国際救援を目指す若者につなぐ経験~映画『風に立つライオン』のリアルストーリー④

日本赤十字社幹部看護師研修センター教務部長 赤塚あさ子看護師に聞きました

赤十字国際委員会(ICRC)は1987年、スーダン内戦の犠牲者を救援するため、ケニア北部ロキチョキオにロピディン赤十字戦傷外科病院(以下、ロピディン病院)を開設。

日本赤十字社(以下、日赤)幹部看護師研修センター教務部長の赤塚あさ子看護師(当時は名古屋第二赤十字病院に勤務)は、1991年6月から半年にわたって同病院で医療活動に当たりました。

赤塚看護師に当時のこと、国際救援を目指す若い世代に伝えたいことを聞きました。

搬送してもらえるだけでラッキーという現実

患者さんが身につけているのは、病衣代わりのシーツ

日赤からロピディン病院に派遣されたのは、私で3人目でした。スーダンから搬送されてくる負傷者がたくさんいるため、病院の増築していました。

手術後の患者さんはアンダールーフと呼ばれる屋根だけの建物で診て、入院病棟はテント。2つ並べられた手術台で同時に手術されていました。

私が派遣されていたころ、入院患者は200人くらいだったでしょうか。負傷したまま何日も茂みに隠れていた人や、負傷後しばらくたってからようやく病院に運ばれてくる人もいました。

限られた医療資機材では基本的な手術しかできませんが、搬送されてきた人は本当に運が良かったのではないでしょうか。生き延びられる可能性がある人しか、連れて来られなかったと思います。

銃で撃たれた男の子に足の切断を説得

つらかったことの一つに、銃で足を撃たれた10歳くらいの男の子に、「足を切断しなくてはならない」と伝えた経験があります。

傷口が化膿し、一刻も早く切断しないと敗血症でいのちを落としてしまうという状態でした。

私の英語を現地のスタッフがケニアの国語であるスワヒリ語に通訳し、さらにそれを別の人が男の子の部族の言語に訳して伝えるのですが、その子は「絶対にいやだ!」と言い張ります。「早くしないと死んでしまうのよ」と何度伝えても、首を縦に振りません。

「私の言葉がこの子にちゃんと伝わっているのかしら?」と疑問が起きて、なんとか分かってもらおうといろいろな工夫をして伝えました。足の切断をすぐに受け入れられる人などいません。だから言葉だけの問題ではなかったのですが、あの時は自分の限界を感じました。

テントの入院病棟

ロピディン病院で治療を受けてスーダンに戻った兵士が、また負傷して戻ってくるということもありました。

私たちの医療救援活動は戦争をやめさせるものではありませんでしたが、戦争の無益さにジレンマを感じることもたびたびでした。

出産に立ち会ったこともあります。その縁で、出産したお母さんから「この子をアサコと名づけたよ」と言われた時はうれしかったですね。

世界各国か来たスタッフと知り合えたことも、よい経験になりました。母国語が違うスタッフが集まって、ロピディン病院の共通語である英語で一生懸命にコミュニケーションを取る。活動は厳しいものでしたが、赤十字の旗の下で一緒に働く仲間と、楽しい時間を過ごすこともできました。

ルールを守ることはみんなを守ること

国際救援を志す医療従事者にとって、確かな技術を持つことは大切です。

同時に現地のルールを守ること、現地の慣習を尊重することが重要。「ゲートから出てはいけない」「自動車に一人で乗ってはいけない」などです。

自分を危険にさらすことは、一緒に働くスタッフをも危険にすることを意味します。そして、自分を守ることはみんなを守ることにつながります。

例えば、アフガニスタンでは女性は一人で街中を歩いてはいけないし、外出する時は必ず男性と一緒でなければなりませんでした。スカートも長くして、できるだけ肌を見せない。派遣された私たちがそうした現地の慣習尊重することで、安全を担保できると思います。

ケニアやアフガニスタン、スマトラ島沖地震などで培った私の経験は、国際救援を目指す後進に伝えるというかたちで、少しは役に立っているかなと思います。また、国際救援や国内災害救護の現場に人材を派遣するときなどに、送り出す側としてもこれまでの派遣経験が生きていると思います。

仲間とのチームワークこそ大切

1991年当時のロピディン病院棟

実は私は、特に国際救援活動に参加したいと思って日赤に入ったわけではないのです。

入社後に赤十字の海外での活動を知り、自分も参加してみたいと思いました。

ロピディン病院での活動が初めての海外派遣で、私より先に派遣された2人の職員の資料や引き継ぎは大変貴重でした。状況をほとんど知らなかったので、私の不安な気持ちに対しても大きな支えでした。

仲間とのチームワークも大切です。医療救援活動は医療職だけではなく、現地のドライバーや飛行機のエンジニアなど多くの人の協力が欠かせません。また、本社から派遣の要請があったとき、職員を送り出す施設側の支援も大きいのです。その職員は何カ月も不在にするわけですから、その間サポートしなければなりません。

施設の温かい支援や仲間とのチームワークがあって初めて、国際救援活動は成り立ちます。ですから、支えてくれる人たちに感謝することも必要なのではないでしょうか。