病院立ち上げの先頭に~映画『風に立つライオン』のリアルストーリー①

ヴィンセント・ニコICRC前駐日代表に聞きました

©ICRC

現在公開中の映画『風に立つライオン』の主な舞台となったケニア北部ロキチョキオにあるロピディン赤十字戦傷外科病院(以下、ロピディン病院)。

困難な時期に立ち上げの先頭に立ったのは、ヴィンセント・ニコ赤十字国際委員会(以下、ICRC)前駐日代表です。

紛争犠牲者救援の最前線で行われた当時の活動について、ニコ前駐日代表に聞きました。

道を切り開き人びととの関係を深めながら開設

ロピディン病院 ©ICRC/Marc Bleich

ロキチョキオに入ったのは1986年。隣国スーダンの南部(現在の南スーダン共和国)で武力紛争が激化したころで、ロキチョキオは救援活動の拠点になっていました。

当初は人びとへの食料支援が目的でしたが、戦闘による負傷者が多かったため医療活動も展開することになりました。初めはケニア政府からICRCに提供された敷地内にテントを立てただけでしたが、翌87年に場所を移動して病院を開設。医療救援活動はそれから19年間続きました。

現地は道路も水も電気もないという状態。道路があれば車を使って1時間で行けるところを、道を作りながら1週間もかけてトラックを進めたものです。

地域に住むトゥルカナ族の人びとはわれわれとは言葉も文化も違うので、最初は文化人類学者に同行してもらってアドバイスを受け、現地の慣習などを尊重しながら受け入れてもらう努力を重ねました。

また、現地の人びとの仕事も創出しました。雨季には冠水して車が通れなくなってしまう道を改修するため、石をいっぱい積んだトラックから女性たちが石を投げ落とし、下にいる人たちが一つひとつ敷いていく。一日に何メートルか道路が延びて、何週間もかかってやっと完成するという地道な仕事です。

また遠くから水を汲んで来てもらって屋根の上のタンクにためるという仕事もありました。こういう仕事を通して現地の人たちといい関係をつくるということは、とても大事なことでした。

600人もの入院患者と数百人のスタッフ

次々と到着する負傷者たち ©ICRC/Luc Chessex

ICRCとしては、ゆくゆくはスーダン国内に病院を建てるつもりだったので、当初ロピディン病院はあくまで仮という扱いでした。

でも毎日たくさんの患者が来るので、現場としては設備やスタッフを増強してそのニーズに応えたい。

ジュネーブ本部と何度も交渉を重ね、現地視察を経て少しずつ大きくすることができました。

スーダンから飛行機で運ばれてきた負傷者 ©ICRC/Priska Spoerri

スーダン側から毎日のように患者が運ばれてきて、多い時には約600人が入院していました。

国際スタッフは60~70人、現地スタッフは200~300人。医療スタッフのほか、救援チームや輸送担当チームなどの幅広いスタッフがいました。

輸送担当チームは飛行機に食料などの救援物資、さらに遠隔地に拠点を置くスタッフ用の車両や発電機、燃料、生活用品などを積んでスーダンに向かい、帰りは負傷者を搬送してくることが任務。

一番忙しかった時には17機ものチャーター機を毎日飛ばしました。チャーター機を維持するのにはたいへんなお金がかかります。ですから宝の持ち腐れにならないようにそれらを最大限有効に使おうと、一日に何回も飛ばすということもありました。

日本赤十字社(以下、日赤)はロピディン病院が開設されていた19年間、多くの医師や看護師らを送って協力してくれました。

戦禍の中で孤立した人びとを飛行機で救援

赤十字マークを掲げた飛行機

ロピディン病院は何もないところから始まったので、初めて飛行機が飛んだ時、初めてスーダンに入った時、初めて医師が来た時などの節目を、スタッフみんなで祝いました。

今でも思い出すのは、内戦が激化した南部スーダンのある町でICRCスタッフや修道女、ジャーナリスト、女性、子どもたちが孤立した時のこと。

反政府勢力と9週間にわたって交渉し、ロキチョキオから飛ばした飛行機でその人たちを連れて帰ってきました。この時は本当にうれしかったですね。

病院には世界中から国際スタッフが集まっていました。周りから隔離され、特に楽しみなどもない場所。だからみんなで集まって、仕事以外の話をするのがとても楽しみでした。日赤の医師や看護師からも日本のことをたくさん聞きましたよ。必然といえばそうかもしれませんが、そんな中で職員同士のロマンスがたくさん生まれました。

ロピディン病院の患者たち ©ICRC/Luc Chessex

ある時、ジュネーブ本部が女性スタッフを一人送るという連絡を受けたのですが、私は強く反対しました。なぜなら彼女が滞在できるスペース的な余裕が当時はなかったからです。

でも、彼女はやって来ました。私はほこりだらけの汚い格好で、ナイロビ空港の滑走路で彼女を出迎えました。その時の私はきっとしかめっ面だったことでしょう。

ロキチョキオに向かう飛行機は乱気流に巻き込まれて、急上昇と急降下の繰り返し。ようやくロピディン病院に到着してからも、彼女はしばらく飛行機の部品倉庫の中で、スペアタイヤの横で寝ることになりました。彼女にとって初めてのロキチョキオは、決してハッピーではなかったはずです(笑)。

私も他にもれず、現地で恋に落ちました。相手は私が不満顔で迎えに行ったまさにその彼女。現在では私の妻になっています。2年後にモザンビークで結婚し、以来、彼女とは世界中を救援活動のために回りました。

国際救援活動に最も必要なものは「人道の精神」

赤十字の活動について熱く語るニコ前駐日代表

ロピディン病院での経験がその後、自分にどう役に立ったか?

何もないところから赤十字の活動を立ち上げたということを買われて、支援が行き届いていない国や、問題の多い場所などばかりを任されたことでしょうか。「ニコ、後はよろしく」って(笑)。

今、世界中で人道が危機に直面しています。苦しむ人びとを救うために、赤十字には良心的な人材が多く必要。この映画を見て、少しでも赤十字に興味を持ってもらえたなら、スタッフとして、またボランティアとしてICRCや日赤の仲間になってほしいと思います。

国際支援を志す人にとって絶対に必要なのは、「人道の精神」です。そして指示を待つのではなく自分で率先して動くこと、ルールに従うこと、自分の価値観に縛られず現地の人びとと共鳴し合う力や粘り強く交渉する忍耐力も必要です。

ハードルが高そうですって?大丈夫、すぐクリアできるはずです。ICRCの日本人スタッフも世界中で活躍していますよ。

私がICRC職員になったのは、自分がよいことを行うことでよい結果が生まれれば、それが生きがいになると思ったから。さまざまな人びとに出会い、文化や言葉、食べ物など新しい発見もありました。そういう機会を与えてくれる赤十字に身を置くことは、自分にとって大きな喜びです。

赤十字への関心が高まることを期待

映画『風に立つライオン』の製作に当たって、製作側の皆さんは「現実に近いものにしたい」と語っていました。私たちはロピディン病院や紛争地での救援活動についてお話しし、その内容を真摯に受け止めてもらいました。製作者の皆さんのそんな姿勢に、赤十字に対する尊敬の念を感じました。

この映画を通して、日本で赤十字への関心が高まることを期待したいですね。