“難民”といえば?~6月20日は「世界難民の日」

“難民”といえば? ~6月20日は「世界難民の日」~

6月20日は、国連が定めた「世界難民の日」

皆さんは“難民”と聞いてどんな人を思い浮かべますか?

なんとなく遠い世界の出来事として“難民問題”という言葉を知っているものの、実感としては「一般社会でおなじみの“帰宅難民”や“就職難民”のほうが日本人にとってはシリアスな問題だ!」という人が、今は少なくないかもしれません。

今日6月20日は、国連が定めた「世界難民の日」。災害や紛争そして政治的迫害の恐怖などにより、故郷を追われた人たちの現状と、その支援への関心を呼びかける日です。

世界では約4000万人の膨大な数の人びとが、故郷からの避難を強いられているといわれています。一方、日本での難民問題への関心は決して高いものではありません。平成25年の統計によると、日本では3260人の難民申請があり、そのうち認定を受けたのは6人ということです。

難民問題との向き合い方 ~日赤ベトナム難民救援の経験~

ベトナム難民救援事業の担当者、田中康夫さん

「難民を考える日なんて、日本には無関係じゃない?」と思われるかもしれません。しかし実は日本は過去に、数千人の難民を受け入れたことがあります。

さかのぼることベトナム戦争のころ。昭和52年から平成7年まで日本赤十字社(以下、日赤)は、ベトナム難民救援事業を行いました。当時の担当者である田中康夫さんに、その時のエピソードを語ってもらいました。

ベトナム難民

難民の受け入れは、日赤支部が運営する国内11の施設で行われました。全11施設で約1000人が収容可能でしたが、ピーク時にはそれ以上の数を受け入れました。

私は日赤本社(東京都港区)の社会部(現・救護・福祉部)ベトナム難民対策室で、難民の受け入れや事業の全国的な事務管理、難民の第三国定住(出国)の調整業務などを担当しました。

難民事業のゴールは、難民を保護し、恒久的な解決を見つけること(第三国や日本国内での定住)であり、日赤の各施設での生活はあくまでも一時的な滞在に過ぎません。しかし、各施設では単純な衣食住の提供だけでなく、将来に向けて少しでも自立した生活基盤を築くために、大人には就労、子どもには教育の機会を提供することにも努めました。

バーベキューや運動会などのイベントを企画して、交流を図ることにも配慮しました

難民の受け入れには、地域の理解も欠かせません。地域住民への説明会をはじめ、バーベキューや運動会などのイベントを企画して、交流を図ることにも配慮しました。

赤十字ボランティアが難民たちの衣類を裁縫したこともありました。こうした背景には、ベトナムの人たちのつらい経験を少しでも和らげようという思いがあったのではないでしょうか。

人間が生活を共にするので当然、難民同士のけんかや就労先からの苦情、はては不倫騒動といったハプニングもありました。そうした一つひとつの出来事に応じていくこと、難民といっても同じ人間として付き合っていくこと、それも大切な仕事の一つでした。

単なる一時避難の場を提供するのではなく、赤十字が主体となって行う人道支援事業として何をなすべきか、どんな付加価値を提供できるかを、常に模索していたような気がします。

“人道の空白”をつくらないこと

ベトナム難民

「苦しんでいる人を救いたい」その思いは、時代に関係なく揺らぎないもの(誰もが共感できるもの)です。

“難民問題”と聞いて遠い世界の出来事だと考えをやめてしまう前に、少しでも立ち止まって世界の今、そして同じ悩みに直面したはずの過去を、まずは知ることからはじめてみませんか?

田中さんは最後にこう語りました。

「現在私はスイス・ジュネーブで、国際赤十字・赤新月社連盟会長としての近衞忠煇日赤社長の職務をサポートする仕事をしています。近衞社長がよく語るのは『人道の空白をつくってはならない』という言葉です。つまり、どのような政治・社会情勢にあっても、人間のいのちや尊厳を脅かす事態に対して決して無関心であったり、放置してはならないこと。

当時、このベトナム難民救援事業を日赤の本来事業として取り組むことを率先したのも、実は近衞社長でした。この救援事業を振り返ってみると、昔も今も、その思いは変わっていないのだなと改めて実感します」