスで働くカナダ赤十字社のピエールさんと

事業には明確なログフレーム(枠組み)があり、上位目標や事業目標、それを達成するための具体的な活動が明記され、成果を評価する指標も記されています。日本の病院で行っていた、部署や委員会の目標管理とまったく同じです。

保健や赤十字に関する勉強会もよく開催されており、ケニア赤が実施している活動でSWOT分析(組織や事業が置かれている内部・外部環境を分析する手法)がなされていました。

日本での仕事をしっかりと行うことが、外国でも役に立つのだと実感しています。