被災者に寄り添う~日本で活躍するインドネシア出身看護師

2014年12月26日で、スマトラ島沖地震・津波災害発生から10年を迎えます。当時、インドネシアのバンダ・アチェで救護活動にあたった看護師のスワルティさんは2011年、日本の看護師国家試験に見事合格し、2011年3月11日に発生した東日本大震災の際には、岩手県に派遣され救護活動に参しました。

インドネシアと日本~人びとを襲った大津波

かつて街があった場所が今は残がいとなり、粉々になった建物の骨組みが、ひっくり返った車や船、がれきで埋め尽くされた風景の中に点在している―日本赤十字社(以下、日赤)の救護服に身を包んだスワルティ看護師は、無表情でその光景をじっと見つめていました。「言葉を失ってしまいました」同行していた記者に、そうつぶやきました。

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姫路赤十字病院で活躍するスワルティさん ©Nick Jones/IFRC

インドネシア出身のスワルティさんは、勤務先の姫路赤十字病院から5人の同僚とともに、800キロメートル以上離れた岩手県沿岸部の山田町を訪れました。

それは、東北地方沿岸に甚大な被害を与えたマグニチュード9.0の東日本大震災の6週間後、2011年4月のことでした。

その壊滅状態は、2004年12月26日に発生し甚大な被害をもたらしたスマトラ島沖地震の大津波後のインドネシアの街バンダ・アチェでの経験を、スワルティさんに思い出させました。地震発生から1週間後、彼女は首都ジャカルタの公立病院からの救護チームとともにアチェに到着しました。

「ほかのチームはすでに、一時避難所で被災者の手当てを始めていました。しかし、水、食べ物そして薬が不足していました。そこで見たショッキングな光景を受け入れるのには、2週間ほどかかりました。私は疲れを感じながらも、泣いている人びとや、家族や家を失った人びとのことを考え続けました。しかし、その方たちのために何をしたらよいかわかりませんでした」

被災者に寄り添う看護師として

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避難所で、被災者と一緒にカメラに笑顔を向けるスワルティさん

それから7年が経った2011年、スワルティさんは、東日本大震災で被害を受けた岩手県山田町で、地域住民の一時避難所になっていた高校を訪れました。

「避難所には、津波で親を亡くした6人の高校生がいました。その中でも特にひどく被災した女子高校生に何度か話しかけました。彼女は私に、来てくれてありがとうと言い、私のようなナースになりたいと言いました。このような時には、被災された方がたに話しかけることが大切だとわかっていたので、私は若い人だけでなく、多くの高齢者にも話しかけました」

スワルティさんは2004年にアチェでの活動を経験し、災害救護では心理的なサポートがどれだけ大切であるかということを深く理解したといいます。

「私たちがアチェに着いたとき、被災した方がたは私たちに感謝してくれました。しかし、ただ治療をするというよりも、その方たちに話しかけ、手を握ることのほうが、はるかに大事なケアでした。メンタルサポートをする、これこそが、被災地で看護師が果たすべき大事な役割であると気づいたのです」

スワルティさんは被災者や遺族へのカウンセリング方法を含む災害救護講習を受けており、東北に出発する前から準備ができていました。

日本で救護活動に参加しようという彼女の決心は、アチェでの経験にさかのぼります。「私の国が支援を必要としたとき、日赤を含む海外の多くの国の社が支援してくれました。実際、姫路赤十字病院からも医療要員が派遣され、現地で活動してくれました。ですから、もし国家試験に受かり、チャンスを得られたら、東北の人びとを助けに行きたいと強く思っていたのです」

スワルティさんの初来日は2008年、日本とインドネシアが共同で策定した看護プログラムに参加した時でした。そして、日本の看護師国家試験に合格するための最大の難関は、医療技術の専門用語を含む日本語の習得でした。彼女は5時間にも及ぶ看護師国家試験へ向けて精力的に勉強を続け、3回の受験を経てついに2011年に難関を突破し、日本でも看護師資格を取得したのです。また、スワルティさんは2013年には、インドネシアの看護学校の一つで、看護研修生やスタッフに向けて、日本の被災地での経験を伝えました。

「スマトラ島沖地震が起きたとき、私たちにはあのような規模の災害に対しての備えと災害救護の経験がありませんでした。そのため、日赤からのサポートが大変ありがたかったのです。インドネシアは災害救護についてもっと学ぶ必要があります。私はそのスキルを学ぶことができる日赤に加わることができ、とてもうれしく思います」

「誰もが、ある日突然災害に襲われる可能性があります。ですから、私は看護師として岩手県で被災者の方々を支援する義務があると感じたのです。将来、また災害が起きた時にも、私にできることがあれば何でもしたいと思っています。赤十字のメンバーの一人として、どんな民族、宗教、国籍であろうと、被災した人を助けることが私の義務であると強く感じています」と力強く語りました。

※この記事は国際赤十字・赤新月社連盟の雑誌記事を元に、学生インターン生の協力により作成しています。